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2008年03月02日
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カテゴリ:戦争映画
ビデオ2008 アスミック・エース 監督:小泉堯史
出演者:藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックイーン、富司純子、蒼井優ほか
110分 カラー  


早速見てまいりました。さっぱりした作りでしたが、なかなか良かったですね。ただ、客層が高齢(5、60台)でマナーが悪かったのが残念です。おしゃべり、携帯、いびきなど・・・。この映画観て何思うのだろう・・・。

 名古屋無差別空襲で撃墜されたB-29搭乗米兵を処刑した罪で、B級戦犯として絞首刑となった第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将の「法戦」を巡る秘話を描いたヒューマンドラマ。原作は大岡昇平の「ながい旅」で、部下を守りリーダーとして一人絞首刑になることを「本望である」と受け入れつつ、米軍の非人道的無差別爆撃が国際法違反であることを主張した、戦勝国による一方的な裁判と闘った男のノンフィクションである。映画化にあたり主演の藤田まことは、実在の人物を演じることに悩んだということだが、本作では見事岡田中将になりきったかのような名演技を魅せた。

 この手の作品は「戦争美化」だとか、「日本の戦争責任の回避」だとか、「右傾化を増長する」といった論評を受けやすいものだが、もし本作を見て本当にそう思うのであれば、非常に残念なことだ。
 本作は、確かに軍事裁判を題材にし、岡田中将の法戦を描いたものではあるが、その内容の是非は主眼ではない。この世に生を受けた人間としてあるべき道の一つの実践例を示すものであり、岡田中将の人格や思想信条を正すものでもない。そこには岡田中将の人間としての尊厳、そして実践に対しての尊敬の念のみが存在する。人間の尊厳は、法や社会体制、さらには時の価値観に勝るものであり、移ろいゆく時代の流れの中においてでも、決して変わる事のない人間の原点である。本作において、人間としての尊厳を守ろうとする岡田中将に尊敬の念を感じることが出来れば、それで十分なのだろうと思う。本作において、たとえ製作者にそれ以上の企図がたとえあったとしても、その比重ははるかに低いものとなっている。
 尊敬は信奉とは違う。決して彼の行動や言論をそのまま受け入れるというのではない。人間が存在する以上争いは絶えない。人間が人間を裁く以上完全なる公平は不可能である。善悪の二元論、唯物史観に毒された我々の視点で見れば、岡田中将の取った行動、軍事裁判そのものに対して、一つ一つの是非の論争があるだろう。しかし、人の価値観が多様である以上、結論付けること自体無理であり、法による線引きは人間の尊厳を包含することなどできはしない。
 岡田中将は米軍の無差別爆撃を国際法違反と主張し、米兵殺害を米軍規定にある「報復」ではなく「処罰」と言い切る。彼が「法戦」と位置付けるこの裁判だが、彼自身多くの矛盾が存在することを感じていたであろう。国際法違反かどうか、軍規違反かどうかの論点は、裁判上重要な論点となるが、違反でなければ何でも良いのかという矛盾がある。名古屋空襲で多くの犠牲を出した国民の気持ちの代弁者として、戦時の軍人として責務を共有した責任者として、人として彼が背負うものは非常に大きい。裁判で勝てばいい、白黒がつけばいいというものではなく、それ以前に人として伝えるべき、信ずるべきものがあるのだ。命を賭してまっとうする姿に、人として尊敬の念を抱くのだ。
 その対比には、平然と寝返る戦後法務局の元軍人、自己責任を回避しようとする軍幹部がある。戦後多くの国民が責任を回避し、他人に責任を押し付けてきた。戦争責任は個人に帰結するものではなく、世論を形成した国民全員で負うべきものではなかったか。生活が苦しいのも、社会が不安なのも、全て役所や政治家のせいにしてしまう、現代への警鐘のような気がした。
 岡田中将の姿を理想の上司、リーダーと論じる声も聞こえる。だが、間違ってはいけないのは、この上司と部下の間には全幅の信頼がなければならない。上司の命令は絶対であり、上司は部下の行動に全責任を負う。もはや、個人主義が闊歩する現代において、我々には到底なしえない姿なのかもしれない。

 映画としては、ややインパクトに欠ける。ノンフィクション母体ということもあるのだが、法廷シーンと収監シーンがほとんどで、面白みや娯楽性はかなり低い。随時、竹野内豊のナレーションで解説は入るが、軍事裁判の背景や国際法などの知識は最低限必要となる。そういう意味で、テレビドラマ的なチープさを感じてしまう。個人的には名古屋空襲や列車への機銃掃射シーンの映像があったほうが良かったかとも感じたが、あえてそういうシーンを入れないことで恣意的な感情を排除し、岡田中将の心に集中させたのだとすれば、それもありかとも思う。娯楽性を求める人にとっては、退屈に感じるだろう。
 本作の大部分は裁判シーンではあるが、実際の裁判内容を映画に置き換えるにはやや時間が足りない。だが、戦犯容疑の是非を問う映画ではないとすれば、それで十分だろう。岡田中将の人間性を表すシーンも適度だった。心情に深入りしすぎず、数少ない言葉によって、人としての生きかたを自分自身に照らし合わせることができる余裕を持たせてあるのが良い。カメラワークも動きが少ないが、淡白に見えるこの作り方は、視聴者に考えさせ、余韻を残すうえで効果的だったと言える。
 感涙したシーンとしては、敵対する立場のバーネット検察官との会釈シーン、フェザーストーン弁護人と傍聴席の家族との交流シーン、岡田中将の裁判委員長ラップ大佐への感謝の言葉シーン。いずれも、敵国米国人との交流シーンだが、そこには全てのしがらみを越えての、人としての尊厳がある。結果として絞首刑を宣告せざるを得ないが、後にバーネット検察官が減刑嘆願を出した事でわかるように、人である以上、法律解釈では片付けることのできない気持ちは世界共通であることに、安堵した。
 その3人のアメリカ人を演じた役者の演技は見事だった。なかなか難しいであろう顔の表情で、言葉の奥にあるものを演じ切っており、藤田まこと以上とも言える存在感を醸し出していた。

 人はその場その場の立場環境で、多くのしがらみに縛られる。そのしがらみや法律、規範に縛られながらも、人は人としての尊厳を持って生きていかねばならない。現代社会では、法令や白黒をつけたがるマスコミ等の世論によって、監視型社会になりつつある。だが、その前に人としての尊厳を忘れてはいまいか、そう岡田中将が語っているように思えてならなかった。

追記:比較映画として「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア(2005独)」を見ると興味深い。こちらはドイツのニュルンベルグ裁判で軍需相シュペーアの裁判を描いたもので、ドイツ人の戦争に対する考え方や軍事裁判への対応がこうも違うものかと感じる。特に、ゲーリング等の判決後の姿勢に、本作の岡田中将のような礼節や尊厳というものがまるで感じられないのは、やはり日本人には礼と義理を重んじる特性があるのだと再認識できる。


興奮度★★★
沈痛度★★★★
爽快度★★★
感涙度★★★★★





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最終更新日  2008年03月03日 11時09分21秒
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