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2007年07月13日
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カテゴリ:戦争映画
ビデオ1993 ヘラルド  監督:神山征二郎 原作・脚本:毛利恒之
出演者:渡辺美佐子、滝田裕介、田中実、石野真子、仲代達矢、田村高広ほか
112分 カラー 


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 元NHK契約ライターで報道ドキュメンタリー作家の毛利恒之原作の「月光の夏」を映画化した作品。特攻出撃の前日に、佐賀県鳥栖にある鳥栖小学校のピアノを借りにやってきた陸軍特攻兵の消息を巡る逸話で、当時ピアノ担当をしていた実在の先生(上野歌子さん)の証言をもとに、ドキュメンタリー作家が生き残った特攻兵の消息を訪ねて回るというドキュメンタリータッチのドラマになっている。月光の夏の映画化にあたっては、いくつかの地元テレビ局のドキュメンタリー番組を経て、映画化の話が起こり、鳥栖市をはじめ行政や市民団体の資金支援により、独立プロの(株)仕事が制作するという異色の経歴を持つ。感動的な秘話は、多くの市民の感動を呼び、映画は160万人の動員を誇り、文化庁優秀映画作品賞も受賞している。また、ピアノはドイツ・フッペル社製の高価なもので、老朽化が著しく廃棄処分される所だったが、保存されることとなった。なお、上野歌子さんは映画上映の前年に亡くなられたそうである。

 映画(原作?)中では、鳥栖小学校を訪ねてきた陸軍特攻兵は特操1期の少尉2名とされ、目達原基地から知覧へ転進する前日に線路を走ってやってきたとされる。一人は上野の音楽学校ピアノ科専攻でベートーベンのピアノソナタ「月光」を弾き、もう一人は師範学校で音楽教師を目指している青年である。翌日(6月頃)知覧へ転進し、第225振武隊(架空)として、そのまま特攻に飛び立っていったものとして描かれている。戦後45年ほど経過して、特攻隊員の弾いたピアノが処分される段になり、当時のピアノ担当教師(吉岡先生)がその話を生徒にしたことを契機に、特攻隊員の消息探しが始まる。一人(海野少尉)は特攻で戦死するものの、残りの一人(風間少尉)が生き残っていたことが判明し、紆余曲折のうえ吉岡先生やピアノと再会するというものなのだが、生き残りの風間少尉は福岡の振武寮という特攻出戻り兵を集めた施設で、屈辱を与えられたという証言も披露されている。

 上記のように、女性教師は実在しているのだが、原作も映画も仮名を用いており、完全なるノンフィクションではないようだ。とはいえ、劇中で一式戦隼を乗機とし、中尉を隊長に6名編成で飛んだとあったので、知覧から飛び立った特攻隊の一覧から大体の当たりはつくだろうと思い調べてみたが、まるで見当がつかなかった。いくら何でも、実話の感動話であり、生存者の消息までわかったというのだから、全く想定できないというのもおかしな話だと思った。そこで、ネットで検索してみると「月光の夏の真実」というHPに出会った。そこでは何と、ピアノを弾きに来た特攻隊員がいたのは事実にせよ、生存者が特定できたこと、振武寮の話は全くのフィクションではないかという結論になっていた。確かに、毛利氏の著作としては「月光の夏」はノンフィクションとはされておらず、小説となっている。だが、世間的にはノンフィクションとして一人歩きしてきており、果たして上野朝子先生の体験談という事実を利用してまで、小説にする必要があったのか疑問を感じる。本作の後半以降の消息調査及び振武寮の話は全くの作り事ということなのだろうか。生き残った特攻隊員が何を思い、何を話したか、それを率直に知りたいのであり、脚色されたものなどさほど興味はない。私もすっかり勘違いしていた。

 特攻隊員は若いときと戦後で役者が異なっているが、若い時を演じた永野と田中はちょっと大根演技。脚本の台詞自体にも問題があったのだろうが、どうも切々と伝わってくるものがない。反対に戦後を演じた仲代らは重みのある演技で良かった。ただ、本作でとても気になったのは登場するマスコミの姿。石野真子扮するラジオ記者や山本圭扮するドキュメンタリー作家の態度の鷹揚なことといったら酷いものだ。相手の気持ちも考えずにグイグイとマイクを押しつけるだけでなく、相手の感情や立場も無視して「真実を伝えなければならない」の一点張り。実際のマスコミも全く同様だが、見ていてかなり不愉快な気分になった。知らない方がいい事実もある。人間の心を忘れた語り部など・・・・何の意義があろうか。

 レベル的には映画とテレビドラマの間くらいの出来で、ストーリー展開や、映像カットも低年齢でも理解できるような良心的な作り込み。ドキュメンタリータッチをとっているために、説明的な箇所が多く、低年齢の子にとってはいささか退屈に感じるかもしれない。映画として質の高いものではないが、広範に見て貰おうという趣旨からすればこれで正解なのだろう。
 登場する兵器類は少ない。特攻隊員が搭乗する機体はほとんどが操縦席のアップで、一応一式戦隼のような気もするが、海軍機にも見える。あとはミニチュアの特撮で、ちょっと不思議な米軍機も登場する。まあ、戦闘シーンが主眼ではないのでチープであっても致し方ないが、このほかで気になったのは、主人公ら特攻隊員が小学校に行く時も、汽車に乗って振武寮に出頭する時も、飛行服のうえ飛行帽とゴーグル着用であること。飛行服に飛行帽・ゴーグル着用で外出することってあんまりないんじゃないかと思ったがどうなんだろう。

 本作がノンフィクション映画として成立するならば、感動的であり、戦争の悲惨さやむごたらしさを訴える貴重な1本であり、高く評価できるところであった。しかし、明らかにフィクションものだとなると、内容が内容だけに、この映画は特攻隊員や関係者にひどく不信感を抱かせるものだと言える。小説家としての恣意的なウケ狙いということなのだろうが、ノンフィクション映画と勘違いしている視聴者にとっては史実捏造ということにもなり、せっかく感動的な話しに仕上げた本作の価値を著しく低下させているような気がして残念である。初めからフィクションであると謳ってしまった方がよっぽど良かったのではないだろうか。だからといって訴えたいことが変わるわけでもないのだろうが、何だかすっきりしないのであった。

興奮度★★
沈痛度★★★
爽快度★★
感涙度★★★★



!(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)
終戦から45年ほど経過したある日、佐賀県の鳥栖小学校を退任していた吉岡公子先生は、体育館の片隅で埃を被っていた古いグランドピアノが廃棄処分されると聞き、思い出深いピアノを引き取らせて欲しいと頼む。
 終戦間際の昭和20年6月、吉岡先生は当時高価だったピアノの担当をしていたが、最期の名残にピアノを弾かせて欲しいと二人の特攻隊員が訪れ、このピアノを弾いたというのだ。一人は上野の音楽学校のピアノ科専攻で、ベートーベンの「月光」を弾き、もう一人は熊本師範で音楽教師を目指している青年だった。 5km離れた目達原基地から線路を走ってやってきた特攻隊員の最期の演奏を聴いた吉岡先生は、生けてあった花を二人に手向ける。その後、特攻隊員が再び訪れることはなかったが、この話しを聞いた校長先生は全校生徒に講演することを勧める。
 この逸話は瞬く間に広がり、テレビ等でのドキュメンタリー番組として取り上げられるが、放送を見た人々から様々な反響がある。廃棄処分されることとなっていたピアノは修理して保存しようという運動となり、二人の特攻隊員の消息の情報も入り始める。自らも特攻隊員だったという老人結城は、特繰1期の隊員ではないかと推理し、隊員名簿から音楽専攻の出身者を捜したところ、熊本県に生存している風間森介さんではないかと情報提供する。すぐさま九州日報の記者が電話連絡を入れるも、本人は全く覚えていないと答える。このことが記事となり、実は吉岡先生の体験談は嘘ではないかとの憶測すら出始める。
 不信感を抱いた地元ラジオ局の記者石田りえは、ドキュメンタリー作家の三池安文の協力を得て取材を進めるが、風間は堅く口を閉ざしたままだった。三池は吉岡先生を連れて知覧特攻会館を訪れ、そこでピアノを弾いた隊員が海野光彦少尉であることを確認する。また、特攻から引き返してきた隊員が福岡の第6航空群司令部にある「振武寮」に集められていたことを突き止める。大牟田に在住の石倉氏から振武寮について話しを聞き出したところ、外部との接触も一切認められず、臆病者として4,50人が厳しい監視下に置かれていたことが判明する。三池の従兄弟もまた特攻帰りとして不遇の戦後を送っており、三池自身他人事ではなかったのだ。
 ついに風間が口を開く。風間少尉は知覧に転身した後、久本啓之中尉(22)を隊長に、海野少尉(22)、木場周一伍長(17)、新藤武志伍長(18)、中島秋男伍長(17)の6機で特攻に出撃するも、エンジントラブルで単機引き返した。再出撃もなく福岡の司令部に出頭を命じられるが、そこで待っていたのは矢ケ島作戦参謀少佐の痛烈な皮肉と侮辱だった。臆病者として振武寮で精神の涵養を命じられ、外部との接触を一切禁じられた。振武寮には、再起をかけ同様に引き返してきた隊員がおり、中には侮辱した作戦参謀の部屋に特攻をかけようというものまでいたというのだ。
 風間は妻を連れて吉岡先生の待つ小学校へ赴く。風間の妻は海野少尉の妹だった。吉岡先生とピアノに再会した風間は、ベートーベンの月光を弾くのだった。


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最終更新日  2007年07月13日 07時44分33秒
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