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カテゴリ:日記
「ほりえもんの」というのは少し言いすぎでしょうか。
R30さん、flapjackさん、聞きかじりさんのところでマスメディアとネットが融合していっているというエントリがありました。(詳しくは3方のブログをご覧ください。) 堀江氏が語ってきた買収理由に挙げらている「ビジョン」であり、偶然(?)にも今回の騒動で加速されたような気がします。以前、このしがないブログのアクセス数がライブドア騒動で10倍にもなったというエントリをしましたが、まさしくその現象はメディアとネットの融合の一端をあらわしていたんでしょうね。 メディア側もそれに気づいているフシがあります。以下はR30さんの記述ですが 日経のこの判決文全文掲載というアクションは、こうした圧倒的な速報性の求められるニュースでは、インターネットに対していちいち解釈した(=タイムラグのある)ニュースではなく、スピーディーに「ニュースソースそのままを提供する」ことこそがマスメディアに求められていると、彼らなりに結論づけた結果ではないだろうか。 このような動きはますますこれからも広がっていくと私なんぞも思わされます。 堀江氏はジャーナリズムなんてそんなにたいしたものではない、というような発言をしてマスコミから総スカンを食らいましたが、今になって思えばそれもまったくの間違いではないと思います。ただ、堀江氏はチョット言い方が荒かったように思いますが。 ジャーナリズムとはhttp://socius.jp/lec/12.htmlにあるように「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。『伝える』とは、いわば報道の活動であり、『言う』とは、論評の活動である。」というふうに「べき」が使われる理念をあらわすものです。 堀江氏がこのジャーナリズムを指して「たいしたことない」なんて言ったんだとしたら、おんどりゃーなんにもわかっとらへんやんけってなもんでしょう。しかし、おそらく堀江氏がジャーナリズムといって指し示したかったのは、専業的ジャーナリストの理念・活動の集合体であったのでしょう(独特の理念や活動を行う人が多いですよね)。そして、批判したかったのは「ジャーナリズムは大変で難しくて一般の人にはできないから、専業的ジャーナリストがやってやってるんだ、門外漢は首を突っ込んでくるな」みたいな雰囲気ではなかったのでしょうか(チョットひいきしすぎ?)。堀江氏にジャーナリズムに関する質問をする専業的ジャーナリストには私もそういう臭いを感じてしまいました。 ネットだろうが、マスメディアだろうが、ジャーナリズムの重要性は変わらないものの、ネットでは専業的ジャーナリストが果たすべき役割が縮小していくことは間違いないとおもいます。ニュースソースさえあれば誰かが解釈(言う)してくれますし、もしかしたらニュースソースすら「伝えるべき」と感じた人がネットで「伝える」ようになるかもしれないからです。もちろん、すべてのニュースがそうなるわけではなくて、やっぱり専業的ジャーナリストはこれからも存在するでしょうし、新聞社や通信社が取材をやめるということもないでしょうが。やはり、さまざまなシーンで、専門の訓練とよいセンスを持った人は必要とされると思います。 しかし、ネットの出現で情報の流通コストが大幅に下がったので「専業的ジャーナリスト」という結節点に情報を集めることなく、情報を流通させることができるようになると思います。ちょうど、流通業界で卸の役割が縮小したように。 ジャーナリズムはネットを通じて多くの人の間に拡散していくのでしょう。 いや、そうならないと「タンを飲み込んだらおなかが痛くなった」とかしょーもない情報ばっかりになってしまって困ります。 面白かったら>クリックをお願いします。勇気がわいてきます! ホームページもよろしくです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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