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2009年06月18日
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カテゴリ:戦争映画
ビデオ2009 東映 監督:木村大作
出演者: 浅野忠信、香川照之、松田龍平、宮崎あおい、仲村トオル、役所広司ほか
139分 カラー 



明治40年、国防のため日本地図を完成させるべく前人未到の地「立山剱岳」登頂を果たした、日本陸軍参謀本部陸地測量部測量手柴崎芳太郎を中心としたドラマ。原作は新田次郎の同名作で、監督は「八甲田山」で撮影監督を務めたカメラマン木村大作。本作は原作に沿って、ドキュメンタリー風ヒューマンドラマに仕上げられている。
 剱岳は富山県に所在する標高2999mの山で、日本でも最も険しい山とされる。立山信仰の立山曼荼羅では針の山と称され、血の池地獄や餓鬼の田んぼと並んで立山地獄界を構成する。初登頂の際に山頂で発見された錫杖は「銅錫杖頭 附鉄剣」として国の重要文化財にも指定されており、すでに古代修験者によって登頂されていたことが判明した。陸軍陸地測量部の剱岳登頂は測量三角点の設置を目指したものだが、「点の記」として記録される三等三角点は設置できず、四等三角点を設置している。測量にあたり大山村出身の宇治長次郎をガイドとし、立山温泉を起点とした。その立山温泉は国指定重要文化財となった立山カルデラ内の白岩砂防ダムの上流にあり、現在は立ち入りできずタイルや浴槽などの残骸が残っているだけである。
 
 さて、本作は「八甲田山」「聖職の碑」に次ぐ雪山三部作とでもいうべき作品で、前二作は雪山の厳しさを衝撃的、感動的に表現した名作だ。特に「八甲田山」で見せた自然の厳しさの映像は世界トップレベルといっても過言ではないだろう。それだけに映像の美しさやスケール感、大自然の脅威と畏敬の念がどう表現されるのかが興味深く、、そのカメラマン木村大作監督ともなればいやがおうにも期待は高まった。
 結論から言えば、本作の映像に関しては及第点。美しくも険しい立山連峰の映像は素晴らしいし、何よりも映画でここまでの撮影ができたことは賞讃に価するだろう。剱岳をはじめとする各山頂の登頂シーンはもとより、雪渓や痩せ尾根の歩行、雪崩、落石シーンは命を張った緊迫感が伝わってくる。特に雪庇上を歩行するシーンは手に汗握った。また、山岳シーンでの雲の早い動きも素晴らしい。高山では天候の急変はつきものだが、まるで早回しのように素早く流れる雲の動きにはいつも驚かされる。
 撮影は大部分が富山県内で行われたようだ。当然剱岳をはじめ立山連峰での撮影が主体だが、立山温泉セットは富山市内にある国重要文化財旧浮田家住宅で行われ、明治時代の市内電車など東京の様子は愛知県の明治村とのこと。驚いたのは田園部から立山を望むシーンで、現在の家や鉄塔などが全く映っていないのだ。今日現代構造物が映らない撮影ポイントはなかなかないはずなので、良く探し出したものだと感心する。

 だが、残念ながら映画全体のストーリー性や完成度から言うとやや残念な結果となった。期待外れだったのは登場人物から伝わってくる情熱や感動がやや薄いことで、その理由の一つとしてストーリー上の起承転結がなく平坦な内容になってしまっていることがあげられる。三角点設置に臨む陸軍の意気込み、山岳会との登頂競争、地元ガイドの確執など、盛り上がるべき要点は描かれてはいるが、非常に淡泊なのだ。ここから得られるインパクトが薄いために台詞や行動からなかなか心情の起伏が伝わってこないのだ。
 もう一つは役者の表情のアップシーンが少なかったことだろう。山岳自然映像に力点が置かれすぎたのか、人物描写がおろそかになっている感じがした。どれも画一的なアングルと引き具合で、登場人物の表情から苦しさ、楽しさ、嬉しさの表現がなかなか伝わってこないのだ。主人公柴崎役の浅野忠信が非常に淡泊で感情のない人間に見えてしまったのはマイナス要因だろう。ガイド長次郎役の香川照之にしてもあまり片田舎の人間に見えず都会的な臭いがしたのは私だけだろうか。
 また、余談だがちょっと富山弁に違和感が・・・(笑)。日頃から富山弁を聞いている身からすると、すごくとってつけたような台詞に聞こえてシリアス感が阻害されてしまった。他県人ならあまり気にならないところだろうが(笑)。

 全般にコンパクトにまとめてきたが、やはりインパクト不足の感は否めなかった。確かに山岳映像は美しかったが、映画はストーリーあっての映像なのだと改めて感じた。ストーリーの強弱や登場人物の心情描写がしっかりと色づけされていれば、きっと立山連峰の映像がもっと生きてきたであろう。天下の剣といえども八甲田の山は超えられなかったか・・・・。

興奮度★★★★
沈痛度★★
爽快度★★★★
感涙度★★


 
!(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)

明治39年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎は、参謀本部の大久保少将、矢口中佐、玉井大尉らに呼び出され、日本地図最後の空白点である前人未到の山「剱岳」の三等三角点設置を命じられる。ロシア軍などの列強の脅威から国を守るためと大義を掲げてはいるが、折から西洋登山術を取り入れた日本山岳会会員小島烏水らの剱岳登頂計画を知り、軍の威信をかけて初登頂を目指そうというものだった。すでに、数年前に引退した先輩古田盛作がチャレンジしたものの、登山口すら見つけられずに失敗していた。
 無謀な計画だったが、柴崎は断ることもできず、古田から地元ガイド宇治長次郎を紹介され、立山へ視察に向かう。新婚の柴崎は妻葉津よを残して富山駅に降りたつ。ガイドの大山村出身の長次郎は駅まで迎えにきており、長次郎の家に投宿する。長次郎の描いた山の絵、そして長次郎の勘を頼りに剣岳周辺から登山口を探す。だが結局ルートを見つけることができず、根雪となる天候の悪化のために視察を中止する。その際に修行中だった行者を岩殿から救って帰る。行者は剣岳登山のルートについて「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」と言い伝えがあると教えてくれる。
 いったん帰京した柴崎の報告に矢口中佐ら陸軍参謀本部は怒る。なんとしても日本山岳会よりも先に初登頂せよとの厳命に、玉井大尉は同情を示しつつも柴崎に初登頂を託す。
 翌明治40年早春、柴崎は測量部の測士木山竹吉、助手の生田信を伴って再び富山入りする。剱岳登頂には麓の芦峅寺集落のガイドが適していたが、立山信仰の村では剣岳登頂はタブー視されていたため、測量機材の提供は受けられたものの、ガイドは宇治長次郎ほか大山村の宮本金作、岩本鶴次郎、山口久右衛門らが徴用された。宇治長次郎もこのガイドをすることで芦峅寺集落との関係が悪化するうえ、芦峅寺集落で働く息子とも険悪な関係になっていた。
 柴崎は測点観察に取り掛かり、27カ所の観測点を設置し始める。手間のかかる仕事にガイドらは不満を漏らすが、柴崎はこれが測量部の仕事だと地道に行っていく。一方若い生田は早く剱岳登頂を目指そうと焦るのだった。柴崎らが測量を行っているうちに、日本山岳会の小島烏水、岡野金次郎、林雄一、吉田清三郎らも富山入りする。剱岳登頂を行わない柴崎らを横目に小島らは剱岳登頂のルート探しにいそしむ。
 そんな中、生田は剱岳登頂ルートの開拓を焦り、岩場を滑落して大けがを負う。いったん立山温泉に戻った柴崎らは先に降りて石標を製作していた木山と合流する。なかなか剱岳登山への道筋がわからず、初登頂競争を余儀なくされる柴崎は妻や古谷苦悩を手紙する。妻は夫を信じ、古田は測量をやることが仕事だと励ます。
 池ノ平山、雄山、奥大日岳、剣御前、別山などに三角点を設置し、生田も復帰し、いよいよ剱岳登頂を目指すことになる。日本山岳会の小島らはいまだ登頂ルートを探し出せずにいたが、次第に遊び半分の自分たちと違って測量をしながら登頂を目指す柴崎らに敬意を示し始める。
 「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」の言葉をヒントに万年雪の雪渓から登るルートを発見する。雪崩など非常に危険なルートだが、ほんの僅かな時期だけ登るチャンスがあるのだ。柴崎、木山、生田、宇治長次郎ら数人のガイドとともについに山頂付近に達する。最初の一歩を記すことを固辞する長次郎に、柴崎はあなたがいなければ登頂できなかったとして長次郎が先頭で剱岳山頂に達する。石標を持っては無理だったため、石標のない四等三角点だったがついに三角点を剱岳に設置することができた。だが、山頂では古代の修験者による銅錫杖頭と鉄剣が見つかった。剱岳はすでに古代に修験者によって登頂されていたのだ。富山日報記者は初登頂ではなかったことを新聞に書きたて、参謀本部では初登頂でなかったことにひどく失望する。だが、玉井大尉だけは柴崎の功績を讃えるのだった。
 それでも柴崎らは黙々と測量を続ける。別の観測点から剱岳山頂を望むと、そこには剱岳登頂に成功した小島らの姿があった。彼らは手旗信号で柴崎らの初登頂と偉業を讃える。柴崎らは小島らにも登頂の祝辞を送り、両者の間に厚い友情が生まれたのだった。





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最終更新日  2009年06月18日 22時43分03秒
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