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カテゴリ:スピリチュアル
今日の屋久島は、穏やかに晴れている。
かなり気温が上がっていて、室内でも30度近くある。 ホームワークを見ることにしよう。 今回のテーマは、次のようなものだった。 【自己信頼と自信とは、少し違う。 何が違うのだろうか。 これはホームワークにしよう。 自己信頼とは何かをしっかり理解するのにいい機会だろう。 言葉の定義の違いということではなく、もっと本質的に見つめてほしい。 自信という言葉は一般的。 でも、自己信頼という言葉は、あまり一般化していない。 その違いは何だろう。 ヒントは、 自信は、どこから来るのだろうか。 自己信頼は、どこからやって来るだろうか。 ゆっくり自分自身を見つめて答えてほしい。】 今回は、こちらのコメントを書くまでもなく、みなさんからの回答を読むだけでも十分理解できるように思います。 ホームワークとしては大成功でしょう。 しっかり見つめられている感じです。 では、最初は、空好◇◆AQA◆◇さんですね。 【私の想う「自信」と「自己信頼」 自信…行動や結果から湧き上がる…? 自己信頼…心や魂で湧き上げる…? 今の私にはまだ確信がもてない。 だから「?」に甘えてみました。 締切までにもっとシックリくるだろうか…。】 基本的には、そういう感じですよね。 自信は、結果=過去からやって来ます。 自己信頼は、意識の奥=今からやって来ます。 「?」が早く取れるといいですね。 次は、えっちゃんですね。 【自信を持って言えることは、 私は何にも自信がない。 これはお任せ!と言えそうな物がない。 キャリアがない。 いつも必死でやってきて、走り抜けてしまった・・・ 何も身につけることなく。 未だに仕事となると、力ばかり入って余裕がない。 結果、ドジる事多し。 自信とは、評価しうる能力、または能力の表現されたもの、および姿態。 形を成してなくても見えるもの。 したがって、他者との比較上甲乙がつけられるもの。 または、自分自身の思い込み上優越感を持ちうるもの。 または、自分自身の評価で、良しと思えるもの。 自己信頼は見えないもの。 自分自身で感じるもの。 他者の評価の対象外。 ただ、自己信頼のもてる人に対する他者の評価はあるかも。 私にあるか?自己信頼。 例えば,あと一人しか乗れない船があって、 何人も残っている時、他を押しのけて船に乗り込まないでいられるように思う。 不納得な事を言われると、むきになるけれど、 私から相手の気持ちを傷つけようとは思わない。 いつだって、出来るだけ明るい方を向こうとする。(自分自身のためにですが) ・・・・なんていうことに対する自己信頼はあるかなって思ったけど、 思い込みに陥りやすい自己信頼でもある。 深いところに根ざす、自分への信頼・・・ どういうものだろう? 私は私を最終的に手放さず、どんな自分でも受け入れるということか? そんな私の部分を越えて、もっと大きな存在の一片である自分というものへの確信だろうか? 身近な事のように思えた自己信頼・・・・ 近づくと、三倍くらい遠のいてしまった。】 私は何にも自信がないと、自信を持って言える人は、自信がある人でしょうか。 それとも、自信がない人でしょうか。 えっちゃんは、どちらだろう? 自信とは、書かれているように、比較や評価による、目に見える優越感ですね。 過去ベースです。 自己信頼は、見ることも評価することもできません。 自分自身で感じるものですね。 他者を押しのけない。 相手を傷つけない。 明るい方を向く。 そういう自己信頼はあるのですね。 でも、そういう個別的なものは、ややもするとひっくり返りますね。 自分は傷つけるつもりはなくても、相手が傷ついたりした場合とか。 こちらの意図が誤解された場合とか。 どちらかというと、自信に近い自己信頼かな? 自信というのは、思いの世界です。 自己信頼は、思いの世界を超えています。 だから、ひっくり返ったりしません。 海よりも深く、空よりも広い自己信頼は、どこにあるのでしょう? 近づくと、遠のいて行く? まるで青い鳥みたいですね。 さて、青い鳥はどこにいるのでしょう? 次は、藍&aiさんですね。 【自信とは他者との比較から生み出されるもののような気がします。 自分の固定観念。。思い込みとも言うかな。。そこから生じるもので 案外。。脆いものなのかもしれないと思う。 自己信頼とは。。自分自身がいままで生きてきた中で自然と体感したもので、いのちの内奥から湧き上がるもの。。 自分のいのちの営みの本来の姿。。エッセンス。 でも、自己信頼は、誰でもが体感できるものではないと思う。 それは。。たぶん究極の生きている証のようなものに出逢うことから生まれる。。と思う。 抽象的答えしか出てきませんでしたが。。。 自分の中にある想いを言葉にするのは難しい。。】 その通りですね。 自信は、比較の結果。 だから、自分より優れた者が現れると、自信は脆くも崩れてしまいます。 相対的で、安定性はありません。 自分の思い込みの世界です。 自己信頼は、他者との比較ではなく、確かにいのちの内奥から湧き上がるものですね。 自分自身の本質。 信頼以前の存在そのもの。 自己信頼という言葉さえいらないレベルですね。 究極の生きている証? 早くそれを体感してくださいな。 それは自分自身と一緒にいることから生まれるでしょう。 自分の外にはないものだから・・・ 次は、やちよさんですね。 【自信について、考えてみました。 ・合格した、1位になった、勝った、上手に出来た、賞賛された等、 目に見える「結果」が自信をもたらす。 ・他との「比較」により自分の方が優れているという自己判断により自信をもつ。 ・「時間」の経過により、自信がもてる場合も、逆に喪失する場合もある。 (何年も継続してきた事には自信が生じる。逆に老化等により今まではあった自信が無くなる) 自己信頼が自信と違う点。 ・「結果」「比較」「時間」のどれひとつをも必要としないような気がします。 ・外からのものに反応するのではなく、全て自己との対話、内なる想いを感じて、 その想いのまま生きる。 ・自分を否定しないで生きる。 ・過去に囚われることなく、今この瞬間から可能である。 私はまだまだ、ちっぽけな「自信」にしがみついているのが現実です。 過去にも自信によってずいぶん助けられました。これからは? 以上、提出致します☆】 結果+自己判断=自信という感じでしょうか。 自信がある人は、過去ベースで生きています。 過去の経験の上に今を生きています。 それは時として過信を招き、自信喪失に繋がることもあります。 自信とは相対的なものです。 この世の無常そのもの。 明日はどうなるかわかりません。 一方、自己信頼は、そんな相対的なものではありません。 絶対的とも言えるものです。 外側の経験から来るというより、内側から湧き出す感じでしょうか。 そこに在るものなのですね。 外側の状況に関わりなく、常に存在しているものです。 揺れ動くのは、思い。 自己信頼は思いの次元ではないので、揺れ動かないのですね。 無常ではないということです。 常に在る。 そこに在る。 ちっぽけな自信にしがみついている? 確かに自信によって助けられることもあるかもしれませんね。 でも、自信によって足下をすくわれることもありますよ。 自信は不安を抑える役割はしますが、過信は事故の元です。 自信は両刃の剣。 自信に頼って生きると、自信に振り回されます。 多くの人は自信にベースを置き、それをアイデンティティとして生きています。 しかし、そういう生き方は、自信が崩れる時、自分自身も崩れることになります。 不安な時は、不安を自信によってカバーしようとしないで、不安と共にいることでしょうか。 不安な自分を見守っていることが、自己信頼への道ではないでしょうか。 「自信と自己信頼-2」に続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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