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カテゴリ:スピリチュアル
今年の屋久島は暖かい気がする。
特に11月に入ってから良い天気が続いている。 先日、次のようなコメントがあった。 『サーファーのジェリーロペスが言う。 「調和し安定するためには、立ち止まってはいけない。 それは、極みからもうひとつの極みへと、 ハイスピードで行き来することから生まれるものなのです。」 そういう動のバランスは、まさに >今この瞬間に生きることから生まれる。 >今ここに生きる時にのみ、空っぽの心身の状態が実現する。 そして・・・ >活き活きと今に息づく意識があるのみ。 >それこそが心身共に健康な状態なのだ。 ・・・ということに通じるのですね。 足場の悪い山を登る時、 瓦礫場のように岩や石が散乱する沢登りをする時、 「今」の足元に意識が息づいている。 心はとても健康なわけですね。 だから、登山があんなに人を惹きつけるのですね。 あらゆるスポーツの魅力もそこにあるのでしょうね。 そういう状態を、日常生活に生かすには・・・・ そういう状態は、息切れしないのかなあ・・・・。』 宇宙は生きている。 生きているということは、動いているということ。 調和というのは、固定したものではない。 バランスというのは、動の中にある。 確かにサーフィンの例はわかりやすい。 止まったら終わりだ。 止まることは沈むことを意味する。 常に動いていること。 しかも、常にバランスのとれた状態であることが要求される。 そのバランスも瞬間瞬間のもので、けっして固定してはいない。 人生も同じようなものだろう。 常に新しい波がやってくる。 その波といかに戯(たわむ)れるか。 大きな波を頭から被ることもあれば、足下をすくわれることもあるかもしれない。 心地よい波が来ることもあるだろう。 ほとんど波がない時もあるかもしれない。 いろんな波がやって来るが、同じ波は二度とない。 一回生起。 一期一会なのだ。 笑って楽しめる波もあれば、必死に身を守る必要のある波もある。 それらの波と、いかに関わるか。 それらの波に、いかに対処するか。 それが人生と言えるのかもしれない。 いかようにも対応できる。 泣いてもいいし、笑ってもいい。 必死になってもいいし、軽やかにやり過ごしてもいい。 失敗を繰り返してもいいし、成功を重ねてもいい。 成功したり失敗したり、波乗りを楽しむこともできる。 すべての現象は一回生起。 二度と同じことはない。 似ているようでも微妙に違う。 一回一回、一瞬一瞬、それが人生。 良いとか悪いとかいうのは、価値観。 ただ事実がある。 事実が次々と目の前に現れる。 まるで映画のようだ。 人は、それを見ている観客であり、それを演じる主役でもある。 瞬間瞬間を繋ぎ合わせて、一つのストーリーを作ることもできる。 時間という糸によって、歴史という織物ができる。 その織物も、織り手によって模様は異なる。 歴史は解釈。 けっして事実の連なりだけではない。 そこには選択があり、序列がある。 価値観が加わっている。 目の前に現れる事実と共に、瞬間瞬間という永遠を生きる。 一回生起の人生を、永遠の中で生きる。 すばらしい宇宙のドラマを、体験しながら眺める。 人生とは、そういうものではないだろうか。 永遠の中に無常があり、無常の中に永遠がある。 これが328日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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