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「六番目の小夜子」
恩田陸著(新潮文庫 平成13年2月1日 発行 1992年7月、新潮文庫ファンタジーノベル・シリーズにて発表、1998年8月単行本として刊行) 私たちの学校にある「行事」、いつ誰が始めたか分からないこのゲームは三年に一度必ず行われる。 サヨコはサヨコになることを承知した証拠に四月の始業式の朝、自分の教室に赤い花を活けなければならない。それがその年のゲームのスタート。 サヨコであることを誰にも悟られてはならない。 卒業のときに次のサヨコを選んでこっそりとメッセージを送らなければならない。 だから鍵を渡すだけのサヨコの年もある。 今年は6番目のサヨコの年。誰がサヨコなのか、転校生津村沙世子の正体は?サヨコを成功させれば吉(大学合格率のアップ)、失敗すると恐ろしいことが起きるというが・・・ バスケ部の雅子、雅子が好意を寄せる由紀夫、由紀夫の友達で兄姉も同じ高校出身の秋、そして高校生活もあと一年という時期にやってきた沙世子。高校生最後の夏。最後の学園祭。そして受験。 大人と子どもの境界。学校という、特異で閉じられた、でも優遇された空間。 私が「六番目の小夜子」と出会ったのはNHKの子ども向けのドラマだった。 小説では高校生に設定されている主人公たちを中学生に設定し、あの年頃ならではの、演技のうまさなんてどうでもいい、その年頃の子どもたちだけが持つ輝きが魅力なドラマであった。 昔の少年ドラマシリーズを思い出させると思っていたら作者もそれを意図していたことは後書きに書かれていた。 ただ、小説既読の方々の「高校生の受験前という緊迫感と興奮が中学生の設定で薄れてしまった」などドラマに対して否定的な意見もいくつか見てしまったため原作を読むことを躊躇していた。 しかし、そうした思い込みはもったいないことだとようやく最近になって読んでみました。 ドラマとは多少ストーリーは異なりますがどちらも夫々楽しめると思いました。 原作では平凡な転勤族の両親と3人暮らしの沙世子がドラマでは中々魅力のあるおばあさまと生活していたり、秋の両親も原作では小柄でやさしい母と裁判官のため普段はとても忙しくちょっと風変わりな楽しい父がドラマでは離婚して二人(秋と年子の弟)の子どもを一人ずつ預かっていたり。 人生の岐路という点では確かに大学受験は大きな岐路だと思うけど、中学生の子どもがいる親としては高校受験は失敗の受け皿が大学受験ほど広くないし直ぐに閉められてしまう本当に狭い門だ。 だから、ドラマは中学生たちでいいんだと思ったり。 恩田さんの作品には入れ子のような繰り返しが良く出てくる。この作品もまた例外ではないのだけど、しつこくない。 意外に何に一番共感を持ったかというと、高校に暖房器具が無いところ。私が卒業した高校にはサヨコほどの伝説は無かったけど同じように生徒主体の学園祭があったり、冬の暖房器具が無かったり。そんなどうでもよさそうなところが懐かしさ一杯。高校生の頃に読んだらもっと楽しめたんでしょうね。 ドラマDVDは第一~三集まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月14日 00時41分48秒
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