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自己紹介します。
青年期まで満州と呼ばれた外地で育ち、薬学を学んだのに病院勤務はできず、海軍兵科5期予備学生として旅順の港で訓練を受け、九州の特攻隊基地で敗戦を知り、大阪へ復員。 戦後は、衛生行政、消費者センターなどで仕事をし、退職後は詩誌灌木、GAIA、関西詩人協会会員として詩らしきものを作っています。 ライフワークの食品衛生は今も続けていてブログ食品安全サークル日記(http://d.hatena.ne.jp/kanboku/)を運営しています。 私の詩は、若い人へのものがたりです。 詩誌GAIA 2008年冬号へ発表予定作品 北帰行 猫西 一也 遼東半島の先端にある旅順港を囲むように学生の町旅順はあった 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず で始まる北帰行はこの町で生まれた 作詞・作曲は旅順高等学校二年生だった宇田 博 開校記念日の昭和十六年五月五日 女性とデートし深夜に寮へ帰ったことを咎められ学校を追われた 宿に籠り思いを五連の歌詞に綴り決別の曲として友に託した 今は黙して行かむ・・ と最後の連に書いた歌詞をなぞるように 親元へ帰るべく奉天(瀋陽)行きの切符を手に夜行列車に乗った 戦時下の学生に許された自由は限られたものだった その枠を破り人間性を求め自由を主張したものは追放された 北帰行は寮生たちが寮歌としてひそかに歌い継いでいた 昭和三十年代 空襲で廃墟となった東京の街も復興し歌声喫茶が生まれた ロシア民謡 唱歌 童謡 労働歌 反戦歌 歌謡曲が歌われた 北帰行も作者不詳のまま歌われていた 小林 旭が歌詞三連を歌謡曲として歌い北帰行は広まった しかし戦時下強圧的体制への反骨の意思として五連の歌詞に綴った格調は失われ流浪者の曲となった 作者はこの歌も愛し葬儀の際にはこの曲を流せと家族に言った 戦後旧制第一高等学校から東大仏文科へ進み東京放送常務・監査役を終え 平成七年八月九日その人生を閉じた * * ニ木紘三のうた物語 北帰行 http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_3959.html │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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