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カテゴリ:映画・VIDEO
この映画は、見る人の立場によって、随分と印象が変わる映画だろうと思う。壮大な自然の景色には誰もが癒され、二人の憤りも感じることが出来るだろう。だけどそれだけではない、何か違う印象を持つ映画だと思った。
ネタバレ満載、ちょっと過激な内容ですので、その辺はご注意ください。 ヒース・レジャー演じるイニスと、ジェイク・ギレンホール(発音はジレンホールらしい)演じるジャックの二人がブロークバック・マウンテンという山で、羊の放牧の番人をする。映画のキャッチコピーやパンフレットには「始まりは純粋な友情だった」みたいなことが書かれていたが、映画ではそれは感じることが出来ただろうか?!そして原作もそんな風に書いていたのだろうか。そう書いたほうが受けがいいから・・としか思えない唐突な二人の愛の始まりだった。二人で仕事を始めて2週間、寡黙なイニスが喋りだした途端、堰を切ったように想いが頂点に達したジャック。その前に友情なんてなかった。 お互い、ゲイじゃないよ、なんて会話があったが原作では、ジャックはイニスに合わせてそう言っただけ、とパンフレットに書いてある。その後のジャックの行動を見ても、彼がゲイだということは解るわけだ。 雇い主は、ブロークバック・マウンテンで二人が愛し合う姿を目撃し、早めに仕事を終わらせる。そして別れが。ジャックは来年も一緒に仕事をしよう、と誘うがイニスは地元に戻って結婚するから解らないよ、とつれない態度でさよならをする。その直後に言いようのない吐き気がイニスを襲い、ジャックとの別れがあまりに辛かったんだと観客は思うが、原作ではそのこと(好きな人と別れる辛さ?)にイニスは気付いてなかったらしい。映画を観てるとこのあたりが切なく感じると思った人も多いだろう。私もそうだった。 お互いそれぞれ女性の伴侶を得て、子供も生まれてあの時から4年後、ジャックがイニスの家に訪れ、熱い抱擁を交わし、口づけするところをイニスの妻、アルマは目撃してしまうのだ。愕然としながらも、二人が山に出かけて行くところを黙って見送るしかなかったが、後にイニスの収入不足を理由に離婚する。このことが話し合われるベッドシーンは「怖い」と思った。他にもイニスとアルマがSEXするシーンがあるのだけれど、後ろを向かせていたところに注目した人は多いだろう。それだけでは解らないが、パンフレットを読むと原作では肛門性交を強いていたらしい。映画だけでは汲み取れない、複雑な気分になった。 離婚の知らせを受けて、一緒に生活できるようになると思ったジャックが駆けつけたらイニスはまたつれない態度をとる。この週末は娘二人と過ごすし、別れたからと言って一緒にはなれないよ、と。だったらなぜ、正式に離婚が決定したと手紙を送るのか・・とイニスの行動にちょっと腹が立った。失意のジャックはメキシコまで行って男をあさる。 イニスが頑なにジャックと生きていくことを拒む理由は、子供の頃のトラウマが原因だと言うことはジャックと過ごした山で語られるので理解できる。だが、生活を変えようとしないイニスの姿にはある意味理解が出来なかった。パンフレットには、娘たちへの愛情だけは、彼の中で違和感のない温かいものだった・・というようなことを書いていたが、その、娘の父親であるということは、ゲイであろうが変わらないのに、世間を気にしてジャックへの想いをねじ伏せるのはあまりに勝手な行動じゃなかっただろうか。 ただ、主演演じる二人と、妻たちの演技は素晴らしい。台詞がない分、表情で演技することの多かったこと。イニスの妻、アルマ演じるミッシェル・ウイリアムズは美人でもないけれど、彼らの抱擁を観たときの驚愕はどう言う心情かを充分表現していたし、ジャックの妻、ラリーン演じるアン・ハサウェイ。最初の勝気なカウガールは可愛らしく、子供が出来て会社の仕事をしだしてからのそつない表情、そしてTVをつける、消すで父親とやりあうジャックとを見てのあの表情といったら。彼らがなぜ別れずにいたか、なんとなく解る雰囲気がよく出ていた。ラリーンとジャックが、イニスとの愛とは違った愛情があったと感じるシーンだった。 イニスは、この苦しみから解放してくれ、と言ってジャックと別れた。果たしてそれで解放されたのか・・。隠れゲイ(クローゼットにシャツを隠してる・・というシーンがそれを象徴している、とパンフに書いてた)として生きていくにしても、もう相手はいない。最後の台詞、ジャックのシャツを見て、「ずっと一緒だよ」だなんて、とても惨めだ。実際の台詞は「Jack,I swear」だったわけだけど、死んでしまわなきゃ愛を誓えないのか~!解らなかったのか~こいつっ!なんて思うと悲しくて悔しくて涙が出た。もう少し彼に勇気があれば、ジャックはホモフォビア(ゲイを嫌悪し攻撃する人達)にやられずに済んだかもしれないのに。 不器用だったと片付けられないイニスの生き方には憤りも感じるが、彼そのものも憤りを感じながら生きていたのだろう、そんな雰囲気が滲み出ていて、寡黙な表情でそんな苦々しい思いなどをヒース・レジャーは上手く表現していた。「ブラザーズ・グリム」では感じなかった演技力というものを感じました。そしてジャック。もうしっかりゲイゲイしい男にしか見えないけれど、時に優しく、弱く、儚げな想いのジャックを見事に演じ切っていたジェイク・ジレンホール。彼は最近「ジャーヘッド」でも見たけれど、苦悩する若者を上手く演じるなぁ~と思う。他といえば「デイ・アフター・トゥモロウ」しか知らないけど、これからも注目してみたい俳優ではある。(好みじゃないけどね~w) 台詞が少ない部分を、表情や風景など、“間”というものを見事に描ききっていた監督、アン・リーに驚いた。作品が評価されてるということは知っているが、実際それほど彼の撮った作品を観たことがなかったのだ。腹立たしく感じるのも、切ないと感じるのも、台詞そのものよりは、それぞれの表情、景色etc…そういったもののシーン、ではなかっただろうか。言葉のない抱擁、そこに胸を締め付けられたでしょう。山の景色に癒されたでしょう。 是非、遡ってアン・リー監督作品を観たい!と思いました。 人を愛することに性差は関係ない、と映画は語っているようで、愛は普遍的なものだ…と多くの人が感じたのなら、この映画は成功してるでしょう。多くのレビューでそういった意見を見かけました。もちろん、ダメな人はダメって意見もあったけれど、切ない愛を感じた人は多いでしょう。でもそれはきっと、ヘテロな人のいい受け入れ方でしょう。実際、ゲイやバイな人からみると、この映画はそういう風に受け入れられただろうか・・と。 そんなこんなで、ただ単にこの映画は切ないねぇ~、自然がキレイだったねぇ~で終われない自分がいる。かなり感情的な意見もあると思いますが、一個人の意見としてご理解ください。 26日に観て、ずっと色々考えて、書き足しつつまとめてみたので長くなった。あとで原作も読んでみようと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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