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kamuy_nupeの戯言 [全572件]
「ポツダム宣言」はベルリン郊外にて1945年7月26日に発表、広島への原爆投下は8月6日で10日も経過していない、これは予定通りで日本が「黙殺」ではなく「ポツダム宣言」をベースに交渉を望んだとしても同じタイミングで原爆投下を行なっただろうと推測。 即時受諾でない場合は原爆投下はダメだが東京大空襲のような攻撃だったらよいではなく、無差別攻撃をする事で戦争終結を早めるの考え方や振舞は「ポツダム宣言」の主張とは異なり宣言の内容を信じる事が困難になる。 原爆投下の決定の経緯や原爆の惨状に関し断片だが調べてみたい、時間的に逆になるが原爆投下直後のトルーマン大統領の声明を見てみる。 ◇資料229:トルーマン大統領声明 ホワイトハウス新聞発表 1945年8月6日 (よりの纏め・概要) ・16時間前、米国航空機1機が日本陸軍の重要基地である広島に爆弾1発を投下した。 ・その爆弾は、TNT火薬2万トン以上の威力をもつものであった。 ・日本は、・・・彼らは、何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はまだついていない。 ・これらの爆弾は、現在の型式のものがいま生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。 ・それは原子爆弾である。宇宙に存在する基本的な力を利用したものである。太陽のエネルギーになっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。 ・原子エネルギーの解放が理論的に可能であるということは、すでに1938年以前、科学者が一般に信じていたことである。・・・1942年までに、われわれは、ドイツが、彼らの念願とする世界の隷属化の手段としての諸兵器に原子エネルギーを加える方法を発見するため、懸命の努力をしていることを知った。だが、彼らは失敗した。われわれは、ドイツが[大戦]末期に、それも限られた数のV-1号やV-2号しか入手できなかったことについて神に感謝してよかろう。そして、ドイツが原子爆弾をまったく入手できなかったことについては、さらにいっそう感謝してよかろう。 ・現在われわれは、原子力の生産に向けられている2つの大規模施設と、それよりも規模の小さい多数の施設をもっている。建設の最盛期における雇用は12万5000人にのぼり、6万5000を超える人びとが現在でも施設の運転に従事している。多くの人びとがこれらの施設で2年半働いた。・・・われわれは、史上最大の科学上の賭けに20億ドルを費やし、そして勝ったのである。 ・今やわれわれは、日本のどの都市であれ、地上にあるかぎり、すべての生産企業を、これまでにもまして迅速かつ徹底的に壊滅させる態勢を整えている。われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊する。 ・7月26日付最終通告がポツダムで出されたのは、全面的破壊から日本国民を救うためであった。彼らの指導者は、たちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われわれの条件を受け容れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上でかつて経験したことのないものとなろう。この空からの攻撃に続いて海軍および地上軍が、日本の指導者がまだ見たこともないほどの大兵力と、彼らにはすでに十分知られている戦闘技術とをもって進行するであろう。 ・私は、米国議会が米国内における原子力の生産および使用を管理する、しかるべき委員会の設置をすみやかに検討するよう提案するであろう。私は、どのようにすれば原子力を世界平和の維持に資する、有効かつ強力な力にしうるかについてさらに検討したうえ、議会に対し、あらためて提案を行なうであろう。 ─「資料 マンハッタン計画/大月書店」より 〓勝手に独断と偏見〓 原爆投下直後の広島へ向かう仁科芳雄は「従来の大統領声明の数字が事実であったように真実であるらしく思われる」。 声明では「史上最大の科学上の賭けに20億ドルを費やし」を国民に認めさせることが大きな課題だったと推察。 ソ連が原爆を造るは想定済み、米国が核の標的にされないが重要で核の拡散で小国が発言力を持つは避けたい、ドイツのV-1号等からICBMのような発想が芽生えていたのかは勉強不足、水爆のアイデアは存在したようだ。 (現在に於いて水爆を持っているのは国際連合安全保障理事会の常任理事国) 「7月26日付最終通告がポツダムで出されたのは、全面的破壊から日本国民を救うためであった」、だから拒否に対し原爆による無差別・大量虐殺を行なったを主張する米国大統領。
・「時代の一面/東郷茂徳」より (1945年7月12日の夜)在蘇佐藤大使に電報を持て天皇陛下に於かせられては今次戦争が交戦各国を通じ国民の受くる惨禍と犠牲とを日々増大しつつあることを御心痛あらせられ、戦争が速に終結に至らんことを念願せられ給ふ旨、並に右の御趣旨を以て近衛公を莫斯科(モスクワ)に特派使節として派遣せられんとする次第をモトロフ人民委員に申入れ、特派使節一行の入国方に蘇聯の同意を取付くべき旨訓示した。 ・・・ ソ連政府からは我方申出は具体的提議を包含せざること並に近衛公の使命が不明瞭であるから確たる回答を為すことが困難であるとの挨拶があつたとの電報を十九日に受取つた。 ── ・「終戦に関するアジア歴史資料センター公開資料」の「2.太平洋戦争終結に関しソ連仲介依頼関係(含、「ソ」国交調整関係)/8 昭和20年7月30日から昭和20年8月7日」より (佐藤駐ソ大使から東郷外相への電報には7月30日に行なわれたロゾフスキーとの面会内容の概要) 佐藤:去る25日戦争終結に関する斡旋方ソ連政府に御依頼したる件に関し御返事を得んか為参上せり ・・・ 佐藤:・・・去る二十六日 英米支三国対日共同宣言発表しられ日本に対し無条件降伏を強ひ居る処 日本政府としては無条件降伏は到底問題となれ得す ・・・日本は自国の名誉と存立か保証せらるる限り極めて広凡なる妥協的態度を以て戦争終結の希望を有す仍てソ連政府の斡旋を依頼したる次第なり ・・・ 佐藤:・・・日本政府としては天皇陛下の最新任せらるる近衛公爵を特別の使節として莫斯科に派遣することになり居り・・・ ── 〓勝手に独断と偏見【簡単纏め】〓 スターリンは 「日本側はロシアが参戦するものと認識していると思う、なぜなら、彼らは国境にロシア軍の姿を見ることができるからだ」 佐藤駐ソ大使は臣民の為に早期戦争終結を主張、しかし東京の指示はソ連への斡旋依頼・近衛特使、これは「ポツダム宣言」にソ連が不参加の為か宣言後も続けられる。 「国民の受くる惨禍と犠牲とを日々増大しつつあることを御心痛・・・戦争が速に終結に至らんことを念願」、本音は「日本政府としては無条件降伏は到底問題となれ得す・・・日本は自国の名誉と存立か保証せらるる限り極めて広凡なる妥協的態度を以て戦争終結の希望を有す」 「ポツダム宣言」受諾の意志がない指導部、問題は「軍の無条件降伏」より以下の二項目 「吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべからず」 「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては聯合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」 不安定な「国体護持」、「自国の名誉と存立」が保証されれば「妥協的態度を以て戦争終結」、「国体護持」は相手側に察してほしい、沖縄・北海道ぐらいなら差し上げますのスタンスと推察。 朝日新聞は「ポツダム宣言」を「謀略放送」と主張、しかし空襲等に依り大日本帝国臣民の生命財産はとんでもないスピードで失われている。 鈴木首相は「私はポツダム宣言はカイロ宣言の焼直しであると思っている。政府としては、なんら重大な価値ありとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは断固、戦争完遂に邁進するだけである」 「戦争完遂に邁進」は「ポツダム宣言」拒否して連合国に勝利し大東亜共栄圏の確立に邁進、本音は講和条件改善。 講和に関してはソ連の回答待ちだが、「戦争完遂に邁進」ではソ連に講和する気がないと言い訳(判断)される可能性は承知していたと思う、軍部のプライド(臣民を守るプライドではなく)が発表の原動力だろう。 米国首脳部に於いて「ポツダム宣言」は原爆投下の為の免罪符の意味もあるが、米国が原爆を完成したから降伏しろでは「謀略放送」として条件改善の為に「戦争完遂に邁進」ではないか。 だが米国が原爆の存在を「ポツダム宣言」で明確にしなかった(投下直後に発表)のは、原爆投下をしたい為に日本が受諾する確率を上げたくなかったと推測。 終戦への最終局面、ソ連は極東での権益と労働力、米国は原爆投下と戦争の早期終結を求め、日本は国体護持を最重要項目とする、踏み台になるのは大日本帝国臣民・天皇の赤子と各国の人民。
日本政府は米英中首脳による「ポツダム宣言」の受諾を拒否し「戦争完遂に邁進」を臣民に求めている。 ◇「海軍大将 米内光政 覚書」の「米内海相所見 20・7・28」よりの抜粋 ・鈴木首相は1945年7月28日午後の記者会見にて(〔編者注〕より) 「私はポツダム宣言はカイロ宣言の焼直しであると思っている。政府としては、なんら重大な価値ありとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは断固、戦争完遂に邁進するだけである」 ニューヨーク・タイムズ紙は30日の報道で、「日本は連合国の降伏要求の最後通告を正式に拒否した」 ・「米内海相所見 20・7・28」 1、声明はさきに出したほうに弱味がある(7月26日、対日ポツダム宣言を発表) チャーチルは没落するし、米国は孤立におちいりつつある。 政府は(ポツダム宣言)を黙殺でいく。あせる必要はない。 ・・・ (内閣では軍令部から強硬な横槍がでて困るとこぼしている)つっついてるのは次長(大西滝治郎中将)かもしれないが、保科(善四郎中将、軍務局長)が」なにかいってくれといっていた。(海軍)内部にも訓示をだしてくれというから、訓示などはいらないと答えた。しかし、ぜひ出してくれといって長文の案を書いてきたから、だいぶ削って半分くらいにして出した。 2、7月21日の外相からの電報は25日にモスクワ着、ロゾフスキー・ソ連外務次官に連絡する。 ロゾフスキーが書きものにしてくれといったので、書きものにして提出した。(このことは、27日に東京でわかった) したがって、ソ連側の返事を待って、こちらの措置をきめても遅くはない。 スターリンは(ポツダム会談への)出発前に、日本のきわめて抽象的な申し出しか承知していない。そこで、21日の電報によってソ連に特使をさしむけて仲介斡旋を依頼するとはじめて明らかにしたのだから、26日のポツダム宣言発表までは、スターリンとしては、あまり深くふれていないものと推測される。 ── ◇「時代の一面/東郷茂徳」よりの抜粋 ・宣言に対する判断 日本政府の形態の問題にも不明瞭の点があり、其他武装解除、戦争犯罪人にも問題がありさうだと感じた。依而外務次官に法律的見地より厳密なる検討を加ふるやうに命じた。 ・宣言の取扱 27日午前参内、モスコーとの交渉の経過及英国総選挙の結果について上奏し、更に進んでポツダム宣言に付いて詳細に御説明申上げた。尚又之に附加して此宣言に対する我方の取扱は内外共に甚だ慎重を要すること、殊に之を拒否するが如き意思表示を為す場合には重大なる結果を惹起する懸念があること、猶戦争終末に付いてはソ側との交渉は断絶せるに非るにより其辺を見定めたる上措置すること可なりと思考する旨を言上した。 同日最高戦争指導会議構成員会同が開催・・・軍令部総長は何れ本宣言は世上に伝はることになると思ふが此儘にして置くと士気にも關することになるから此際此宣言を不都合だと云ふ大号令を発することが然るべしと思ふと述べたから・・・結局の処今暫らく蘇連の出方を見て処理することに意見が一致した。 ・・・ 結局の処政府に於ては此際何等の意思表示しないこと、新聞等に対しては情報局で成るべく小さく取扱はしむるやう指導すること、従つて又事務局で宣言を短縮して発表せしむることに決定した。 ・宣言黙殺の新聞発表 翌朝の新聞に政府は之を黙殺するに決したと報道したものがあつた・・・前日恰も宮中に於て政府統帥部間の情報交換会が開催され・・・(東郷外相は欠席)・・・軍部の一人からポツダム宣言拒否の意見を持ち出した・・・其後の新聞記者会見に於て之を黙殺することに決めたと述べて大々的に報道せらるることとなつた・・・米国新聞紙等は日本は同宣言を拒否したと報じ、・・・ ── 〓勝手に独断と偏見〓 米内海相はチャーチルの総選挙敗北等から「あせる必要はない」。 ドイツ降伏、沖縄敗北、日本の原爆開発は頓挫、本土周辺の制海権・制空権が日本陸海軍にはないを日本の新聞が記す状態。 ポツダム宣言に対する日本政府の「黙殺」は日本政府が何も発表しないの意の筈が「黙殺」と発表、もちろん拒絶ではなく駆け引き、実態はポツダムの宣言に不参加だったソ連の返答待ち。 また「原爆投下決断の内幕(上)」p591によると東京株式市場では平均株価が上昇している。 「戦争完遂に邁進」は講和条件改善の為に臣民に徹底抗戦を求めている、臣民の命・生活を第一に考え終戦に向かってほしいが。
1945年7月26日、米英中首脳はポツダム宣言で「全日本軍の無条件降伏」等を求めた。 ◇『読売報知』昭和二十年七月二十八日 ・笑止、対日降伏条件 トルーマン、チャーチル、蒋連名 ポツダムより放送す(チューリヒ特電二十五日発) トルーマン、チャーチル及び蒋介石は二十五日ポツダムより連名で日本に課すべき降伏の最後的条件なるものを放送した。 右条件要旨次の如し、 以下の各条項は我々の課すべき降伏の条件なり。 我々はこの条件を固守するものにして他に選択の余地なし。 我々は今や猶予するところなし。 一 世界征服を企つるに至れるものの権威と勢力は永久に芟除せらるべきこと、軍国主義を駆逐すること。 一 日本領土中連合国により指定せらるる地点は我々の目的達成確保のため占領せらるること。 一 カイロ宣言の条項は実施せらるべく日本の主権は本州、北海道、九州、北海道、九州、四国及び我々の決定すべき小島嶼に限定せらるること。 一 日本兵力は完全に武装解除せらるること。 一 戦争犯罪人は厳重に裁判せらるること。日本政府は日本国民に民主主義的傾向を復活すること、日本政府は言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すべきこと。 一 日本に保留を許さるべき産業は日本の経済を維持し、かつ物による賠償を支払得しむる如きものに限られ、戦争のための再軍備を可能ならしむるが如き産業は許さざること、この目的のため原料の入手は許可せらるること、世界貿易関係に対する日本の参加はいずれ許さるべきこと。 一 連合国の占領兵力は以上の目的が達成され、かつ日本国民の自由に表明せられたる意志に基づく平和的傾向を有する責任政府の樹立を見たる場合は撤退せらるること。 一 日本政府は即刻全日本兵力の無条件降伏に署名し、かつ適切なる保障をなすこと、然らざるにおいては直ちに徹底的破壊をもたらさるべきこと。 ・国内、対日両天秤 老獪な謀略 敵宣言の意図するもの トルーマン、チャーチル及び蒋介石の三名は別項特電の通り二十五日のポツダム放送において対日降伏条件なるものを公表したが、右の各条項はいずれもカイロ宣言の延長拡大にほかならず、欧州戦の終末、大東亜戦争の最終段階突入の世界情勢を背景として次の如き意図を織り込んだたぶんに謀略的要素を有するものであることはいうまでもない。 一 ドイツに対し無条件降伏一点張りでドイツをして最後まで抵抗せしめ、それによって必要以上の損害を受けたことに米国内に非難があるため、今回は方針を改めて対日勧告をなし自国民の諒解を求めんとしたこと。 一 国内に平和要望の声が次第に高いため、彼らからみて相当緩和した条件を出して、もし日本がこれをも肯んぜず戦争を継続せんとするならば、あくまで戦わざるを得ずと自国民を納得せしめ、戦意の昂揚に資せんとしたこと。 一 硫黄島、沖縄における米側の犠牲が多大であったにかんがみ、日本がこれを受諾せざる場合は戦争を継続するよりほかになし。従って更に大なる犠牲を忍ばねばならぬことを明らかにして自国民の覚悟を促したこと。 一 自らの武力の圧倒的に大なること誇示し、日本の敗戦気分を醸成し、併せて日本の軍民離間を狙ったこと。 ・戦争完遂に邁進 帝国政府問題とせず 敵米英並びに重慶は不逞にも世界に向かって日本抹殺の対日共同宣言を発表、我に向かって謀略的屈服案を宣明したが、帝国政府としてはかかる敵の謀略については全く問題外として笑殺、断乎自存自衛戦たる大東亜戦争完遂に挙国邁進、もって敵の企画を粉砕する方針である。 ─ポツダム宣言を報ずる新聞記事/ドキュメント昭和史5 〓勝手に独断と偏見〓 発表に際し「宣言の短縮」や政府から新聞等への「指導」があった。 「帝国政府としてはかかる敵の謀略については全く問題外として笑殺、断乎自存自衛戦たる大東亜戦争完遂に挙国邁進、もって敵の企画を粉砕する方針である。」 政府は講和ではなく戦争完遂。 「世界征服を企つる・・・権威と勢力は永久に芟除」が影響したのか、「老獪な謀略」と主張するが煽る感は少ない。 原文から削られた主な内容は 「日本国民を欺瞞し・・・」 「各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」 「我らは日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざる」 朝日新聞では「米英重慶、日本降伏の最後条件を声明」と題し、政府は「黙殺」「戦争完遂」。
ポツダムの視点をチャーチルに変えて。 ◇「第28章 原子爆弾/第二次世界大戦4/チャーチル」よりの抜粋 (1945年)7月17日、世界を揺るがすようなニュースが入った。 午後、スチムソンが私の宿舎を訪れ、私の前に一枚の紙を置いた。 それには「赤ん坊は申しぶんなく生まれた」”Babies satisfactorily born”と書かれていた。 ・・・ 彼はいった。「つまり、メキシコ砂漠での実験が成功したという意味です。原子爆弾が現実となりました。」 ・・・ 翌朝到着した一機が、人類史におけるこの恐るべき出来事の詳報をもたらした。 ・・・ 爆弾、あるいはそれに類するものは高さ百フィートの塔のてっぺんで爆発した。 周囲十マイルは立ち入り禁止とされ、科学者や関係者たちはほぼその距離で巨大なコンクリートの壁と遮蔽物の背後にうずくまっていた。 爆風はすさまじかった。 炎と煙の巨大な柱が、わが可憐な地球を取り巻く大気の端まで突き上がっていった。 一マイルの円内の破壊は絶対的だった。 ここに出現したのは第二次世界大戦に速かな終止符を打つもの、そして恐らくその他の多くのものに速かな終止符を打つものであった。 ・・・ 日本軍の抵抗を一人ずつ押え、その国土を一歩ずつ征服するには、百万のアメリカ兵の命とその半数のイギリス兵の生命を犠牲にする必要があるかもしれなかった。 ・・・ いまやこの悪魔のような情景はすっかり消えてしまった。 それに代って、一、二回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。 ・・・ 私が常にその勇気に感嘆してきた日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見出し、最後の一人まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだ。 さらに、われわれはロシアを必要としなくともよくなった。 対日戦の終結はもはや、最後の恐らく長引くであろう殺戮のために、ロシア軍を投入することに依存するものではなくなった。 われわれは彼らの助力を乞う必要はなかった。 したがって一連のヨーロッパ問題は、このような利点と国際連合の広い諸原理にのっとって討議されることになった。 ・・・ 原子爆弾を利用すべきかどうかについては、一刻の議論の余地もなかった。 一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示し、それによってぼう大な無制限の殺戮を回避し、戦争を終らせ、世界に平和をもたらし、苦悩する人民に治療の手を与えるということは、われわれがあらゆる労苦と危険を経験してきた後では、奇跡的な救いのように思われた。 この兵器の使用に対するイギリスの原則的同意は、実験が行われる前の七月四日にすでに与えられていた。 最終決定はいまや、この兵器を所有するトルーマン大統領に主として依存していた。 ヤルタにおいてアメリカ側に効果的に行使したスターリンの取引き力はなくなっていた。 一方、空と海から日本に対する破壊的攻撃がつづいていた。 七月の終りまでには日本海軍は事実上消滅した。 日本本土は混沌のなかにあり、崩壊寸前だった。 ── 〓勝手に独断と偏見〓 英国の10年ぶりの総選挙ではチャーチルの保守党が敗北し労働党のクレメント・アトリーが首相(1945年7月26日~1951年10月26日)となった。 (ポツダム会談は7月17日~8月2日でポツダム宣言は7月26日) チャーチルは「Babies born」により「ヤルタにおいてアメリカ側に効果的に行使したスターリンの取引き力はなくなっていた」、米ソ英の首脳は同様の感覚を持ち、ソ連は対日参戦を急ぐ。 「七月の終りまでには日本海軍は事実上消滅した。日本本土は混沌のなかにあり、崩壊寸前だった。」の認識下で「一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示」。 英国にとって重要なのは自国の利益に関係する戦後の欧州に於けるソ連の押さえ込み、日本との戦争は英国の最小限の犠牲で終息させたい、しかしナチス・ドイツとの戦いに英国以上の犠牲を払った米国に付き合わざるをえない。 チャーチルは1953年に「第二次世界大戦」等でノーベル文学賞を受賞、選考に内容・文学性・真実を追究した姿勢があったのだろうか、第二次世界大戦でスウェーデンはドイツ寄りだった。 また、1945年のノーベル平和賞(ノルウェーが授与主体)は国際連合の樹立に貢献したとしてコーデル・ハル(日米開戦がハル・ノートにより決定的になった)が受賞、ガンディーは候補どまり。 |一覧| |