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無色透明

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光のkimi

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2006.04.12
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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、時々、陽が射したりする薄曇り。
とても穏やかな感じ。
以前は遠くで鳴いていたウグイスが、すぐ近くの森でも鳴き出した。
(自宅から20mぐらい)
春が本格化している。

では、ホームワークを見ることにしよう。
今回のテーマは、次のようなものだった。

「快・不快とは何でしょう?
あなたにとっての快とは何ですか。
あなたにとっての不快とは何ですか。
それはどこから出て来るのですか。
快と不快を決めているものは何ですか。」

最初は、えっちゃんですね。

【まず香り・・においですね。
香水等、濃厚な香りにすれ違いざま鼻先を襲われると不快となる。
けれど、濃厚な香水の香りに惹かれる人もいる。
皮のにおいも苦手。
革ジャンなんか着た人に近づきたくない。
でも人のことは言えない。
汗っかきの私の汗を拭いたタオルは、少し時間が経つと鼻がもげそう。

最近の車のヘッドライト。
目を射るようなビーム光に思わず目を閉じる。
不快を超えて、危険。
でも、車の持ち主にとっては視界が明るいらしいし、
今まだ、先端的で優越快感もある。

神戸にいた頃、近くの入り江に海洋体育館があって、気軽にヨットが楽しめた。
のんびり風を感じながら帆走してると、
海上バイクといった感じの乗り物が流行りだして、音をバリバリたてながら狭い入り江を駆け巡る。
風も何もあったものではない。
おまけに波を起こすので、
操作の下手な私はヨットのコントロールが出来なくなる。
おまけに入り江を囲むようにマンション群があるので、バリバリ音は迷惑だろう・・・
で、私が一緒にヨットに乗っている友達にそう言うと
彼らもこの入り江で遊ぶ権利がある・・・って言うのです。
彼女は、オートバイでツーリングするのが趣味だから、エンジン音に寛大かも。

彼らの快は、私の不快。
快、不快もトラブルになりかねない。

私にとっての快は、
街中であっても風やほのかな香り、
おいしい空気等の、自然と心地よく親しむ事・・・
それを打ち破る音や、においや、空き缶やプラスティックなどのゴミは不快となる。

森林ボランティアで、楽しくておしゃべりを弾ませる私。
熊よけになるとか言って、面白がってくれる人もいれば、
うるさいわ、大阪弁が耳障りだわ・・・・と思う人もいるようです。
私にとっての快は、ある人には不快となる。

これらは、単なる思い込みでは片付けられない生理的快、不快なので、
思い込み、抱き参らせだと自分に言って聞かせても、
事実でもあるわけで、好みの範囲を超えて、
受け入れがたいこともある。

生理的不快なことを、何処まで受け入れられるか?
価値観や、思い込みの判断で、快、不快を感じる場合。
それは、刷り込まれた判断。
人種差別や、政治体制。
そんな難しくなくても、
私の大好きなヌカズケや、しょうゆの香りに欧米人は顔をしかめるとか。
おいしい餃子を食べた後、しばらくは孤立状態となる。
いわゆる嗜好も、刷り込まれた判断というわけです。

それでいくと、バイクの騒音も好きになれる?
う~~ん、全て後天的判断??
生まれ持っての生理的なものもあると思うけど・・・

ただ、大事な事は、自分と違うものの存在も認めるということ・・・
不快なものの存在を否定しないということ・・・
でも~~~静かに風を感じる自由はないのか・・・

みんな同じ刷り込みをすればトラブルはなくなる?
世界中が、くさやのにおいに快を感じるというような・・・・
いつか、地球にやってくる宇宙人は鼻がもげるかもしれないけど。】

快・不快には、個人差があります。
ある人にとっての快は、別の人には不快になることもあります。
欧米人には糠漬けのにおいは耐えられないのかもしれません。
逆に、日本人にはチーズのにおいが耐えられない人もいます。
生まれ育った環境によっても快・不快は異なります。

同じ人にとっても、最初は不快だったものが、その後に快に変わることもあります。
バイクの喜びを知る前は、その音が不快に思われたものが、自分がバイクに乗るようになったら、それが快感に変わったりします。
最初は船酔いして不快に感じても、やがて船に乗る喜びがわかるようになれば快に変わります。
当初は苦しくて不快に感じたものも、更に苦しい経験の後では、快に感じることさえあります。
もちろん、その逆もあります。
食べ過ぎれば、二度と食べたくなくなることもあります。
快・不快は、一定したものではありません。
個人にとっても、お互いにも、極めて相対的なものです。

この相対的な快・不快を元に、好き・嫌いと判断されてはたまりません。
まして、それをベースに行動されたのでは、周りは振り回されるばかりです。
ところが、実は自分自身も気づかないうちに振り回されているのかもしれません。

自分と違うものの存在を認める?
不快なものの存在を否定しない?
えっちゃんは、それができる?
我慢の限度、不快の限度というのはないの?
それもまた個人差があるでしょう。

すべての快・不快は過去の経験から来ている?
では、生理的な快・不快は?
生理的と思い込んでいる快・不快もあったりして?
簡単そうで、なかなか難しい快・不快です。

次は、せきせきさんですね。

【快、不快は自分で判断してから感じるもの。
源は、環境と過去の経験に刷り込まれた体験記憶。
私の快、不快は、その時、その状況を過去の体験と比較して、判断している。

NY貧乏旅行。
1つのベッドで、知らない男女ノミまで混ざって寝る。
外は、パトカーと騒音と地下のにおい、『これがNYだあ』と思い、ワクワク。
でも、これが普通の生活だとあり得ない。
日常と、非日常のテンションの比較。

中国では、隣のおばさんと、トイレすることが、中国の醍醐味みたいで、ワクワク。
でも日本で、並んでトイレすることなんて考えられない。
トイレは、個室という考えと、個室ではなくてもOKという考えの価値観枠に入った時の、自分の快不快の感じ方の違い。

3年前まで、東京の電車の通る線路脇の揺れるアパートに住んでいたが、最初は電車の騒音と揺れに、ノイローゼになりそうだった。
騒音が自分に危害を不快を与えていると認識したから。
電車が夜中通ると、『お疲れ様、眠いだろうな~痴漢気をつけろよ~歯みがけよ~(ドリフ調)』と想像を楽しんだ。
そこのアパート住人もそうだと知って驚いた。
皆変?

職場では、排泄ケアが日常。
いい排泄ができると、『最高!』と皆で大喜び。
でも、子供のケアは幸せお年寄りのケアは不快、職場ではいいけど、自宅では嫌だという方もいる。
排泄物は、不快、汚いという認識、そして、自宅と職場、子供と、大人の両者のイメージの比較によって、自分の不快、快を決めている。

選挙カー。
痛みのピークで睡眠不足だと、たまらん!
でも、政治に興味あれば(ある人いるのかな?)、聞くだろう。
自分の息子の選挙演説だったら、最大音で流してもらいたいかも。
うぐいす嬢の声が人それぞれおもしろい、と聞いている人がいて、最近驚いた。
深刻度も捉われ度により人それぞれ。
その時の状況を判断しコロコロ変わる。

自分にコンプレックスや、価値観、美意識へのこだわり、トラウマ、安定への望み、そこに、ひっかかったものは、快、不快と判断している気がする。
快があっての不快、不快あっての快。
でも、不快を感じたら、不快ではないように頑張るのもしんどい。
快、不快、どちらが良いのでも、悪いのでもないから。
不快、快を超えたところから、それを見守る。
不快と感じている自分を、柔らかく包む。
不快なものまでも、包み込む。
そうすると、無意識に不快と思っていることの中に、様々な思い込みが入っていることが、自分としては沢山あった。
不快と感じることは、人間として当たり前だと思う。
それで、生きてきた人生なのだし。

でも、それを超えたもの、過去や未来のないまっさら意識で、不快と感じる自分を包むことは(なんとか)できる。
そうすると、なんだか、私の周りに、不快に感じるものが少なくなって、実際なくなる感じ。
不快がよいものに変わる感じ。
そして、私にとっては、これが最高の『快』、不快、快の相対界を超えた、幸せ、うっとり、リラックスになる。
たぶん、その快、不快を超えた見守りは、うっとりビーム、感謝が出ると思われる。
人のありのままの姿に近いからかもしれない。】

快・不快は相対的です。
状況や環境によって、コロコロ変わります。
まるで心のように・・・

それは過去の自分の経験から判断しているだけでしょうか。
過去の記憶があって、それと比較するから、快となり不快となるのでしょうか。
それもまた刻々に変わっているのかもしれません。

そういう相対的な快・不快を超えた次元から、それらを見守ると・・・
これまでは快や不快に思えたものが違ってくるかもしれません。
快・不快という感じ方そのものが変わってくるかもしれません。
快・不快という価値判断がなくなるのでしょうか。
もっとニュートラルになる感じでしょうか。

自分の過去=記憶=自我ベースで対応すれば、自分の快・不快が生まれます。
それは個人によって異なります。
お互いが個人的な快・不快で生きていれば、そのこと自体が、またお互いの快・不快を引き起こします。
その次元にいる限り、違和感はなくならないでしょう。
もっとも、違和感があるということは、共感もあるということになります。
ほとんどは違和感。
ごく希に共感。
だからこそ、それが快感?
という世界でしょうか。

自我の世界にいる限り、快・不快の世界です。
自我の次元を超えない限り、快・不快からは自由になれないでしょう。
快・不快に振り回されて生きるのも人生です。
それを超えて生きるのも人生。
それぞれの人生です。


「快・不快[2]」へ続く





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Last updated  2006.04.12 16:20:54
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア@ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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