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不破議長が京都大学で講演します 日本共産党の不破哲三議長が21日土曜日13時30分から京都大学法経1番教室で、「これからの時代と世界のこと、学問のこと」と題して学生向けに講演します。 アジア・アフリカ・ラテンアメリカの政府・政党と幅広く対話し、新しい世界の流れと直接交流してきた国際的政治家である不破さんと、日本や世界の未来、学問についていっしょに考えませんか。 ●かえるネット左京 [企画]カテゴリの最新記事
ブログを拝見しまして、共産主義を信奉しているとのことでひとつお聞きしたいことがあるのですが、歴史を見ますと共産主義国は粛清と称して世界でもっとも人を殺しているという事実があるのですが、いかがお考えですか?(2005/05/23 12:55:19 PM)
Jargonさん
>日本共産党の見解は、まだ社会主義・共産主義に到達した国はない。ということです。 目指している国としては、中国・キューバ・ベトナムを挙げていますが。。。 社会主義と言うとソ連を挙げる人がいますが,ソ連は官僚主義・国民抑圧の社会主義とは似つかない国だったと言うのが、私たちの見解です. 日本共産党も干渉・攻撃されましたが、主張を貫き通しました。 ソ連が崩壊したときは、歓迎するという声明を出しました。 国民が主人公であって、その権利を守る立場で運動の先頭に立つ政党だと思います。(2005/05/23 07:30:18 PM)
とが@ログアウト状態さん
>>日本共産党の見解は、まだ社会主義・共産主義に到達した国はない。 主義は正しいがやり方が悪かったということでしょうか。 しかし共産主義国の多くは国民の大量虐殺という経験をしていますね。しかし日本は戦後資本、民主主義を掲げ、その結果ODA第2位の世界最大の経済国家、支援国家になりました。これは主義は悪いがたまたまうまくいったということでしょうか。 >目指している国としては、中国・キューバ・ベトナムを挙げていますが。。 中国は今日本とは比較しようもないほど役人の汚職と貧富の差の拡大が続いています。中国では役人は賄賂は当然の権利という意識があるらしく、実際身近な例では、中国道路の料金所は常に表示価格より高いです。また中国の一人っ子政策では、もし子供が二人以上いる場合は、政府にお金を払わなければなりません。貧しい家庭の子供は戸籍に入ることができず、いわゆる黒孩子として、学校に通うこともできなません。これらは共産主義の言う「平等」とはかけ離れている現実があるよう思います。資本主義の日本は教育は平等ですが、中国ではお金がなければ最低限の教育どころか、戸籍にもはいれません。なぜ日本より多くの問題を抱えた国を目指すのでしょうか。 >ソ連は官僚主義・国民抑圧の社会主義とは似つかない国だったと言うのが、私たちの見解です. これは本当のロシアではない、といっていたロシア人がいました。 >国民が主人公であって、その権利を守る立場で運動の先頭に立つ政党だと思います。 これだけ長い歴史で、共産主義を掲げた国はすべからく失敗(国民の虐殺等)している現実を見ると、まだ本当の共産主義に達した国はない、というのは詭弁に聞こえてしまうのですが、いかがでしょうか。 (2005/05/23 09:33:03 PM)
Jargonさん
共産主義を掲げた国も科学的に見る必要があります。 共産党の見解では、資本主義や社会主義・共産主義という区分は生産方法(生産手段を誰が握っているか)ということで判断しています。 日本は資本主義社会ですから、生産手段(工場・機械)は資本家が持っています。私のような労働者は労働を売って賃金をもらっている社会です。 今の日本を見ていると、資本家だけが大もうけできる仕組みになってますね。例として法人税がどんどん負けられる代わりに、一般庶民が払う消費税などは上げられようとしています。 政府財界が一体となって国民を抑圧している社会といえます。しかしそれは、限界がきます。 共産党が展望している社会主義・共産主義の社会は、この生産手段を社会のものにするところから始まります。これを説明するのには数時間かかりますが、簡単に言えば、資本家が好き勝手に運営するのではなくて、国民がみんなで決めて生産活動を行う社会。 こういう社会を目指しています。まだ地球上では到達した国はありませんが、日本では資本主義の矛盾を乗り越えて社会主義になると展望しています。 詳しくは日本共産党の不破議長が書いた「科学的社会主義を学ぶ」を読むとわかりやすく書かれています。(2005/05/27 07:16:05 PM)
とが@ログアウト状態さんさん
コメントありがとうございます。 まずお聞きしたかったのは先にあげた日本共産党が目指す中国は、日本とは比較すらできない役人の汚職、貧富の差、夥しい人権侵害、他国への侵略、自由な言論の禁止、他さまざまな問題をかかえている事実をどうお考えになるか?ということです。例えば死刑の数、割合ともに中国が一位です。 >今の日本を見ていると、資本家だけが大もうけできる仕組みになってますね。 現在日本の法人税は、不況によりバブル期から下がったと言っても実効税率は40%と他国と比べるとはるかに高い税率です。それは国と資本化がグルになっているというものではなく、節税に関しても日本ではあらゆる節税策を法律により封鎖しています。最近では「事実認定」として何でも税として解釈しようとしています。 所得税に関しても日本では稼げば稼ぐほど累進課税により上限50%に向かって税金として徴収されます。いくら稼いでもその半分を税金とされます。 故に現在の日本の財源の3/2は数%の人でまかなわれています。そして多くの「労働者」がその恩恵を受けていると思います。 さらに今の日本の税制ではどんな資産家でも3代続けばそのすべてを国が徴収できる仕組みになっています。 (2005/05/28 03:10:19 PM)
とが@ログアウト状態さんさん
>政府財界が一体となって国民を抑圧している社会といえます。しかしそれは、限界がきます。 今年の納税額一位はサラリーマンの方でしたね。 東西ドイツを見れば一目瞭然です。文化も技能も知識も同程度の人々が、一方は圧制と悲惨、もう一方は自由と豊かさがあり、たとえソ連を批判しても共産主義が科学的に証明されたと思います。 >共産党が展望している社会主義・共産主義の社会は、この生産手段を社会のものにするところから始まります。 社会とは?ここに曖昧さと矛盾を感じてしまいます。国民だといっても、1億人で管理する、などは無理でしょう。となると結局は… >資本家が好き勝手に運営するのではなく 好き勝手ではなくそこには市場という評価、結果があり、利益を生み出せば社会に貢献していることがわかり、なければ倒産しまいます。それが言うならば社会というものではないでしょうか。 今日本ではもともと資本などなくても新たな価値、サービスを生み出すベンチャー企業が現れ、昨今の銀行や大企業を見るまでもなく、資本や生産手段はあっても価値を生み出せない企業は淘汰される時代です。資本や生産手段などだけで見るマルクス主義では説明ができないと思います。 >こういう社会を目指しています。まだ地球上では到達した国はありませんが、 やはりどうもわからないですね。共産主義国と日本を比べるまでもなく、はるかに日本のほうが豊かなので。(2005/05/28 03:11:53 PM)
Jargonさん
>とが@ログアウト状態さんさん 横レスですが、 具体的に日本で起こっている事例をあげると分かりやすいと思います。 資本主義社会だと避けることのできない問題が過剰生産ですね。不況になります。 不況なのに高額納税者はここ数年でけっこう増えましたねー。貧富の差が増大したということです。 いらない空港や道路はたくさん作るくせに、保険料や医療費の国民負担はあがる一方。国民のための予算の使い方ではない。 確かに日本は豊かですが、こういう矛盾を正していったらもっと豊かになります。本当に国民のための政治・予算の使い方をする政府になっていくことが、社会主義・共産主義社会になっていくと思いますよ。 資本主義を乗り越えて社会主義・共産主義になっていくのだから、中国のような経済的に遅れた国ははまだまだ先の先ですね。 日本は比較的近いと思いますが。。(2005/05/30 07:29:01 PM)
Jargonさん
>論理が稚拙で誤謬が多すぎるので無視します。 そういう発言は議論をしていく上でよろしくは無いでしょう。あなたへのレスなのです。(2005/07/13 11:54:39 PM)
さて、かなり昔のスレッドであるのでご本人が見ていらっしゃるかどうかはわかりませんが、幸いにも今の僕には暇もあるし、看過できないような言説が放っておかれている状況が耐え難い(あぁ、まだまだガキだな、俺も)ので、以下長文になるとは思うけれども、私見を述べさせていただくことにしましょう。
あくまで私見であって、JCPの意見とは違うこともありうることに特に注意して読んでいただきたいと思います。(似てるところはめちゃくちゃあるけれど、それは私が党員だからです。)(2005/07/14 12:00:37 AM)
さて、議論のスタートととして強調しておきたいことが一つあります。それは現存する、あるいは過去に存在していた「社会主義国」や「共産主義国」と日本共産党の目指す、社会主義・共産主義というのはまったく別物である、ということです。
まずこれが非常に大切です。上の議論ではJargonさんがこれをしっかりと承認していないために、議論が食い違っているのです。 これを承認することは難しいかもしれませんが、とりあえず無理やりにでも承認してください。でないと話が始まらないのです。 よろしいでしょうか?ついでに上の議論の中で気になることを一つ付け加えておくと、民主主義と共産主義は決して背反するものではありません。(実際存在した「社会主義国」では民主主義はありませんでした。それは真実です。だからこそ、日本共産党はそれらの「社会主義」を批判します。) なぜなら、民主主義とは、政治を動かす方法の一つであり、社会主義とは、経済を動かす仕組みの一つであるので、これらは次元が違うものです。(2005/07/14 12:15:51 AM)
では、日本共産党の言う社会主義・共産主義とはいったいナニモノなのか?次にこれを述べねばなりますまい。
端的に答えを言ってしまえば、社会主義・共産主義とは、「資本主義の時代の次にやって来る時代の経済のあり方」です。 いや、わけわからないし、意味不明ですね。実際その通りだと思います。実はこのことをきちんと述べるには相応の準備が要るのです。まるで数学の定理を理解するときのように。以下でそれを述べていくつもりですので、辛抱して読んでみて下さい。 さて、上の定式で問題にすべきなのは、「資本主義の次の時代は本当に存在するのか?」ということ、そして「もし存在するなら、それはどのような時代となるのか?」ということでしょう。 実際、マルクス・エンゲルスが社会主義や共産主義について書いているのはこの問いに対する考察くらいでしょう。 これらの問いに答えるには何をすべきか?それは当然、資本主義の研究に他なりません。これがかの有名な『資本論』です。(2005/07/14 12:29:48 AM)
以上のような訳で、私たちは次に資本主義の分析へと考察を進めましょう。
資本主義の研究でもっとも大切なことは、資本主義の、資本主義たる所以、資本主義の本質的な特徴を理解することです。 このことを強調するのは、マルクスの挙げた偉大な業績の一つがこれであったからです。彼は、史的唯物論という独特の世界観(と言ってもドイツのヘーゲル哲学とイギリスの唯物論がその源流にあったのですが)によって、人間の歴史を分析し、長期的に見れば、「人間の経済活動のあり方が歴史の動きを決定付けること」そして、「偶然の積み重ねに見える人間の歴史にも、長期的に見れば科学的法則が存在している」ということを見出し、この地球上には資本主義とは本質的に異なる時代が存在していたこと、そして今後も存在しうることを発見したのでした。 これらの法則が100%正しいとは思いません。その正しさは実際の社会の歴史の中で検証されるべきことであります。しかしながら、これらの法則の認識が社会科学の発展に寄与していることは間違いないでしょう。 「史的唯物論」とはバリバリの左翼用語に見えますし、怪しい印象を持たれるかと思いますが、ここでは説明が長くなってしまうので述べません。かいつまんで言えば「社会・歴史を動かす原因は社会の中に探すべきだ」ということくらいです。(かいつまみすぎですが)これについては、エンゲルスの『空想から科学へ』(岩波文庫にもある)や『フォイエルバッハ論』(新日本出版)に詳しく述べてあるのでそれを読むといいでしょう。あと、手前味噌になりますが、不破氏の『科学的社会主義を学ぶ』にもわかりやすく書かれています。(2005/07/14 12:59:13 AM)
さて、その3では「この地球上には資本主義とは本質的に異なる時代が存在していた」と述べました。それをマルクスの分類に従い、具体的に述べれば、原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義です。
これら4時代を分けているのは何かと言うと、生産性の高低と、それに応じた生産関係のあり方、そして、生産関係のあり方に依存して定まる「剰余価値」の分配のされ方です。 この分類のやり方は、先にも述べたマルクス自身の「人間の経済活動のあり方が歴史の動きを決定付ける」という考え方から来ています。 なので、もう一度注意をしておくと、「その分類が正しいか?」、「さらには歴史を研究するうえで意味を持つか?」ということは実際の社会や歴史の研究の中で検証されねばならないことです。(「理屈が合っているから正しい」というのは大嘘です。) さて、上の説明でまた新しい言葉を使いましたので、蛇足かもしれませんが説明をしておきましょう。 生産性とは、平均的な1人の人間が1時間の労働で生産できる量のことです。 米作を例に取れば、昔は田植えや稲刈りを村人総出で一日がかりでやっていたのが、機械のおかげで1人で半日でできるようになった。こういう状況を、生産性が向上した、と言うわけです。 基本的に、生産性とは技術進歩により次第に向上していきます。 生産関係とは、社会全体で生産がどのように行われているか、ということです。 例えば、現代なら労働者が会社の持ち主から賃金をもらう代わりに工場に働きに行く、という生産関係になっていますし、原始時代ならそんな区別は無しに、男は狩猟、女は採集と、みんなで生産活動を行う、という生産関係であったわけです。(2005/07/14 01:35:56 AM)
さて、言葉の説明を続けましょう。
次は「剰余価値」です。実はこれを発見したこともマルクスの挙げた偉大な業績の一つなのです。 これもかいつまんで説明すれば、人間は「正しく」労働をすれば、価値を増やすことができる、そのときに増えた価値のことを「剰余価値」と呼ぶのです。 「正しく」と言ったのは、価値を増やさない労働もあるからです。 例えば、新品の車を壊すことなどはそれにあたるでしょう。この行為は確かに疲れます。人間の体も動きますし、頭も使います。でもそうやって「働いた」後にできたものはただのゴミです。ゴミに価値はありません。よってこの「労働」は価値を増やしていません。(むしろ減らしてさえいます。) 「価値を増やす」というところにも注意をしておきましょう。例としてパン屋さんの労働を考えます。 パン屋さんは小麦粉からパンを作ります。当然、ただの小麦粉よりもパンの方がおいしいわけで、価値も大きくなっています。しかし、「価値を増やす」とは単にこのことを指すのではありません。 小麦粉からパンを作る過程において、パンを焼くかまどや、生地を伸ばす棒などが磨耗します。それを補うための費用は除かねばなりません。 さらに大切なのはパン屋さんの肉体もまた疲弊する、ということです。これを癒すための費用も除かねばなりません。 そういう諸々の費用を除いてもなお、価値が増えている、と言うのです。そしてこのことが実は、等価交換である市場において、利潤が生じてくる原因なのです。(2005/07/14 01:58:05 AM)
これは真に驚くべきことです。商品の価値が、それを作るのにかかった諸々の原材料費や、消耗費の総和よりも多くなっているのですから。
しかしながら、冷静に考えればこれは当たり前です。 というのも、上記のような事態が起こる原因は、人間が一日労働するために必要とするモノより、人間が一日労働して生産できるモノの方が多い、ということにあるからです。 言い換えれば、人間が一日活動するために消費するモノ(すなわち、1日分の労働による疲弊を癒すための物資)を生産するのには、人間が丸一日働く必要はないということです。この差が「剰余価値」を生み出すのです。 これは当たり前のことで、もしそうでなければ、人間がどれだけ一生懸命働いても、社会全体としてはまったく豊かにならない、と言う事態が生じてしまいます。この結論では現代日本の状況と矛盾してしまいますね。 この文章では「価値」と言う言葉をかなりいい加減に用いています。「価値」や「剰余価値」という言葉の意味を正確に知りたければ、マルクスの『賃金、価格、および利潤』(新日本出版、岩波文庫にもある)にコンパクトにまとめられています。(理想的には『資本論』を読むべきでしょうが、長すぎるし、さしあたっては『賃・価・利』で十分でしょう)(2005/07/14 02:17:40 AM)
ページの更新を何回かしたら、間違って3重投稿になってしまいました。見難くしてしまって申し訳ないです。
さて、以上の、その4~その6までで必要な概念の準備は終わりました。実際に、各時代の特徴をざっと追っていき、資本主義の本質的な特徴とその問題点にいたるまで一気に述べていきましょう。 まず人間社会が最初に経験するのが原始共産制です。この時代は、生産性がまだ非常に低いため、剰余価値はほとんど存在しません。人間は誰でもいつでもその日暮らしの生活を送らざるを得ず、働く人間と働かない人間という区別は存在しない時代です。日本では縄文時代ごろがこれに相当します。 やがて人間は農業や酪農といった生産性のより高い生産方法を発見します。これらの技術をいち早く習得し、高い生産性を得た部族は、技術導入の遅れた部族を支配下に組み込んでいきます。 支配下に置かれた部族は奴隷として所有されます。こうして、原始共産制は奴隷制の時代へと移行します。 奴隷制の時代には、生産はすべて奴隷が行い、生産のための手段、すなわち土地は奴隷主が所有し、さらに労働を行う奴隷までもが奴隷主の所有物となっています。当然、労働による剰余価値はすべて奴隷主のものになります。 日本では、弥生時代から奈良時代ごろまでがこれに当たります。(2005/07/14 04:29:48 AM)
さらに生産性が上がると、どうなるでしょうか。奴隷制では奴隷主が生産物の全てを得ていたのですが、生産性が上がれば、生産物全てを得る必要はなくなります。
そもそも、奴隷を所有し、その生産物全てを収奪するというのは、反乱の可能性を常に含む、リスクの高い生産関係と言わざるを得ません。 なので、生産性が向上し、そこまでする必要がなくなれば、より穏当な生産関係へと移行するわけです。 これが封建制です。封建制の時代には、生産の手段である土地は封建領主(日本風に言えば殿様)が所有しますが、生産者である領民は数多くの制限を受けてはいるものの(土地を離れてはいけない、職業を変われない、など)、ある程度の自由を持っているわけです。領民が生産した剰余価値は年貢という形で封建領主に奪われます。 また、都市では、領主の保護の下に職人たちが独占的な組合を作って工業製品を作っています。 日本でいえば、平安時代から江戸時代ごろまででしょうか。特に江戸時代は封建制の完成した、典型的な時代とも言えるでしょう。(2005/07/14 04:46:40 AM)
封建制の次に訪れた時代が、資本主義の時代です。
このときの変化は、ギルド的・職人的な生産の中から、工場制手工業が生じてきたことがきっかけとなりました。 工場制手工業では、土地も工場も持たない(すなわち生産のための手段を何も持たない)労働者が、工場に雇われ、分業によって生産を行います。職人が一人きりで生産を行うよりも、分業によって生産をした方が生産性が良いのです。 もちろん、この変化の裏には技術進歩があったに違いありません。生産の機械化がある程度進むこと無しには分業など起こりうる余地は無いでしょう。 こうして発達を始めた工業制手工業は、やがて職人的な生産を守るために作られた封建的システムと衝突を始めます。これが市民革命となって、政治の世界に現れてくるのです。 大体こういった過程で、生産手段を持たない労働者が、それを持つ資本家に雇われて生産を行うという、資本主義的な生産は始まりました。 ここで注意をしたいのが、労働者も資本家も悪ではない、ということです。資本主義の時代では、互いに対立はしますが、互いに必要としているのです。 なぜなら、生産手段を持たない労働者は、労働力を売る(=雇われる)ことによってしか生活ができないのです。労働力の買い手たる資本家がいなくなれば困ります。 資本家はその大きな工場を動かすだけの労働力を持ちません。労働者がいなければ工場など動かせないのです。 事実、資本主義の成立には、都市人口の増大による労働者階級の増大が必要です。それはイギリスではエンクロージャーにより、日本では地租改正により実現されたようです。(2005/07/16 12:39:21 AM)
ここまで長々と資本主義成立に至る歴史を、かなりいい加減に見てきました。僕自身の知識が不足していることもあって、かなりあやふやですし、ときには間違っている記述もあると思います。
しかしなぜ、そのようないい加減な記述をするのか、と言えば、「長期的に見れば、生産関係のあり方こそが、歴史を動かしていく根本原因である」という視点を理解していただきたかったからです。 この視点こそが、マルクスが資本主義を分析する出発点となったものであり、彼に資本主義の終焉、そして社会主義・共産主義の到来を予想させたものであると思われるからです。 しつこい程に何度でも注意しますが、この歴史観の正しさはあくまでも歴史の中で検証されるべきです。マルクスが言ったからこそ正しいのだ、では「科学的」社会主義の名が折れます。 しかしながら、今の僕には上のような歴史観は一つの真実を言い当てているように思えます。(2005/07/16 12:52:50 AM)
長記にわたる論文ありがとうございます。
社会の中に存在する矛盾が社会を変える・動かす原動力なのです。 生産力の発展が生産体制(生産関係)を変え続けていくならば、この社会は必然的に資本主義を乗り越えたより効率的な社会に変わることでしょう。(2005/07/25 04:43:52 PM)
ichidaさんへ
疑問ですが、「社会主義、共産主義は存在するのか」を問うために資本主義の研究をすると述べながら(こんな問題設定、マルクスがしていたとは思えませんが)、資本制の「前史」で終わっているのは何故でしょうか? あと、奴隷制の終焉の問題を、「生産性が向上し、そこまでする必要がなくなれば、より穏当な生産関係へと移行するわけです」などとのみ記されるのは明らかな歴史修正主義だと思いますが。 もう一つ。「資本主義の時代では、互いに対立はしますが、互いに必要としているのです」と記されていますが、これには半分同意しますが、ならばどのようにして労働者階級が革命を起こすという方向に至るのでしょう?これも生産力の向上による生産関係の矛盾が原因?(2005/07/30 07:37:45 AM)
ステゴマさん
>疑問ですが、「社会主義、共産主義は存在するのか」を問うために資本主義の研究をすると述べながら(こんな問題設定、マルクスがしていたとは思えませんが)、資本制の「前史」で終わっているのは何故でしょうか? すみません。ただ単純に忙しくて時間が無くなってしまったからです。そのうち時間を見つけて続編を書きたいと思っています。 >あと、奴隷制の終焉の問題を、「生産性が向上し、そこまでする必要がなくなれば、より穏当な生産関係へと移行するわけです」などとのみ記されるのは明らかな歴史修正主義だと思いますが。 その通りだと思います。僕がここで書いている文章の中には間違いやあやふやな点が非常に多いと思います。その点については適宜文献を示しているので、それで補ってもらいたいです。本当に申し訳ないです。 そんないい加減なものを敢えて書く理由は、「たとえ大雑把で重大な間違いがあるとしても、一つの理論の筋道を知っておいた方が、より真実に近づきやすい」という僕自身の勝手な信念によるものです。あなたのように批判的に疑問を持たれ、より理解を深めていただけるなら、それに越した喜びはありません。 (2005/08/21 08:51:18 PM)
>もう一つ。「資本主義の時代では、互いに対立はしますが、互いに必要としているのです」と記されていますが、これには半分同意しますが、ならばどのようにして労働者階級が革命を起こすという方向に至るのでしょう?これも生産力の向上による生産関係の矛盾が原因?
封建制の時代でも、それが一つのシステムとして安定していた時には、封建領主と領民は互いに対立はしながらも、互いに互いを必要としていた訳です。 しかし、封建制の生産システムが次第に時代遅れな物となってきた時、互いに互いを必要としている側面は失われ、対立関係のみが表面化し、やがて新しい生産システムに適合した階級関係が現れてきた、それが政治的な側面では市民革命として現れた、と理解しています。 資本主義から社会主義への移行もほぼ同様なものだと僕は考えます。資本主義のシステムが生産力の向上と適合しなくなった時、それが新しいシステムに取って代わられる、それが、政治的には革命(=政権の担い手の交代)という形で現れるのです。(2005/08/21 09:03:48 PM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |