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2014.12.08
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「東海併記は教育問題」の論理で州議会を説得

2014年12月08日09時28分 中央SUNDAY

今年7月1日は米国の韓国人僑胞(海外在住韓国人)にとっては特別な日だった。バージニア州公立学校のすべての教科書に日本海とともに東海(トンへ)を表記しなければならないという「東海併記法」が発効されたためだ。米国50州の中で東海併記を法で定めたのはバージニア州が初めてだ。5月末にはバージニア州フェアファックスカウンティに慰安婦碑が建設された。これを主導したバージニア州のマーク・キム下院議員(48)に先月27日会った。彼は州議会で唯一の韓国系で3選議員だ。在外同胞財団の招きで韓国を訪れた。

--紆余曲折の末、2年越しで東海併記法が発効されたが。

「この法が州議会に初めて上程されたのが2012年だった。当時は上院で挫折した。議会を説得する作業が不足していたからだ。法案を再上程する時は綿密に準備した。まず議員の共感を引き出すことが必要だった。韓国人社会が積極的に出て議員の心を動かすための本格的な活動を始めた。結局、今年3月初めに議会を通過した法案がテリー・マコーリフ州知事に移り、彼が署名することで法案が効力を持った」

--どんな論理で議員を説得したのか。

「当初、同僚議員は東海併記を国際的な問題と認識していた。東海併記を決める場合ほかの類似の懸案も全て扱わなければいけないのではという負担があった。例えば19世紀末と20世紀初めの2度にわたるトルコのアルメニア人虐殺事件に対する疑惑などだ。このため焦点を教育に合わせた。『バージニア州の子供たちにしっかり教育するためには正確な情報を提供しなければならない』と説得した。韓日間の問題だということを浮上させなかった。韓国の主張が正しいと強調することもなかった。『東海併記をするからといって韓国を助けるわけではない。大切なのは、議論になったこの問題を私達の子供たちにどのように正確に教育するか』に焦点を合わせて議員を説得した。感性的な呼び掛けもした。『バージニアに住む韓国人の高齢者たちはいまだに日帝植民統治を覚えている。自由と幸福を求めて米国に来た彼らに、過去の苦痛をずっと記憶させなければいけないのか」と問うた。結局、議会の雰囲気は東海併記側に傾いた」

--日本の反対ロビー活動が侮れなかったが。

「実のところ米国に住む日系住民らはこの問題に大きな関心がない。日本政府が積極的に妨害工作をした。佐々佐江賢一郎・駐米日本大使は日本企業の投資をかざして州知事に脅迫性の手紙を送ったりもした。バージニア州の立場としては日本は5番目の貿易パートナーだ。韓国は13番目の交易規模で相対的に小さい。このため州知事の悩みは小さくなかった。だが議会では『こんなことで日本政府が私たちを圧迫するのはバージニア州を見下したもの』とかえって反発した。日本のロビー活動がむしろ議員の気分を害したのだ」

--最も大変だった点は。

「韓国人社会の一部の人々によって誤解を生じかねなかった。特に一部の移民1世たちはこの問題に感情的にアプローチした。議会で太極旗を掲げるなど突発的な行動も見せた。米議会で大極旗を振って東海併記を要求するのはナンセンスだ。米国の市民権者として自身の要求事項を合理的な方法で堂々と主張することが重要だ。文化的な差によるハプニングだった」

--今年5月にはバージニア州に慰安婦碑も建設されたが。

「現在ニュージャージー州など米国に建設された慰安婦の碑や少女像は計11だ。バージニア州の碑はフェアファックスカウンティ政府庁舎内の芝公園『ピースメモリアルガーデン』にある。昨年からワシントンの女性団体とともに主導したが事業初期に日本人記者らが噂を聞いて取材を始めた。当時メディアに大きく報道されれば碑の建設が困難になるかもしれない判断して隠密に進めた。幸い州議会では東海併記問題で騒がしかったために日本側で碑の方には特に気を遣うことができなかった。事業が承認されて取り返しのつかない状況になってから碑の建設を公開したので大きな問題にならなかった。だが個人的には、東海併記法と慰安婦碑を反対する日本側の人々が送ってくる脅迫メールにいまだに苦しめられている」

--韓国を離れて長いが。

「4歳の時に従軍牧師だった父親についてベトナムに渡った。その後、豪州に住んで14歳の時に米国に定住した。私は米国の政治家だが、常にアイデンティティを強調して生きてきた。遊説をする時も『東洋人の声を代弁する』と強調した。選挙参謀たちは、白人が80%に達する私の地方区では多数を代弁してこそ当選に有利だと助言したが、私の考えは違った。私は白人に『あなた方が自由と豊かさを求めて米国に来たように、私も同じであり米国の繁栄と発展のためには調和がとれた社会を作らなければならない』と力説した。このためには東洋人を代弁する人々が必ず必要だという論理を展開したのだ。白人も私の話に共感し、東洋人が11%しかいない地方区で勝利できた」

--連邦議会など大きな舞台に出るつもりは。

「バージニア州は私の所属党である民主党が強勢な地域だ。現在は州議員で満足している。連邦議会に進出するには同じ党の同僚らと争わなければいけないので無理をしたくはない。政治を始めて30年になる。カリフォルニア州立大学オバインキャンパスで政治学を学んだ時から大統領選挙の遊説に参加した。政治家としてまだ時間がたくさん残っているので、他日を期することとしたい」

(中央SUNDAY第404号)





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最終更新日  2014.12.08 11:57:05



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