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2017/02/23
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カテゴリ:歴史あれこれ
赤沼付近の冬景色
赤沼付近の冬景色

古今著聞集に出典あり
 雄物川支流の油川のほとりに「赤沼」という地があり、人家はなく、今は一面水田である。
 ここに「赤沼のおしどり物語」という伝説が残っている。
 鎌倉時代に編纂された古今著聞集にその説話があり、菅江真澄が雪の出羽路 田村ノおち穂にそれを載せている。
 次はその説話の私なりに解釈した現代語訳である。あやしい所はお許し願いたい。
 『みちのくに田村の郷の人、馬ノ允(じょう)なにがしとかいう男、鷹を飼っているが、鳥を得ることなくむなしく帰る途中、赤沼という所におしどりが一つがい居るのを、ぐるり(具留理・鳥を射る道具)を持って射ると、誤たずに雄鳥に当たった。その雄を鷹の餌にし、残りを餌袋(えさや獲物を収める容器)に入れて家に帰った。
 その次の夜の夢に、いと艶(なま)めいた女が来て、さめざめと泣いた。
 不思議に思い、どうして泣くのかと問うと、「昨日赤沼で、そばにいた夫が殺され、その悲しみに絶えず、こうして参って悲しんでいる。私も、これ以上生きていようとは思いません。」と言って、一首の歌を唱えて泣く泣く去った。
    日くるれば さそひしものを あかぬまの 真菰がくれの ひとりねぞうき
 あわれ不思議に思うほどに、中一日空けた後、餌殻を見れば、餌袋の中で雌鳥が雄鳥の嘴(くちばし)を自分の腹に突き刺して死んでいた。是を見た馬ノ允、やがて自分の髪のもとどりを切って出家した。ここは前形部太輔仲能朝臣の領土である。』


赤沼の説明板
赤沼跡と説明板

説明版に若干の違いあり
 上の写真は「赤沼のおしどり物語」の説明板である。
 記載内容は次の通り。(一部省略)
 『昔、田村の郷に狩をして暮らす馬の充という男がいました。
 ある日、赤沼に来ると、二羽のおしどりがいるのを見つけ、その内の一羽を射止めて持ち帰りました。
 次の日の夜中、馬の充の夢枕に上品で美しい女性が立って泣いており、不思議に思って理由を聞くと、「赤沼で射止められた水鳥は私のいいなづけです。あまりの悲しさに、殺したあなたの側に来て泣いているのです。私もあの人の亡骸の側で死に、あの世で楽しく暮らしたい。」とさめざめと泣いて、「日くろればさそいしものを 赤沼の 真菰がくれのひとりねぞうき」と歌を詠んで消えました。
 翌朝、馬の充は捕ってきた水鳥を見ると、側に寄りそうように若い雌の水鳥が、自分の口ばしで腹をつついて死んでいました。
 自分の命を捨てて、なお思うおしどりの愛情の深さに心を打たれた馬の充は、髪を切ってお坊さんになったということです。』

 菅江真澄が採録した内容と若干の違いはあるが、大差はない。
 また説明版では、歌の「日くるれば」が「日くろれば」に、「嘴(くちばし)」が「口ばしる」を誤用したのか「口ばし」になっている。
 これらの間違いは直したほうがよいと思う。
 大きな違いは猟師の名である。雪の出羽路が「馬ノ允」なのに、説明板は「馬の充」となっている。
 允(いん)は「ジョウ」とも読むが、充(じゅう)は「ジョウ」とは読めそうにない。
 ただし、猟師名は調べた資料によっては「馬の充」となっているものがあり、また、馬允、尊允、村允、村庄、など実に様々で、単なる男や、猟師、殿様、侍などと表記しているものもある。
 実は「おしどり物語」は全国各地にあり、様々に脚色されて伝わっているのである。
 今回の出典は古今著聞集だが、沙石集や今昔物語にも類型説話が載っているので、次回以降はそれらも探ってみたいと考えている。





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Last updated  2017/02/23 07:00:16 AM
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