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テーマ:鉄道雑談(1508)
カテゴリ:きっぷ
20年前のきょう、3月31日は、日本国有鉄道がJRグループとなる前日で、国鉄最後の日であった。
この日に、「鉄」のみならず、多くの一般客にも非常に注目され、使用された「伝説のきっぷ」がある。 そのきっぷが「謝恩フリーきっぷ」である。 これが「謝恩フリーきっぷ」券片。 (後述の理由により、途中下車印はぼかしを入れてあります) 「謝恩フリーきっぷ」の裏面。ご案内の5.にあるとおり、いわゆる「継続乗車船」が認められ、列車によっては4月1日の朝まで使用することが出来た。 国鉄最後の日を迎えるに当たり、当時の国鉄では、10日前の3月21日に、国鉄最終日となる昭和62年3月31日に、国鉄全線が1日乗り放題となる「謝恩フリーきっぷ」を全国で一斉発売。前日の20日の晩から徹夜で行列が出来るほどの人気となり、早々に売り切れた。 このきっぷは、普通車自由席であれば、新幹線・在来線特急・急行も全て6,000円で乗り放題となっており、当日は朝から新幹線を中心に列車によっては乗り切れないほどの利用客が押し寄せた。 筆者の場合、大学の卒業式を終え、国鉄最終日には、九州にある自分の名字と同じ名のついた駅に行って、国鉄最後の日の日付の入った入場券・乗車券を買いに行こうと考え、3日前から青春18きっぷを使って横浜から南下し、前日は広島駅近くのビジネスホテルに宿泊し、当日の朝の新幹線で九州入り、在来線特急を乗り継ぎ目的駅へ行き下車。謝恩フリーきっぷに「途中下車印」を押してもらった。(ここで名字がわかってしまうのも何なので、謝恩フリーきっぷに押された途中下車印には、ぼかしを入れてあります) 入場券や乗車券を購入後、再び列車に乗って博多駅へ向かい、東京行きの「ひかり」に乗るべく、自由席の乗車列へ。 当日は前述の通り、新幹線が大変込み合い、自由席も1本待ってからやっと座れる状態であった。博多駅で「ひかり」を1本見送り、1時間待ったあとに、自由席に乗車。始発の博多から立ち客が出るほどで、東京まで満員だった。 (途中、当時まだ健在であった「食堂車」を利用するために、自由席の1号車から、食堂車のある8号車まで行くのに、満員の乗客をかき分けて行く必要があった。新幹線であれだけ混雑した列車に乗ったのは初めてであった) 前述のように「継続乗車船」つまり、日付をまたがる列車に乗れば、4月1日の朝まで利用できたのだが、4月1日は社会人デビューの入社式が控えていたので、3月31日の「ひかり」で東京へ戻った次第である。 当時の博多発「ひかり」は新横浜に停車しなかったので、東京まで乗りとおし、東京から新横浜まで「こだま」に乗車して、当時住んでいた横浜の自宅へと戻った。 国鉄最後の日から20年-今でも走り続ける国鉄車両もある。そして現在、JR発足20周年にあたり「青春18きっぷ」も、この春には記念価格の8千円となった。 さらに20年後は、どんな車両が登場し、どんなきっぷで出かけられるのか、20年経ったら、この日記も振り返ってみたい。(楽天ブログがそのときも存在すれば、だが・・・) 国鉄乗車券類大事典 さらば日本国有鉄道復刻版 未完の「国鉄改革」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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