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カテゴリ:時事
世界最高齢出産は、インドの70歳の婆さんだそうだ。もちろん人工受精である。やはり自然分娩ではなく帝王切開だったそうだ。インド人女性の平均寿命は60代半ばなので、インドで70歳というと日本の感覚でいえば85歳くらいかも知れない。五体満足で生まれた子供はすでに1歳を過ぎ、ふつうに育っている。 初産だったそうなので、“婆さん”呼ばわりは失礼かもしれない。“老婦”と呼ぶべきか。オレはこの話を昨晩テレビで見たのだが、いちばん驚いたのが、この老婦が母乳を与えていたことである。ホルモンの関係なのだろうか、出産すると、70歳でもちゃんと乳が出るのである。番組中に授乳シーンが何度か登場したが、垂れてはいるが立派な妊産婦の乳であった。70歳というとオレの母親の年だが、70過ぎの自分の母親が赤ん坊に乳を与えているのを想像して、寒気がするほど怖ろしく感じるのはオレだけだろうか。 ほんの15年前には比較的高度かつ高価な技術であった人工受精も、15年前には比較的高度で高価なテクノロジーであった携帯電話が今では発展途上国のガキでも日常的に使用しているのと同様、比較的入手しやすく安価な技術になった。別に欧米のような医療技術最先端の国に行かなくとも、インドの片田舎の開業医が10数万円で体外受精診療をしてくれる時代なのである。 どうやら現代では、70歳であろうが90歳であろうが、技術的には何歳の老婦であっても体外受精による妊娠・出産は可能なのだそうだ。ただ、妊娠・出産による母体への負担や高齢出産に関連する倫理的な問題を考慮し、先進国ではそうカンタンに70歳の老婦に体外受精診療を施したりしない。たとえば、ほんの16年前、アメリカで55歳の女性が人工授精で妊娠・出産した時は物議を醸した。アメリカ人女性の平均寿命は70代半ばである。出産・育児の体力があったとしても、子供が成人するまで生きられるかどうかも分からない老婦が子供を作るなんて無責任だという非難の声が上がったのである。 そんな理由で、先進国のたいていのクリニックではだいたい50歳くらいを体外受精診療の上限としているようだ。オレの母親の時代は30歳を過ぎただけで母子手帳の表紙に“高齢出産”を意味する「マル高」(漢字の「高」を○で囲む)マークが付けられたそうだが、欧米でもほんの数年前までは多くの医療機関が人工授精診療の対象を39歳以下に限定していたようである。 しかし、インドのような国は違う。「子供=(売買できる)財産」であるインドでは多産な女性が血族に歓迎される一方、子供が出来ない女性に対する世間の目は冷たい。不妊の女性は健康や命のリスクを冒してでも子供を作ろうとするし、世論も高齢の人工授精出産に対し好意的、医者も「倫理」の心配をしなくてよい。前述の70歳のインド女性の場合、費用は2頭の水牛と畑の一部を売って捻出したそうだが、帝王切開出産による老体へのダメージは避けられなかったようで、歩くときには辛そうにしている。 また、インドのような国の場合、母親が死んだ後の子供の養育の心配もない。大家族というか、血族が総出で子育てをするので、必ずしも生物学的な母親が生きて子供の面倒を見る必要がない。スペインでは何年か前に67歳の独身女性が人工授精で双子を出産し、もっぱら一人で子育てしていたが、昨年子供が2歳の時に癌で死んでしまい、超高齢出産の養育の問題がクローズアップされた(結局は女性の兄が一時的に子供の面倒を見ているらしいが、スペイン人男性の平均寿命まではあと数年の命である)。 まあ、あいにくインドではなく、現代の先進国に生きる女性はえてして「仕事か、子育てか」という二者択一を迫られやすい環境にあり、我々以上の世代ではキャリアのために後者を犠牲にしたという女性も少なくない。しかし、少なくとも医療技術的には、キャリアで目標を達成した後に50代で妊娠・出産するというオプションが残されているという事実は多少の気休めにはなるかも知れない。 ところで、男性は女性と違って閉経もないし、一般には何歳になろうが生殖能力は尽きないとされているが、子種が高齢になるほど障害のある子供が生まれる確率は高くなるそうである。というのも、高齢になるほど、精子上の遺伝子コピーのエラーが起きやすくなるからだ。「バイオロジカル・クロック(生物学的時計)」というのは独身女性だけでなく男性にとってもある程度切実な問題だと考えるべきなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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