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TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 清き水が脈々と湧き出て、山を勢い良く流れ下り、谷を激流し、平野を悠々と流れ流れて大海原へ辿り行く、水が流れる自然界の力はものすごく偉大です。 流れる水は多くの利得をもたらしながら、沢山の生命進化の源泉と成り、自然界に大きな恩恵を与えてくています。 この水の流れを人生・社会に対峙させて、その時々の時流を発行者が純朴・純粋な気持ちで我流自問し、世のため人の為に役立つことの出来る天徳貴人として、謙虚になって共有共益に楽しんでいけたら素晴らしいと思います。 清き水の力を例えて、人生の教訓とした、故事ことわざが沢山あります。 ◎ 上善 水の如し ◎ 水温む ◎ 水入らず ◎ 水際立つ ◎ 水のしたたるような ◎ 水至りて、渠成る ◎ 水も漏らさぬ ◎ 水の流れと、人のゆくえ ◎ 水に流す ◎ 水を向ける ◎ 水の低きに就くが如し ◎ 水に絵を書く ◎ 水掛け論 ◎ 水の泡となる ◎ 水に流す ◎ 水は方円の器に随う ◎ 水と油 ◎ 水を差す ◎ 水をあける ◎ 水清ければ、月宿る ◎ 水を打ったよう ◎ 水清ければ、魚棲まず ◎ 水を得た魚のよう ◎ 水心あれば、魚心あり ◎ 水至りて清ければ即ち魚無し 「平成・進化論。」発行責任者の鮒谷 周史氏と【マーケティング発想源】発行者の弘中 勝氏とーメルマガ成功法− 発行者の平野 友朗氏と【社長のビタミン・一日一語】の発行者臥龍 角田 識之氏の皆様を親炙する kannosuke7が、朗るく元気良く、日々の心温まる情報発信をしていきます。 TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN/TENTOKUKIJIN 水も滴る天徳貴人・kannosuke7の日記 [全1838件]
朝からの氷雨ですが、昨日までの旅の疲れが気だるく感じられ、身体全体が鈍いままに、旅の後片付けと併せて仕事の整理をしています。 昨日までは、旅慣れた方々の仲間の一員として、計画された日程のままにのんびりと過ごしていたのですが、帰宅してからは厳しい現実の中で、如何に言行を工夫して、誠心誠意をもっとうとしていくことの現実を確認させています。 外気がこれほど寒くなってくると、旅の疲れどころでない現実の苦労が重く感じてしまいますが、こんな今でこそ現実に確りと対峙をして、諸般の艱難を乗り越えていく気構えと勇気が大切に思うところです。 ついつい愚痴ばかりが先になってしまいますが、人間味があっても、気弱さが大きすぎてしまうことを懸念しているのですが、生きる意欲とは、生甲斐を如何に保持するかによるのでしょうし、どのようにも対応できる能力を構築させることでしょう。 闘争的な能力を望むことではなく、強い信念をもって生きる正義使命を身に持つことこそ、日々の生きる役目を果たすこととしたいものです。 所詮は意気地なしの弱虫であることを自覚していますが、人に負けない信念だけは頑なに持っていますので、変になって頑固なまでに反抗心が強いのかも知れません。 自分に備わっている力量の範疇を理解できないことが、大きな欠点としてありますが、世間的には十分にお役になっていることを誇りとして持っていますが、こと経営的なセンスが無いためなのか、欲張りでないのか分からないのですが、喘いでいる現実を情けなく思うのです。 特段高い技量や能力は持っていなくとも、その時代時代の流れに上手く乗ることができる方が見受けられますが、どこの能力が違っているのでしょうか、経済的に余裕をお持ちの方がとても羨ましく見て取れます。 今回の台湾への旅の道中でも話題がでることがあったのですが、経営が上手く行って、経済的な余裕をお持ちの会社や事業所と家庭でも、何かしらの困難を抱えていることが話題に出ていました。 誰しもが一見するだけでは感じることができない、様々な苦難を抱えている現実を知り、順調である企業所であっても、現状の不安定な経済情勢を心配して、いずれにしても生きる苦難は、誰しもが大小持つ共通なことであることを再確認してきました。 時代の変遷は必ずあることを学んできていますが、これからの先行きを考えると、何時どのように変化がされるかが不安であることを、素直に身に持って潜在化しているのです。 皆が同じ土壌にいて、体験する機会は時差があるだけのことを認識して、あまり恐れるなと自覚をしていますが、自信過剰や喪失することなく、自惚れることなく一生懸命に粛々と生きることが結論であることを、何回となく確認しなければいけないのでしょうか。 ついつい繰り返してしまう愚痴は自慢にはなりませんが、決して萎縮することなく、良善な生き方だけを確りと堅持していきたいものです。
何年間も同じことを経験していても、何故だかまったく同じ感情をもって、感動の別れをすることが、とっても不思議に思えるほど陳腐化していないことを、静かに心の中におきとめているところです。 普通であれば、慣習化して感動の部分が希薄しても可笑しくないものですが、心の中から沸き起こる情感は抑えることができなくて、自然のままに任せるしかない心の揺さぶりを、何度も経験できる喜びとして味わっていこうと思っています。 今回も台湾・高雄に来て実感していることですが、何年間も付き合いのある友人との交流を終えて、新幹線の橋上駅で別れの挨拶をしている時に、どうしても抑えきれない感動が沸き起こってきます。 ご家族を含めて大勢の方々から見送りを受けて、皆さんから病後の励ましの声掛けをうけてしまい、会食の際には演台に紹介をされ激励をうけるほどで、皆さんからの友情が嬉しく、長年の交流が形骸化されていないことを享受できました。 現地到着時には大歓迎のなか、久しぶりでの再開に心置きなく握手をして歓談して、嬉しさのままに笑顔を見せ合って済むのですが、ひとたび別れの時になると、胸に詰まるほどの感情が沸き起こってきてしまいます。 決してお座なりでない心をこめての接待を受けて、どこまでも心の篭ったお付き合いを深めるのかと不思議に思えるほど、真剣になってお付き合いをしてくれることは、国民的な事情があるのか理解ができない嬉しさがあります。 二日間の大歓迎振りは心からの歓迎をしてくれて、決して形骸だけではなく、心から交流をしようとする姿勢と、心の中からの親愛を伝えてくれる事実でした。 空港や駅で簡単な握手で別れても可笑しくは無い不思議さなのですが、理屈抜きでなくごく自然に身体を引き寄せてしまい、お互いに抱き合っての感情の表現は、長年の親交と信頼や信用の積み重ねがあったからこそであることを、独りになった今こそ心の底からにじみ出てきます。 忙しい中で一生懸命になって歓待をしてくれる友人たちが、わざわざ心配りをしてくれる姿からは、人を思いやる優しい心の持ち方を教えてくれるようでした。 表面的なおざなりな交流をするだけであれば、長い年数は積み重なることができないものですが、ほぼ付きっ切り状態での面倒を見てもらっては、ただ恐縮をすることではなく、人との交流の真心を表現する姿勢を学んでいます。 人様からうけた恩義は人様に恩返しをするべきだと、改めて心得をしているのですが、心得をするだけでは、まだ思いやりが足りないことを知らされた旅になりました。 たまたまあった会食後のお話し合いで、高雄を訪問したきっかけと、その歴史を披露し合う機会があったのですが、半分の方がその事実さえも理解できない事実を知らされました。 高雄の方々との深いお付き合いができる、現状の背景にある歴史の積み重ねが、人の絆を深めている真実を、しっかりと次代に伝道すべきであることを、大きな役目にして達成して以降と覚悟をしたところです。
久しぶりに雲の上に出てみますと、地上の曇天と打って変わって太陽の光が燦燦と降り注いでいますし、空中に浮かんでいる身の異空間が、不思議な幻想的思いにさせてくれ、地上でもどかしく生きている日々を、空中から改めて考え直してみることができています。 台北に向けてのジャンボジェット機は、満席の盛況振りで、若い方々のツアーで賑わっていましたが、成田空港を離陸する時間が長く、フルスロットル状態でも滑走時間が長く感じて、漸く離陸できた機中では、瞑想する心の中を覗いてしまいました。 ジェットエンジンの最高エネルギーを回転させながら、満員の乗客と荷物を満載して地上から空中に向けて上昇する姿は、苦難を背負っている今の自分の姿をみせられているようで、ジェットエンジンの強いエネルギーに刺激を受けて、自分の進む行く道を重ね合わせてしまいました。 飛行機が持つ能力の最大限を使うことで、天空高くに昇ることができますし、たどり着いたその結果が、神々しく燦燦と降り注ぐ太陽のエネルギーを享受できて、順風に穏やかな飛行ができることです。 一時の集中する頑張りができれば、その時に経験べきハードルは乗り越えることができることを、改めて心の奥に強く置きとめることができました。 自分の頑張りと踏ん張りがあればこそ、地上から空中への飛行目的が果たせることができ、天空の平和で素晴らしい光景にも肖ることができるわけです。 心地よいジェットエンジンの振動と排気音を感じながら、窓から刺しこむ太陽の光を目うけて思うことは、これからの歩む中での人生で、あらゆる艱難が繰り注いでも、何とか家族の力を結集させて、安泰への大きな推進力を発揮させてみることでした。 出発を待つ間にも観ることができることは、飛行機が空港内で移動して滑走路に辿り着くまでのサポートは、数知れない方々の支援を受ければこそ、安全にその役目を果たすことができている事実を知ることができます。 人生でも同じことが言えるようで、生きるうえで多くの方からの支援や援助を受けながら、自身の生活向上にむけて、一生懸命に役目を果たす日々があると信じます。 到着した台北から新幹線で移動をした南部の街高雄では、台湾の大勢の友人達に出迎えられて大歓迎を受けることができ、うれしくも、病後の身体の心配をしてくれ、心からの友情のありがたさを感じてしまいました。 古い友人から教えて頂いた言葉ですが、大災迎福と言われ、大きな災難の後には必ず大きな福がやってくるので、今からの将来を安心しなさいとのことでした。 涙が出るくらい嬉しいことで、きっと天空の神仏から天恵の授かりごとがあることを、心から強く信じたいものです。 そのためにも、ジェットエンジンと同じように、一心不乱になって持てる能力を精一杯振り絞ってみることが最善の手段なのでしょう。 苦しいときには目の先しか視野がありませんが、その辛苦を乗り越えたときにこそ、輝かしい太陽の恵みが待っていてくれることを信じて、乗り越える努力を一生懸命に発揮させるべきです。 心温まる歓迎をしてくれた台湾の友人達にも、感謝の恩返しをするためにも、大災迎福を信じたいものですし、福を肖るための努力をしていくことだと確信したところです。
世間の中で、様々な人々との交流ができることは嬉しくて、実に張り合いのあることに感じていますし、仲間や友人との交流の大切さを実感しているところです。 普段にいくら孤高に自分を意識しても、所詮は顔を合わせての交流がなければ、孤高どころでなく孤独な存在になってしまう気がします。 人が生きる世界では、ステータスと言った言葉や孤高といった言葉は、自信が思って表現をするのでなく、人様から評価をしてもらえる事実があると思います。 世間の目から頂く評価があってこそ、その人の存在力であると思いますし、真の人間味が生きてくるのだと信じていますが、とかく自身を自身が自惚れてしまう恐ろしさがあります。 いつの時代も自分自身が人間性を磨いていくことが、最優先に意識することができれば、さらには、いつでも勉強熱心に学ぶ姿勢をもてる心構えをもつことで、自ずと内面的な充実感を発揮することができると思います。 人は変わると言われますが、良くも悪くも、その人がもつ資質を高めることから、人様からの見方や評価が変わってくるようです。 それにしても第三者的な表現ではなく、フェースツーフェースの人の心の鼓動が分かる範囲の交流をする中で、お互いの相違を認め合える思いやる心が宿ってくるようです。 批判的に観ていた人に一歩も二歩も近づいて、寛容の心を持って接することをすれば、お互いの許容する範囲が広まって、虚心坦懐に交わることができる一瞬を大事にしたいものです。 相手の人をどんなにか批判的にして非難をしても、感情をもつ人とすれば、人間性の隙間にある同情心が働いて、弱みをもつ人の情けにむけて、思いやりの優しさがめばえてくるものです。 できることならば、周りにいらっしゃる方々に、良き影響力を持てる立場になってみたいし、あえて威厳をもつことなく、泰然自若の自然体の魅力を発揮させる人間性を形成させてみたく思います。 あの人がいてくれるから安心して仲間にいれる価値があると、そんな見方ができる環境を継続することが、お互いの成長を助け合って、相互互恵の魅力を発揮させたいものです。 同じ空間に生活する仲間が多くいればいるほど、お互いに尊敬し合える畏敬の存在を認識して、友愛を厚くさせていければ嬉しいものです。 年齢が嵩んでくると、どうしても偏見をもってしまい、友愛の効果を認識することができないのですが、年齢に関係なく謙虚で素直な心を持ちたいものですし、許しあえる大きな度量を育成させてみたいものです。 時には人様に与える効果を、心得る時間を大切にしてみたいものですし、素朴な心得を磨き上げていき、納得の人徳を輝かせてみたいものです。 内面にもつ有意義な人間性を誇れる立場に、多くの仲間が揃ってくれることを念じて、少しは孤高に距離をおいた立ち居地を心得たいものです。
移動する電車の中でもマスクをしている姿はめったに無く、新型のインフルエンザウイルスの蔓延は、どこまで広がるのかはわかりませんが、目に見えないウイルスだけに怖い思いをしながら心配をしています。 電車の中でいつも思うことがあるのですが、人様からの視線を感じながら、どこを見られているかがわからないまま、多くの方が同じような思いをしながら、それぞれの観察眼を発揮させているように思えます。 移動する交通機関内は人間模様の坩堝に思えてしまう気がしますが、国籍や人種や様々な立場の方々が同じ空間を共有して、同じ境遇を味わうことから、ある種の連帯感が生まれて、移動の時間を分かち合っている気がしているのです。 一種の境遇を連鎖する安心感を相互に共感できるからこそ、移動空間はホッと和める空気があり、個人の集団であって家族的な親近感を感じる要素を併せ持っています。 午後に繁華街に大事な用事があって、重い気分で電車に乗ったのですが、悩み多き人間の眼力は覇気がないのでしょうか、周りに気を遣う余裕も無くて、一点を見つめて思い悩んでいる自分がありました。 高校生の下校時間もあって、たくさんの男女の学生が賑やかに寛いでいる姿があっても、集中力が欠けている時には、周りの様子が目に入らなく耳に聞こえてこないものです。 JR駅の二つ目の駅で下車をするのですが、車内アナウンスと同時に椅子から立ち上がった心算が、降車するドアーに辿り着く前に、乗車する方々が乗り込んできてしまい、正面からぶつかり合うまま立ち応じをしてしまいました。 ちょっと元気のない声で、すいませんと侘びながら漸く駅のホームに出れたのですが、ふと幼いころの体験が思い出されてきて、遥か50年も前にあった出来事が鮮明に蘇ってきたのです。 小学生の低学年であった頃であったでしょうか、私鉄の電車で繁華街に買い物に行って、帰宅の為に自宅がある駅に着き、降りる準備をしたら、どっと集団の子供たちが乗ってきてしまい、電車内に押し込まれてしまったのです。 電車は動き出してしまい心細さが限界になったのか、幼い子供は半べそに泣きながら、次の駅まで乗り越しをしたのでした。 電車内は同じ年齢の子供たちが、学校行事で潮干狩りに遊びに来たのですが、都内からの洗練された子供たちに圧倒されてしまい、しょんぼりと駅員に事情を話して折り返しの電車に乗れたことが誇らしく感じた思い出があります。 気弱過ぎる少年であったのですが、乗り越しのちょっとした冒険を体験でき、一人で夢中で帰れたことが大きな自信になってくれて、その後の人生の構築に心強い体験であったことが、宝物のように嬉しかったのでした。 初老になった今になっても、自信に欠ける諸々の不安事案を払拭させていかねばならないのですが、ふと子供心の気弱に帰ってしまい、どうやら非力な老人だと観察されてしまったようです。 是非是非、しっかりと気合を入れ直して、課せられた責任をしかりと発揮させて、魅力ある人としてよそ様から観られるように、気品ある紳士たるを身につけて表現させたいものと、気力を充満させているところです。
毎日のように悲惨で卑劣な事件が起きている世情がありますが、その起因する事件のお多くに若い学生が関与していることが、少なからず悲しいことですし寂しい思いがしています。 一言目には、今の子供はどうしようもなくて・・・・・と愚痴が出やすい環境になってい るのですが、時代の背景が複雑になって成長していく過程の教育が、大きな格差になっていることを感じてしまいます。 今日にあった講演でお話を伺った校長先生が、現代の学校模様を話してくれましたが、我々の育った子供の時代と違って、子供の心情が大人びてきている現状と、若い先生の意識が変化している様子の話を伝えてくれました。 現代の子供心は礼儀が足りなくて、先生との交流は友達感覚でいるそうで、友達と同格で話をする現況を憂いていましたが、すべてに現職の先生や両親に責任があることを伝えてくれて、若い先生には厳しく接するように指導をしているそうです。 最近の先生方は子供との交流時間を削っても、自分の趣味や余暇に時間を割く方が多くいて、昔のような子供と一緒になって、下校までスキンシップの交流をする姿が少ないそうです。 来年に定年を迎える校長先生からの、熱き思いを聞くことができたのですが、学校の責任者としてのご苦労を訊かされて、教育の現場にいる方のご苦労を思い知らされましたが、管理職としてのご苦労は顔の深いシワになっていました。 年々時代背景が違ってきている中で、家族形成や親が子に躾る方法の違いがあったりして、校長先生の世代感と教師の世代感にずれが生じているようなニュアンスが伝わってきました。 校長先生からのお願い事して、是非とも市民の皆さんからのサポートを願いたく、学校外や家庭での道徳指導を厳しく接してほしいことを話してくれました。 親とすれば家庭生活の中でも、厳しい躾と指導をするべきで、子に手助けをするにも、子供の自我を育てるために、いろいろな場面に自らチャレンジする精神を、育成させることが重要であることを強調してくれました。 ここ数年間には、時々小学校に訪問をする機会があるのですが、恵まれた施設の中で明るい元気な声が聞こえてきて、校庭や体育館で活発に遊んでいる姿からは、無邪気で可愛い純真な天子なのですが、現場の先生からすると、とんでもなく責任が重くのしかかっている様子でした。 特に子供より困ってしまう難儀があって、こどもの親御さんが勝手に学校に怒鳴り込んできて、我が可愛い子供の擁護に献身的な過保護をすることを嘆いておらえました。 なにか不都合なことがあると、直ぐに校長先生を呼び出して、徹底的に先生の非を追及するそうで、そばに居る子供が自分の非を認めても、両親に任せておきなさいと一方的な身勝手な言動には、はなはだ被害者意識になるそうです。 更には、グローバル化は学校にも及んできていて、全校で総勢340名の生徒のうち、30名を超える8カ国からの外国人児童が在籍している現実を、国際化の波及を善悪両面に波及している様子は、現場での先生でしか把握できない諸問題を抱えているようでした。 国家の財産である青少年の未来は、親も学校も社会もあわせもって考え、実行していくことで、健康で明るい国家に寄与していく意識を高め、国家の宝物を見守って生きたいものです。
このたび韓国釜山市内で起こった、日本人観光客が犠牲になった射撃場の火災事故は、現場付近を良く知っているだけに、複雑な思いをしながら報道をみています。 飛行時間がほんの2時間程度で行けてしまう、非常に親しみのある隣国釜山の街が大好きで、今までにも何回か尋ねているのですが、行き来をしていた街の一角で悲劇が起こるとは、身近な街並みだけに、痛ましさが一層深く感じられます。 毎日テレビ報道で写される街並みは、第二の故郷のように懐かしく思い出されてしまいますが、尊い人の命が何人も奪われてしまっては、ただ傍観することもできなく、心からのお悔やみとお見舞いを念じてしまいます。 火災事故があった国際市場付近は、碁盤の目のように細い道路が張り巡らされているのですが、道路の脇には小さな商店がびっしりと軒を並べている姿があって、いつも観光客が沢山溢れて活気があり、時には歩くことも不自由に感じられるほどです。 観光客の殆どは日本からの方々ですから、商店も町全体も殆ど日本円や日本語が通用するくらいで、ますます人情味豊かで親しみの沸く街並みです。 釜山の方々も親しみと礼儀深く応対をしてくれて、食堂でも商店でも気楽に散策したり買い物をしたりして、安心して楽しみ和めますし、人柄が温和で情が深い人々との交流が、ますます親しみが増すことが楽しみでした。 宿泊するホテル近辺に露店をだしている、沢山の飲み屋さんも気さくに楽しむことができて、片言の日本語はかえって元気を貰うことができて、心温まる交流の会話が尚更釜山の街や人を惹きつけてくれます。 誰しも初めて訪問しても、なんら違和感なく生活ができる街として、ふっと旅先でない落ち着きと開放感が感じられて、旅先での気に緩みもあって当然のことですが、危険のある実弾射撃に非難の言葉は掛けることでないと思います。 外国の意識が薄い分金銭感覚がなくなって、日本での買い物から比べると、ほぼ半額の感覚をもって円を利用できる環境から、興味をもつ大人の魔力が持つ危険に、つい足を向けてみたい気持ちが理解できます。 日本のもつ全てが先端からすると、一般的な商店の安全施設は十分機能しているとは言えませんが、少し不安な部分を超越した人の魅力は、昔懐かしい手作りの心温かさがあるからかもしれません。 国際市場近辺のお店に共通するのですが、手作りの無骨さが感じられると何となく親しみが増して、ふと力を抜いて落ち着くことができる街並みがあります。 以前から比べると日増しに近代化が進んで、日本の街並みとなんら変わらないのですが、裏道に入って目に出来る昔の懐かしさが、観光客としては大いに魅力を感じ取れる時だと思います。 今回の悲惨な犠牲事故が、どんな背景で起こってしまったのかは分かりませんが、大きな犠牲を礎にして、安全対策の近代化に向けて飛躍することを願ってしまいます。 何事も貴重な失敗や事故を経験していく中で、改革と改善がされていく進化過程を知るのですが、尊い命の犠牲を無駄にすることなく、日韓の繁栄や市民の隆盛に必ずや大きな役割を果たしてくれることを願ってしまいます。 韓流ブームがあったりして、直ぐお隣の国には多くの同胞が訪問していますが、お互いが尊重しあって、礼儀をもった素晴らしい民間交流が、もっともっと強く花開くことを信じている一人です。 時代の節々に犠牲になった方々の冥福を、心からお祈りさせて頂き、近い将来には国境線を自由に往来できる日を、両国の発展に向けて楽しみに待ちたいものですし、偏見のない国際交流が当たり前になることを念願しています。 |一覧| |