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いまだかつて、かめという呼称が えぬ・えっち・けいの 朝ドラの題名に
入っていたことがあるでしょうか 今度の朝ドラは 『ウェルかめ』です。 かめ ですよ。かめ だからなんなのかといわれても困りますが(笑) 今年亀ブームきそうですね って・・・今年ってもうすぐ 終わりじゃん。。。。。。。 ということで、とりあえず朝ドラの話はおしまい(題名にしておいてそれだけかよっ) 先週土曜日に公開になった 是枝裕和監督の映画『空気人形』を観てきました。 いろいろと 書きたいことはあるのですが、私のつたない言葉じゃ上手くつたえられそうもないどころか、評価を下げてしまうかもしれないので 映画については、あえて触れません 興味のある方は、公式ホームページを見ていただき、時間が取れたら、ぜひ 劇場で観てもらいたい映画です。 題材が題材だけに、敬遠気味な方もいらっしゃるかもしれませんが(R-15ですから) 是枝監督の作品に共通する 人間というもののかかわりなどについて あらためて ハッとするほど 感じることの出来る作品ではないかと思いました。 この作品には、 詩人 吉野弘 の作品が、出てきます。 「生命は」 生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする 生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄 ときに うとましく思うことさえも許されている間柄 そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ? 花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も あるとき 誰かのための虻(あぶ)だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない まさにこの詩の 世界。 ときに美しく、輝き、切なくて・・・・・・ この詩を検索していて、作者・吉野弘の考えというのも ありましたのでそれも載せさせてもらいます。 「‥‥ここには、生命の自己完結を阻もうとする自然の意志が感じられないだろうか。思うに生命というものは、自己に同意し、自己の思い通りに振舞っている末には、ついに衰亡してしまうような性質のものなのではないか。その自己完結を破る力として、外部から、ことさら、他者を介入させるのが、生命の世界の維持原理なのではあるまいか。おそらく、すべての生命は、自己を完結させるために、他者とかかわりをもつように運命づけられている‥‥」 そんなことをも 繰り返し反芻させられる そんな映画でした その日、わたしの気持ちは なんともいえない 若いころによく使ったフレーズ H A P P Y な気分に満たされて・・・・・ 実はいま それが抜けてしまって困ってます(苦笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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