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カテゴリ:生き方
屋久島は、午前中は青空が広がった。
しかし、午後になって雲が多くなった。 11時に空港に迎えに行く。 そのまま白谷雲水峡へ向かう。 今回で4回目の屋久島という女性。 一週間滞在する予定。 もののけ姫の森を越えて太鼓岩まで行ったが、雲がかかって何も見えなかった。 時たま安房川が見える程度。 こんなに見えないのも珍しい。 彼女には自炊できる定宿があり、知り合いのガイドもいるらしい。 明日はモッチョム岳、その後に太忠岳に行く予定とか。 しかし、梅雨入りしそうで、天気がどうだろう・・・ 人を責めるとは、どういうことだろうか。 あの人のせいで、こうなった。 相手が悪い。 自分は悪くない。 相手が加害者。 自分は被害者。 自己正当化と責任転嫁。 相手を悪者にして自分の正しさを主張しても、何の問題解決にもならない。 自分を納得させるための解釈に過ぎない。 解釈によって気に入らない現実を納得しようとしているだけ。 事実は少しも変わらない。 もしそれが望む現実でなかったら、行動して変えるしかない。 他人のせいにして納得している場合ではない。 自分の望む現実を創造する。 それが一番シンプルで素直な生き方。 行動しないで相手を非難するだけでは、何の問題解決にもならない。 相手を批判して自分の責任を棚に上げても、現実は何も変わらない。 非難や批判している暇があったら、現実を変えるための方策を考えた方がいい。 何らかの行動をすることが、現実を変えることに繋がる。 人はなぜ他の人を責めるのだろうか。 幼児期に両親や家族から、いろいろ面倒を見てもらう。 しかし、兄弟が増えたり、自分が成長することによって、やがて自分の望むようにはやってもらえなくなる。 本当はこうもしてほしい。 ああもしてほしい。 でも、その願いが叶うとは限らない。 そこから人を責めることが始まる。 以前は当たり前にやってもらえたことが、やってもらえない。 親ならば当然やると思っていたことを、やってくれない。 周りの人も、こちらが期待するほどにはやってくれなくなる。 冷たい。 不親切。 思いやりがない。 自分勝手。 私のことなんてどうでもいいんだ。 みんな自分さえよければいいと思っている。 ひがんだり、拗(す)ねたり・・・ 受け入れがたい現実に、無意識に人を責めてしまう。 たぶん、周りにいた人たちも無意識に人を責めていただろう。 幼児は無意識のうちに周りの人の反応パターンを吸収してしまう。 気がつかないうちに、自分の気に入らない時は人を責めるようになっている。 それはほとんど刷り込みに近い。 不満=人のせい=人を責める。 そういうパターンが無意識のうちに自分の中にできあがる。 成長した後も、そのパターンは継続する。 相手を責めることによって、不満を解消する。 相手のせいにすることによって、現状を自分に納得させる。 そこには甘えや思い込みや先入観や期待が、ない交ぜになっている。 それらが裏切られる時、怒りや憎しみ、恨みや悲しみが生まれる。 期待という思い込み。 当然やってもらえるという先入観。 こうあるべきだという固定観念。 そういう思い込みが裏切られる時、自分の中で不満がつのる。 そして、人を責めるというパターンに陥る。 この泥沼から抜け出す道は、このプロセスを深く理解すること。 自分自身を通して理解すること。 すべての期待を外すこと。 すべての思い込みを手放すこと。 いかに自分が他人に依存して生きてきたかを深くわかること。 他人が自分の期待に応えてくれない時、相手を責める。 それが自分のパターンであることを理解する。 真に自立している人は少ない。 多くの人は、いつも誰かに依存している。 その依存が裏切られる時、相手を責める。 信頼という名の甘え、期待。 そして、裏切り、失望。 そういう自分のパターンを理解する必要がある。 いかなる先入観も固定観念もなく人と接すれば、裏切られることはない。 一切の思い込みがなければ、人を責めることも起きない。 自分の中にある思い込みが、人を責めることに導く。 それは無意識のパターン。 気がつかない限り一生ついて回る癖。 思い込みから自由になる時、初めて人は自立できる。 それまでは思い込みという依存に振り回される。 気づくこと、自覚すること。 それなしには、本質的には幼児期のまま変わらない。 自分をもう一度根本的に見つめ直さない限り、人は刷り込まれたままの人生で終わる。 基本パターンは一生変わらない。 それに気づかない限りは・・・ 『気にくわぬ ことは何でも 人のせい 自分はいつも 正しい原則(きまり)』 『期待して 裏切られると 人を責め 自分のことは いつも棚上げ』 『人を責め 自分のことを 正当化 しても心は 満たされぬまま』 『無意識に 依存している ことにさえ 気がつかぬまま 人を責め出す』 『依存する 自分のことは わからずに いつも他人の せいにしている』 『刷り込まれ 気づかぬままに 人を責め 不快になって 終わる人生』 『悪いのは みんな他人と 愚痴っても 問題解決 遠のくばかり』 『責めるより 事態をいかに 変えるかを 検討するのが まともな生き方』 『責めないで 事実を直視 することで イヤな現実 変革していく』 これが509日目の心境です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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