自然体(停電騒動からかたる)
近畿、新潟で停電があったが、かなり大規模だったらしいですね。そんなニュースが飛び込んできているが、東京に住んでいるので実感はできない。けれで、山手線のなかで新幹線が遅延の表示がしてあることを思い出した。そのときはわからなかったけど、家に帰って新聞の夕刊を読みながら回想。また、ニューヨークの停電も思い出す。生活にいろいろ支障がでた。私の体験としては今年、石垣島へいってたときに台風が直撃して停電にあった。このときは一晩停電であった。でもホテルにいたので自家発電ですごした。でもそれはエアコンにまでは電力はまわならいらしい。熱かった。っていう体験をした。なんだかキャンプ場のような暗さで風速50メーターをこえる風雨の音を聞きながらすごした。そして、この状況下で贅沢なのだろうが、ゴハンにありつけたのは幸いだった。さて、停電は生活を麻痺させる。ましてやオール電化マンションであれば、停電は致命傷ですよね。でも、本来の生活ってなんだろうね。って考えさせられる。麻痺っていうくらいだから、自然への適応というよりは対抗にかわってしまったのだろうね。だから、抵抗がくずれるとその衝撃はでかいよね。いまの現代ってやっぱり人本来の自然体とは違った方向にいっているのかもしれないなあ。だから、悩んだりするのかもね。だからうつも現代になって増えるのかもしれません。人間本来の自然体ってなんだろうね。それを自分では答えは、この癒しの数々が自然体なのかもって思っています。なんであれ、こんなことぶつぶついうより、現代に生きているのだから、停電はきついよね。自然体って思ったときに思い当たったのがこのCD風の音楽普遍的なパワーをもつ“自然”をテーマに多くの作曲家が美しい楽曲を生み出しました。数々の名曲と美しいフォト、そして、幅広い視点から物事を見つめ、自然に関連した著書も数多い立松和平氏による書き下ろしエッセイで、「見て、聴いて、読んで」安らぐコンセプト・アルバム。フルートやハープの音色、流れるようなピアノ曲には草原に吹く風を連想させる自由な広がりが感じ取れます。風にそよぐ草々、野の花々のフォトとともに、自由な思考を呼び覚ましてくれるアルバムです。読んだらクリックを→