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カテゴリ:Pに思うこと
息子も娘も、宿題がさっぱり終わっておりません。悪いところが父に似てしまいました。なもんで、今日はふたりが宿題するのを監視、の一日でありました(手伝ったりはしません)。
わたしがりうりう姐やあそびすとさん、★のん★きっずさんたちと知り合うきっかけになったのは、りうりうさんちの『PTAは本当に必要か。』ってエントリでありました。“PTA”“会長”なんてワードでググっているうちにたどりついた先で、熱く前向きに学校にかかわっていこうとする方々を知ったわけです。 でもって、そうした方々が、PTA活動のあり方について思いを馳せていらっしゃるわけで、こりゃわたしも何かコメントせねば、と思うものの、うまく言葉がまとまりません。 (うまくまとまんないけど、お三方にトラバさせていただきます) 『PTA活動はこうであるべき』ってのが、あんまりないんですわ。 いや、理念として『保護者たるもの、わが子が通う学校について把握し、教育活動にできるだけの協力をするべきだ』と思っていますよ。で、把握するためには学校に行かなきゃいけないし、先生と話をしなきゃならないわけで、それを後押しするようなすべてのPTA活動は、中身が何であれ、わたしは肯定しちゃうわけです。 “義務教育”の概念を持ち出すまでもなく、わが子をそれなりのオトナに育てることは親たるもんの責務で、その責務の中にはPTAなどを通じて学校にタッチすることも含まれるんじゃないかな。 こうした感覚が保護者すべてに共通するものかって言うと怪しいし、ましてPTA活動が親の責務だなんて意見には異論ざくざくだろうけれど、わたしはそう思ってるわけです。はい。 そもそも学校って何のためにあるの? ってのを原点から考えてみます。 わが子にそれなりの教育を施そうと思ったとき、親の力だけでできることは限られている。まあ、こと知育に関しちゃ、それなりのことができる親も少なくないでしょうけどね。でも、社会性なんてのを身につけさせようと思ったら、たくさんの子どもやオトナの中で、いろんな関係性を体験させるほうがいい。 さてここに、子どもを持つ家庭が100軒ある地域があったとします。そのうち10軒ぐらいは、親が教育を受けていたり、財力があったりして、わが子に教育を施すことができる。でも、家庭教育だけでは社会性を身につけさせるのが難しい。残り90軒には、そんなゆとりはないけれど、わが子に教育を施してやりたいという思いは持っている。 んだから、100軒の親たちが、地域の力も借りて、学校を作り、わが子を通わせることにした。 このとき、親たちは何をするべきなんでしょう? お金に余裕がある人は、学校の施設を充実させたり、先生を雇ったりするために資金を提供するでしょう。豊かでなくても、それぞれの家庭の許す範囲内でお金を出す。ぜんぜん出せない人だっているだろうけど、それはしょうがない。 お金だけじゃなくて、学校の運営だって手伝うでしょう。施設の掃除をする人もいれば、先生にお弁当を作る人もいる。みんなができることをする。自分たちが作った学校なんだから、その運営方針、どんな教育を子どもたちに施すか、どんな教師を招くかについて意見も言い合って。 隣村の学校がすばらしいと聞けば、そこを見に行って、できることは真似する。それをやるのも、やっぱり親たち。 たぶん、創立130年とかいう小学校の初期の姿は、こんな感じだったんだと思います。親よりも、村の有力者の資産や意向が大きく物を言ったんでしょうけどね。 んで、現在。わたしたちは税金を納めるということを通じて、130年前の親たちが学校に対して果たしていた責務を果たしていることになっています。学校施設を管理維持したり、教師を配置したり、どんな教育を施すかについては、税金を納めることによって、教育委員会という名の専門家に『やらせて』いる。 教育は専門家に任せりゃいい。親はがんがん働いて税金を納めさえすりゃいい。そういう方向を高度成長期の日本は目指していたんだろうし、経済効率からすると確かにそのほうが効率的。学校のことは教育委員会と教師たちに任せておけばOK。親は、教師から何か頼まれれば手伝うだけ。 高度成長期には、そういう方向性で日本じゅうの学校が運営されてたんじゃないかな。 でも、どうもそれじゃ上手くいかないんですね。大切な教育方針を決める教育委員会は、あんまり現場のこと知らないみたいで、現場の悩みはなかなか解決されない。ましてや、地域ごとの実情、親たちの思いを反映した教育となるとなかなか。 だから、やっぱり税金を納めるだけじゃなく、学校の運営に親が関与していくべきなんだと思います。できる範囲で。できない人もいるだろうけれど、その人の分は余力のある人がカバーして。 あと、子どもたちを育てるとき、できるだけたくさんの人、たくさんのオトナと触れ合いうことが大切なんじゃないかな。 ふたりの親と、ひとりの担任だけをオトナのモデルとしてたんじゃ、子どもたちが自分の将来像を見据えるときに不自由だと思います。 いい人も悪い人もいて、いい人にもダメな点があり、悪い人にもいいところがあり、自分に合う人も合わない人もいて、それが社会。その社会の中でしたたかに生きていかなきゃいけないんだもん。 というわけで、保護者は学校の様子を知るべきだし、先生のことを知るべきだし、自分の思いを伝えるべき。 そのためにはどうすればいいの? まずは学校に行ってみなきゃ始まらないんじゃない? そーいうことだと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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