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かじゅまるの空

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2008.05.09
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カテゴリ:大切な想い

 

 「あなたが尊敬する人は誰ですか?」

と誰かに聞かれたら、私は迷わずこう答えます。

「私の妹です。」と。

 

 私の妹は4歳のときに急性リンパ白血病にかかり、

9歳の若さで天に召されました。

私と妹は、ちょうど11が月違いの年子で、

双子のように育ちました。

何をするにも一緒、いつも一緒でした。

喧嘩をしてもすぐに仲直り、

そしていつものように笑い転げていました。

 

 私の家族は7人家族で、兄弟が5人いたのですが、

上の姉兄とは年が離れていたので、

妹が生きていた頃が家族全員で暮らせた

大切なとても楽しい時間だったのです。

 

 あるとき、妹が風邪にかかりました。

小児科のお医者さんに診てもらって、「風邪です。」

と言われていたので、家族全員がただの風邪と思っていました。

しかし、熱がずっと下がらず、

毎日足が痛いと激しく泣くようになりました。

 

 大きな病院にかかったところ、白血病ということが

判明しました。 

当時白血病は骨髄移植という治療もなく、不治の病でした。

とくに子供の白血病はがんの転移が早く、

余命も短いものでした。

 

 そのころ私は5歳で、白血病が血の癌だと聞いても、

よく分からず、「とにかく大きな病気に妹がかかったんだ。」

と漠然と認識していたように思います。

 

 そして妹の闘病生活が始まり、

今までの生活ががらりと変わりました。

妹は抗がん剤治療のため入院、

母も付き添いで寝泊りの生活が始まりました。

上の姉と兄は大学進学で一人暮らしを始め、

父と中学生の姉と3人暮らしになりました。

 

 妹は抗がん剤・放射線治療のため、

ムーンフェイスと呼ばれる顔になり、体が異常に太りました。

そして髪の毛がごそっと抜け始めました。

私の妹はとても女の子らしくて、おしゃれが大好きな

可愛い子供でした。

体が太り、妹の髪が抜けてなくなってしまったとき、

妹は泣いていました。

しかし、妹はかつらを1度もつけませんでした。

「私じゃなくなる気がするから。髪がないのも今の私だから。」

と言っていました。

 

 母が、妹に絵本を買ってきました。

題名は忘れてしまいましたが、白血病の女の子のお話しで、

白血病ががんであるということ、

どんな治療法をこれからしていくのかが分かりやすく

書いてあった本でした。

 

母から妹と一緒に読んでもらいました。

読み終わってから、妹が、

「お母さん、私、死ぬの?」 と聞きました。

母は、「今はね、白血病を治す薬はできていないの。でもね、

しっち(妹のニックネーム)が頑張っていたらいつか治す薬が

できるかもしれないよ。だから頑張ろうね。」 と言いました。

 すると妹が、

「分かった。1パーセントでも治る可能性があるなら、

私、頑張るから!」 

と言って、その日以来、ルンバールという背骨に太い鍼を刺す

検査も、抗がん剤の副作用も、放射線治療も

1つも 「辛い。」と弱音を吐かず、約5年間治療を続けました。

 

 小学校入学のとき、養護学校ではなく、

普通の学校に入学しました。

入学式の日、妹が泣いて帰ってきました。

同じクラスの男の子に、「ドラえもんがいる!」と

髪の毛がなかったため、からかわれたのです。

「私の病気のことを知らないから、しょうがないよね・・・。」

と妹は言っていました。

私はとても悔しくなり、次の日、その男の子を探し出し、

「妹は病気なんだー!ドラえもんなんていうな~!」と

すごい剣幕で泣きながら叩いたのを覚えています。

 

 いつも妹はどんなに辛くても笑っていました。

そして人を思いやる優しさを持っていました。

 

 妹が亡くなる3日前のことです。

 

癌が全身に転移し、妹の体の痛みはピークになっていました。

そして鼻や口から絶えず出血するようになりました。

母はずっと寝ずに妹についていました。

そして妹の症状が少し落ち着いたとき、

母が3分という短い間眠ってしまったそうです。

3分後、起きてみると、シーツが血の海になっていて、

妹がたくさんのティッシュを口に当てていたのです。

「しっちゃん、どうしてお母さんを起こさなかったの?」

と母が聞くと、

「だって、お母さん、私の看病をずっとしていて、

疲れていたでしょう?少しでも寝せてあげたくて・・・。」

と妹は言いました。

 

 母はいつも言います。

死の間際にある小さな子供が、どうして人のことを

こんなに思いやれるのだろうか、あの子は天使だよ、と。

 

 妹が亡くなった日も、

妹は最後まで命を輝かせようと頑張りました。

危篤の知らせを受けて病室にかけつけたとき、

妹は息をするのもやっとの状態になっていました。

ただ、モルヒネを打ったので痛みは少しおさまっていたようです。

 私はそのとき10歳でした。意地っ張りの私が、

「しっち、頑張って。またけんかしようよ。」

と声をかけると、妹がこう言いました、

「けんかは嫌だよ。またおねえちゃんと遊びたいな・・・」

そして心臓が止まっても、家族の呼びかけに応じるかのように

7回も心電図が動き、生き返ったのでした。

 

 病室は個室でたくさんの人がいて、夜中を回っていたので、

私は疲れて隣の病室の空きベットに眠らせてもらいました。

 

 私は夢を見ていました。

真っ暗な闇の中に一人で立っています。

妹がぼうっと浮かび上がるように出てきました。

妹は髪も伸び、元気にそうでした。

「しっち、元気になったんだね。良かった。」

と私が妹に駆け寄ろうとすると、すーっと妹は遠ざかっていき、

「お姉ちゃん、ありがとう、バイバイ。」

と言って消えてしまいました。

 

 そのとき同時に姉に起こされました。

姉が涙でくしゃくしゃの顔で言いました、

「今ね、しっちが天国に逝ったよ。」

 

 あれから、24年の時が過ぎました。

私にとって妹は今でもかけがえのない存在です。

彼女は、私の「愛の原点」です。

妹が、『無償の愛』とは何であるかを、

本当の強さとは何かを身を持って私に教えてくれました。

 

 今年、恩師の久美子先生がリーディングをしてくださったとき、

「妹さんがね、こう言っていますよ。

みんなが私のことを『天使だ』と言ってくれるけれど、

あなたにも、あなたの家族皆に天使の要素があるって。

みんなに愛を感じる心があるから天使だって思えたんだって。」

と言ってくれたのです。

そのことばを聞いたとき、胸がいっぱいになりました。

 

 私の中にも妹ほどではないけれど、

キラキラした愛があるんだと。

そして妹が教えてくれたことを

家族全員が大切にしていることがとても嬉しかったのです。

 

 私はいつも心に留めていることがあります。

自分が孤独を感じたとき、苦しいとき、

妹のことを思い出します。

すると不思議と自分のつらさを乗り越えていきたい、

妹の分も生きるんだ!と思うのです。

 そして「愛だったら、どう思う?」と自分の心に聞いてみます。

その後、とてもあたたかい、素敵な答えを得られるのです。

 

 天使の輪ハートセラピーのまりちゃんに

催眠療法をしてもらったとき、妹が出てきてくれました。

「お姉ちゃんね、38歳になったら、赤ちゃんを産むよ。

その子は私だからね。だから絶対に産んでね。」

と言っていました。

私はとても嬉しくて、母に話したら母も涙ぐんでいました。

 

 生まれ変わった妹に会えるまで、

自分をもっと愛そう、そして磨いていこう。

そして出逢う奇跡に感謝して、

たくさんの人たちに愛を表現していきたい。

それが今の私の願いです。

 

DSCF3721.JPG

 






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Last updated  2008.05.09 19:55:30
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