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酒豪倶楽部

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英語とカナダとの出会い~in Sook~

*カンザスと英語に惚れる*


"留学しよう”
そう思ったのは、高校二年生の時。第一印象”コワイ人”と卒業時のサイン帳に一番多く書かれてた見た目とは裏腹に、図書館へ行くのが趣味だった私は、いつも外国での暮らしについての紀行文を借りてきて読むのが好きでした。いつも借りてくるのは、ヨーロッパについての本だったけど、イギリスが圧倒的に多かったかな。

  そんな中で、イラストが綺麗だな、と思って手にした一冊の本があった。”大草原の小さなお話”著者でありイラストも描いてらっしゃる栗原れいかさんが、かの有名な”大草原の小さな家”の様々な場面と絡めてアメリカのカンザスでの何気ない日々の暮らしを素敵なイラストと共に綴っているお話。当時の私には、イースターやハロウィン、クリスマスなど欧米特有のイベントのお話はもちろん、ショッピングモールでの見知らぬ老婦人との会話のやり取りや、キッチンの窓を飾る素敵なカーテンの事まで見知らぬカンザスという土地でのお話に私は完全に魅了されてしまった。そのお話の中で、一人の日本人の女の子がホームステイにやってきて、パステルカラーの風船と可愛らしいお部屋に迎えられ、数週間だったか、数ヶ月だったかカンザスでの生活を体験する、というお話があった。想像力豊か(?!)な私はまるで自分がカンザスにホームステイをしているかのような気分にまでなってしまい、本を読み終わる頃には、”絶対にカンザスで暮らしてみるんだ!!”と固く決心していた。
  カンザスで暮らすとなると、留学か・・・・・。それまで英語に全く興味がなかった私、でもアメリカで生活するとなると英語が必要になってくる。よし!まず英語を勉強しよう!!と、その日から英語に対する意欲に、遅まきながら火がつき始めるのでした。

  ちなみに人生で一番私が勉強した(させられた?!)のは、中学三年の受験の時。中2の授業中に、勉強らしい勉強をほとんどしなかった私の成績は、もともとできは良くなかったけど、拍車をかけるように落下していきました。その中で、基礎を築くのには大切な時期だった英語もほぼ聞かずじまい。三年になってから、週5の塾通いで、英語も行かされるもあまり効果はナシ。正直英語を理解している!という感覚はなかった。ところが、留学を決意してからは、英語を徹底的に理解しようと分かるまで何度も参考書を引き、わからなくてくじけそうになっても、これがわからなければ英語はしゃべれない!!とまれにみる頑張りぶりで英語にしがみついていった。そして、英語の成績はみるみるうちに上がっていった・・・というのなら納得いく話なのだが、なーぜーかあまりあがらず・・・・。自分の理解力の悪さにへこみつつもくじけず頑張りはしました。
  3年の授業選択の時、とにかく英語漬けになりたかった私は、可能な限り英語の授業を取りまくろうと意気込んでいました。一番期待していたのが、Nativeの先生のクラス。ところがこの授業を取るためには、必ずラジオの英会話入門を聞きなさいとのこと。この先生のお言葉により、”ラジオ英会話入門”との運命的な出会いをするわけです・・・・。

*Welcome to Eikaiwa Nyumonn !!! *

  ラジオ英会話入門は朝6:45,正午, 夜7:00か7:15からの15分間。講師は遠山顕先生と二人のアメリカ人の先生。日常会話の簡単な一部分を抜き出して、まずはセンテンス、そしてボキャブラリー、リピート、早口言葉など、たった15分の中にいろいろ盛り込まれていて、なかなかおもしろい。最初は何を言っているのかテキストを見ないとわからないけど、なんだか楽しい!遠山先生のテンポの良い軽快な口調にひきこまれ、リピートしてしまう!リピートを繰り返してる内に段々英語らしい音に近づいてきて、なんだか英語がしゃべれるような感覚になり、もっと楽しくなってくる!絶対に毎日聞かないとダメだ!と思い、朝に頑張ってちょっと早起きをして、ラジオを聴きながら英語を繰り返し口に出して練習するというのが日課になっていった。もちろん、とても眠くて、ラジオをつけたはいいけど、うとうとしてしまい、気付いた時には、”ok! that's it for today !! Seeeeee you tomorrow!! "という時もありました。そんな時は、学校から帰ってきて夜の部を聞く・・・・そうしているうちに気付けば4年も聴き続けていました。

  その中で気付いた事は、英語は(英語に限らず外国語全てだろうけど)やっぱり口に出して練習してみるのが、スピーキングにおいてとても大切だという事。英語圏で、暮らさないと英語の発音はできない、という事は必ずしもないんじゃなかな。全然発音も発声法も違う言葉を話すわけだから、やっぱり練習するっていうのが大事だと私は思っています。何度も何度も繰り返し、口に出してみて、たくさん読んでいる内に、どこを強く発音すべきなのか、とか、一つ一つの音はこうだけど、続けて読んだ時にどんな音になるのか、という事が自然とわかってくる。と、偉そうな事を言っても、私はまだまだ勉強の途中ですが・・・。(笑)

*初めての海外での生活!*
  さて、留学を目指し勉強していた私、或る日先生から”短期ホームステイ”っていうのがあるんだけど、行ってみる?と持ちかけられたのが高校2年の終わり。短期・・そうだなぁ、まず短期でホームステイしてみて、もしあわなかったら、長期の留学もお金の無駄になる前に辞めれるし、とっても楽しかったら、留学に向けての熱がもっとあがるだろうし・・・よし、行こ!!。と、その日の内に父に話し即決。そのホームステイ先というのは、憧れてたアメリカではなくカナダ。何故ならカナダの方が若干料金が安かったから。この時に”絶対にアメリカ!”と決めて譲らなかったら、私の人生また違うものになってたでしょう。

  そして約一ヶ月後にはカナダへ旅立つ為に伊丹から成田へ飛び、4時間程の待ち時間をひたすら成田空港のお土産屋さんを回ってつぶしている私がいました。日本各地いろんなとこからきた中・高生30人くらいが、このプログラムに参加していました。緊張していた(私はしてない)のなんてほんの数十分、同じ年頃の参加者はすぐに仲良くなって、オリエンテーションもろくにきかないくらいおしゃべりに華がさいていました。特に私と同じ年だった4人は、あっという間に意気投合!初の9~10時間という長いフライト中も延々しゃべり続けていました。
  散々騒いで、飛行機はVancouverInternatinalAirPortに到着。”カナダだー!”と思う間もなくバスに乗せられ、着いた先はFerryPort.そしてFerryに乗せられ、またバス・・・さすがに全員疲れ果てて爆睡。静かになった私達を乗せたバスはようやくSookという小さな町に着きました。私達の乗ってるバスが小さな小さなショッピングセンターの駐車場に止まりました。目を覚ますと、外国の人達が私達のバスを囲んでいる!!さすがに緊張しました。それから一人ずつホストファミリーの所に案内され、借りてきた猫のように大人しくなってそれぞれのホームステイ先へと向かいました。

  私のホストファミリーは金髪で細くて背の高いお母さんとお母さんに良く似た3歳の女の子、そして牧場にいそうな、お腹周りのたっぷりしたカールがかかった髪の毛とひげをはやして丸眼鏡をかけた優しそうなお父さんでした。お家へ向かう途中にもいろいろと話掛けてくれたけど、あんまり分からない・・・。ただ、道路がとても背の高い木々に囲まれていて、時折木々の切れ目から海と空が見えたのは、とてもよく覚えていて、今でも鮮明に思い出せます。家は新築らしく、とても可愛らしい白の木造建て。隣・・・といってもかなり離れているけど、お隣では馬を飼ってるのよ、と言われてさすがに日本とのスケールの違いにびっくり!その日の夜は、ホストファミリーと私のつたない片言英語でおしゃべりをしながら、ふけていきました。私のお部屋はとってもシンプルで、ベッドと勉強机と本棚だけ。私用のバスルームがあるのに、またびっくり!こうして明日からの生活にわくわくしながらカナダでの最初の眠りに就きました・・・。

*Sookで見たもの、体験した事*

  翌日から、私達は地元の学校の一教室を借りて、午前中は英語のお勉強、そして午後は観光がてら町をまわりながらSookでの暮らしを社会勉強しました。英語の勉強なんて、名ばかりで寄ると触るとステイ先でホストファミリーと話した事、失敗した事などいろんな事を日本語でしゃべりまくり。とにかく見るのも体験するもの全てが珍しくて、2週間という滞在中はかなりのテンションの高さでずーっと興奮状態。短い期間だったけど、スキーをしに有名なウィスラーに行ったり、Victoriaというヨーロッパのような可愛い建物とお花で溢れた街に行ったり、チョコレート工場を見学したり・・。  とても印象に残ったのは、何故かスーパーマーケット。とても広くて、種類もほんとに豊富、量も日本では考えられないようなまるで業務用のようなサイズ。何よりもショッピングカートの大きさが半端じゃない!子供なら数人、大人だって入れちゃうような大きさ。ホストマザーについてお買い物に行くのも楽しかった。

  欧米に留学した子は必ず太るというようなことをどこかで聞き、当時ダイエットにはまってた私は、非常に焦り、食べた分のエネルギーをカットしてくれる・・・というような文句の書かれた錠剤の薬を急いで購入しカナダに持って来ていました。ところが、予想に反しホストマザーがとっても食事に気を使う人で野菜メインのとってもヘルシーな手作りの食事ばかりで、結局薬は使わず。ちなみに帰国してから使ってみたけど、効果は全くもって見られませんでした・・・・。一番最初の晩御飯は、日本人だからと気を使ってくれてご飯を炊いていてくれました。そして、お肉はダメと前もって言っていたのだけど、鶏肉なら大丈夫でしょう?でも嫌いなものがあったら遠慮なく言ってくれていいのよ、と優しい言葉に感動!

  ちなみに当時の私のダイエットの敵は、甘いもの、油っこいもの、お肉そして炭水化物でした。炭水化物に至っては全く摂らずに生きていく事は不可能に近かったので、必要最小限の量を摂る事にかなりの神経を集中していました。食事は、たくさんのおかずを並べる日本と違って、ワンプレートにメインとサラダ、付け合せの野菜など、といったとてもシンプルなもの。日本のように主食のごはんがないため、夜におかずだけでお米を食べない私にはぴったりでした。味付けも塩・胡椒だけのシンプルなものが多かったですね。ピザやハンバーガーといったthe king of the american junk-foodといったものは一度も出てきませんでした。量が多すぎて食べ切れなかったらどうしよう・・・という不安も吹き消され、むしろシンプルすぎて夜中にお腹が空いて、drug storeで買ってきた99¢のウェハースを食べた事も。

*Drug だけじゃなくて、何でもあるDrugStore ! *

  今でこそ、Drug Storeというと、薬だけじゃなく、シャンプーやリンス、コスメそして食品まで売ってるっていうのは容易に想像できるけど、当時の私には、DrugStore=薬局。”化粧品が買いたいなぁ”との声に”それならDrugStoreで買えるよ。”と引率責任者で、私達のお姉さんみたいだった人が言った言葉に”?!”実際にDrugStoreなるものに行ってみてびっくり!!日本のDrugStoreなんかよりもはるかにいろんなモノがある!!!化粧品や洗剤だけじゃなく、本や雑誌、ドライヤー、アイロン、ジューサー、コーヒーメーカー、フライパン、キッチン用品、ぬいぐるみ、ラッピング用品、造花、そして日本よりはるかに多種類のグリーティングカード、お菓子、パン、アイスクリーム、缶詰、パスタ、調味料・・・・。生活用品の八割くらいはここで揃いそうなくらいなんでも売ってる!日本よりも安いのが嬉しくて、マニキュアやリップクリームを衝動買いしてしまってました。ちなみにここで買ったチェリーの香りのリップクリーム、どこがチェリーなのかと怒鳴りたくぐらいキツイ変な匂い。・・・ま、これも想い出、としっかり持って帰りましたが。(笑)この便利でおもちゃ箱みたいな(?!)DrugStore,
私は結構気に入ってたけど、これはVancouver編でお話しましょう。

*イースター??*

”イースター”、確か復活祭ってゆってたけど、何をするのかな?本で読んでその言葉自体は知っていた。朝起きると私のデスクの上にかわいらしい黄色い手籐かごの中に、ウサギさんの形のチョコレートとちっちゃな卵みたいなチョコレートが入ってた。そして、ホストシスターの三歳の女の子が朝早くから私の部屋に入ってきて、”イースターだよ!!”と騒いでいた。サヴァンナという名の金髪の女の子、最初は私が話しかけても、何にも答えてくれなかったけど、(というより、私の英語が通じなかっただけ?!)やっぱりちっちゃい子だけに、家族以外で、しかもアジア人の私に興味を持ったのでしょう、翌朝は日がうっすらと昇り始めた早朝に私の部屋に駆け込んできた。肌の色は真っ白だし、金髪でとてもやわらかい細い髪、そしてぱっちりと大きな瞳に長いフサフサの睫毛、まるでお人形みたいにかわいくて思わず写真に撮ってしまった。一体全体欧米の人達って小さな頃から写真を撮られるのに慣れているのだろうか。カメラを向けると、ちっちゃい子まで満面の写真用の(?!)笑みを浮かべる。

  イースターにこんなにはしゃいでるって、一体何をするのだろう?
と、不思議に思ってる私に、”Egg Huntingがあるのよ。”とホストマザーが教えてくれた。
  車に乗って、私達が向かった所は、消防署のお庭。そこにはサヴァンナと同じくらいの年の子達が集まっていた。
”Egg Hunting "は、生命の誕生のシンボルである卵を探すゲーム。(ちなみにこの話うろ覚えで、どこまでほんとかそこはかとなく怪しいです・・・)
そして、卵は本物ではなくて大抵は卵の形をしてとってもカラフルなラッピングにくるまれたチョコレート。お庭のあちこちに隠されたこの卵を探すゲームがどうやら行われるらしい。彼らの倍の身長に成長した私は、勿論このゲームの対象年齢外で、横で眺めているだけだったけど・・・・。

*Sookのお家*

Sookがちっちゃな町、といっても決して土地が狭いわけではない。ここはカナダ、やっぱり広いので移動には必ず車が必要。いつも学校まで車で送り迎えしてもらってたので、歩いてはいけないの?と聞いたら、
”行けるわよ!半日かければね☆”
となんともチャーミングな答えが返ってきた。

  私は車に乗ってる時に窓から景色を見るのがとても好きだった。特に家の一つ一つが、まるでおとぎ話に出てくるようにかわいい!家を塀などでぐるっと囲み、外から見えない空間の中にお庭やお家を建ててる日本とは違い、こっちはよっぽど大きな家じゃない限り、塀がなく、家の前にフロントポーチという芝生があって、そして家がある。だから家全体を外から見る事ができる。この家も色使いがとっても可愛くて、パステルカラーのピンクや黄色、水色ととてもカラフル!そして大体どの家にも暖炉があるため、サンタクロースが入れるような煙突もある!!気候のせいか、習慣のせいかわからないけど、カナダでは外に洗濯物は干さないらしい。どこのお家にも乾燥機があるからなのかな?だから生活臭があまりしなくてとってもスマートに見えた。絶対将来こんな家に住むんだ・・・と心に誓ってから約10年後、自分の家はおろか、まだまだ実家で寄生虫のような生活を営んでる私がいるとは夢にも思ってなかったでしょう・・・・。


*Sook 生活のフィナーレ *

   さて、こんな風に毎日いろんな発見で、楽しく過ごしてきたけど、2週間という短い期間はあっという間に経ってしまい、そろそろ帰国の日が近づいてきました。私たちは学校の中で勉強(ごっこ?!)をしてたものの、当然現地の生徒とは教室は別。もちろん交流だってありませんでした。帰国日二日くらい前に、現地の学生との交流会が一回だけありました。あまりよく覚えてないけど、歌を歌ってくれたり、ゲームをしたり・・・・。おしゃべりもしたと思うけど、あまり覚えてないって事は、話が通じてなかったってことでしょう。

  そして、最後の夜私たちプログラム参加者のためにホストファミリーが学校に集まりFarewell Partyをしてくれました。最後だというのに、私たちははしゃぐはしゃぐ・・・・ちっちゃな子達と一緒になってかくれんぼまでしてました。

  Partyの帰り道、いつもの木々に囲まれた道を走ってたけど、途中でちょっと小高い丘みたいなところで車を止めてくれて、”おりて空をみてごらん。”と言われ、見上げた空はすごい!!!!!!!今まで空って、濃紺の空に小さな星が点々・・と、数えるくらい見えてるだけ。大体夏の大三角形、冬の三角形が見えるくらいでした。でも、私がSookで見た空は、空、というより一面星!!!!!星がぎっしりと濃紺の空を埋め尽くしてる!

星ってこんなにたくさんあったんだ・・・・・・。

初めてそう思いました。”こぼれおちそうなくらいの空いっぱいの星空”
そんな表現がまさにぴったり。いつ落ちてきてもおかしくないくらい、とても大きくて、手を伸ばせば届いていしまいそうなくらい空と私の距離が短く感じられたのです。この風景もまた、忘れられないとても大切な私の思い出となってくれました。


翌朝ー。
お土産をパンパンに詰め込んだスーツケースを半地下の私の部屋からぜいぜい言いながら、一階に運び終え、サヴァンナにいつものようにおはよう、というとあいさつをしてくれません。機嫌が悪いのかな?と思ってると、すぐにホストマザーが、”あなたが帰ってしまうから、寂しくて、それですねてるのよ。”と。言葉があまりわからない私なのに、かまわずしゃべりかけてきてくれて、かくれんぼとかお人形ごっこを一緒にして、私のいい英語の先生だったサヴァンナ。結局彼女は、最後の時まで口をきいてくれませんでした。サヴァンナとホストマザーにありがとうを言って、ホストファザーに車で、私たちが最初に着いたショッピングモールの駐車場まで送ってもらいました。

  絶対に来れない距離じゃないんだから、その気になったらいつでも来れるって!!親友くらい仲良くなった子とそう強気で話してるも、二人とも目がうるうる。そして、ありがとうとホストファザーに最後のHugをすると、思わず泣いてしまいました。

  涙目の私たちを乗せて、バスは2週間前に来た道と同じ道を戻っていきました。2週間前のわくわくは、たくさんの思い出になってスーツケースも心もパンパンに満たしています。
そして、行きと同じようにフェリーに乗り、またバスに乗り、殺風景な風景の中をVancouber Air Port へと向かいます。青系の色で統一された綺麗な空港、来たときははしゃぎすぎてあまり見れなかったけど、よく見ると、トーテムポールがあったり、小さな滝みたいなものや川が流れてたり・・。

綺麗な空港。空気が、ひんやりしている・・・・。

さっきまでの泣きべそも飛行機に乗るころには吹っ飛んでいて、またいつものようにはしゃぎしゃべりまくる私達。それでも離陸の時はみんな黙って外を眺めてるのでした。

ありがとう。すごく楽しかったよ。また来るからね!!

上空から見えるカナダの大地にみんな心の中でそう言ってたと思います。
小さくなってもいつまでもいつまでも窓からカナダの大地を眺めていました。

そして、4年後に私はまたこのVancouver Air Port に降り立つ事になるのですが、それはまたVancouver編でお話しましょう。









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