相手に寄り添える自分になれた
仕事×仏法~入会して分かったこと相手に寄り添える自分に看護師 2005年入会 冨塚美枝子さん 専門分野の視点から、信仰の価値を語ってもらう「仕事×仏法」。今回は、婦人部の看護者の集い「白樺会」の一員で、福島県内の包括支援センターで働く冨塚美枝子さんです。 ◇ 入会した頃、私には家族の悩みがありました。胸の内を明かした相手が、通っていたジムのインストラクターでした。彼女は私より一回りも年下の学会の女子部でしたが、とても信頼できる人柄でした。親身に話を聞いてくれ、私が興味を持ちそうな信仰体験の記事を、聖教新聞で見つけては手渡してくれました。その誠実さに心打たれて、入会を決めました。 当時、看護師として病院に勤務して20年以上が経っていました。私たちの仕事は、若い頃は意欲と緊張感にあふれていますが、経験を積むと、どこか”慣れて”しまう部分があるように思います。 信心をして、これじゃいけないって思いました。常に”今から””ここから”と考える仏法ですから、昨日の自分より、一歩成長していたい。自分自身が真剣に生きるからこそ、一日一日を大切に生きている患者さんにも、寄り添うことができるのだと決意しました。 看護は命を預かる仕事です。患者さん本人と、それを支える方々にとって悔いのない日々であるよう、私たちは全力を尽くします。命ある限り使命に生き抜くことを説く仏法の生命観とも、深く共通していると感じます。 ある時、人工呼吸器を着けた患者さんの体をさすりながら、心で題目を送りました。何かの合図をするように、患者さんは私を見つめました。真心が届いたんだなと感じました。そんな患者さんの姿から、元気と勇気をもらったのは私の方です。 2年前からは、県内の包括支援センターで働いています。利用者の生活を支えられるよう、一人暮らしの高齢者を中心に、訪問を重ねる毎日です。 心掛けているのは、「安心を与える」こと。例えば、がんではない人に「がんです」と言うだけで、不安になり、体が弱ってしまうように、精神力は気力や体力に大きく影響します。だからこそ、見守る私たちが「大丈夫ですよ」と声を掛けていくことが大切なんです。 こうして相手の不安を受け止め、気持ちに寄り添う自分になれたのは、日々の学会活動で、同志と苦楽を共にしているからだと実感しています。