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生まれながらの自分は煩悩の自分であり、罪人の自分です。この自分を頼りにして生きていますと、その人は必ず死んでしまいます。自分が自分ではないと考えても、だれも文句を言いません。自分ではない存在、人格を見つけるのです。
命を知りたい、神を知りたいと考えますと、新しい命の風が吹き込んでくることになるのです。幸いになりたいとか、死んでから天国、極楽へ行きたいと考えたらだめです。そうすると現世の自分に逆もどりしてしまうからです。 命とは何であるかを考えると、日本人的な考えから逃げ出すことができるのです。日本人の常識に捉われないで、考えることができるようになります。 地球が何のために造られたかという、根本的な大問題があります。こういうことに、勇敢に突っ込んでいくような気持ちがなければ、本当の命は分かりません。 命はたった三しかありません。皆様は命は自分のものだと考えているでしょう。これが間違っているのです。 一体人間とは何か。何のために人間は生まれてきたのか。これを知るためには、神を知らなければならないのです。 新約聖書へブル人への手紙に、must believe that he isという言葉があります(ヘブル人への手紙11・6)。神がisであることを、信じなければならないというのです。 皆様の目がなぜ見えるかということです。消化機能は何かです。これが神です。目が見えることが神なのです。皆様の足が動くこと、手が動くことが神です。この神を知るのです。 私たちは自分で生きているのではなくて、神を生きているのです。生きているということが神ですから、神を生きていることになるのです。 イエスが地上に現れたことが、地球に新しい歴史が始まったことを意味しているのです。イエスが死を破って復活したことが、すべての人の命が新しくなったことを意味するのです。これは歴史的事実です。 現在の学問は、イエス・キリストの復活を全く取り上げていません。生活のことしか考えないのです。これがユダヤ人のトリックです。今の世界には大きいトリックがあるのです。 ユダヤ人はイエスの復活を認めたくないので、それに変わるものを造ったのです。これが学理学説、専門学、文明です。イエスの復活を全く覆い隠して、専門学、文明だけを信じるように仕向けたのです。 聖書は人間文明のことを偽キリストと呼んでいます。人類に偽キリストを与えて、本当のキリストを隠してしまった。これがユダヤ人の恐るべきトリックです。このトリックのために、人類は死に続けなければならないのです。二千年間も死に続けているのです。私はこのトリックをどうしても覆さなければならないと考えているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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