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今の職場もだいぶしんどくなってきたので同じ職種で仕事を探しているところです。看護師に限っては病院などの医療現場での慢性的人手不足なので、いくらでも看護師の求人はあるのですが、は~~若干面倒です。
以下のサイトでは転職についてだいぶまとまっていたので、 看護師の求人、募集情報をお探しならこちらがおすすめです。 http://神奈川県看護師求人サイト.com/ さて。看護師の転職活動を終えた後は普段の日記に戻ります。 ここまでヨーロッパの地中海を中心にして書いてきましたが、ユーラシア大陸 の東のほう、中国やインドなどではどうだったのでしょうか。実はこれらの地 方ではさほど、軍艦と呼べるものが発達していません。 その理由は何と言っても「海へ出て行く必要性が無かった」ということにつき るでしょう。中国やインドはヨーロッパに比べて格段に実り豊かな土地でした し、陸路で移動できたからシーレーンはさほど重要ではなかった。 シーレーン、つまり海上貿易が盛んでなければシーレーン防衛に必要な軍艦も 必要性が低いということであまり発達しなかった。それでも明の時代になると 第3代明朝皇帝、永楽帝は勢力拡張を企図し、外国への侵略をドンドン進めま す。それは陸続きの地域だけでなく、海にも進出していったのです。 明は大艦隊を編成し、海向こうの地域へ勢力拡大を図りました。この大艦隊の 長に選ばれたのが鄭和です。15世紀はじめから七回にわたっての大航海を行 ないました。その行き先は東南アジアからインド、アラビアそしてアフリカ大 陸にまで達しました。 この鄭和の大遠征は長さ137m、幅56mという巨大な船を62隻、乗員数 2万7800名という、当時としては途方も無い大艦隊で行なわれたのです。 しかしこの大艦隊で使われた巨船も「軍艦」と呼べるようなものではありませ んでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年08月25日 14時58分19秒
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