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いつかどこかで

いつかどこかで

祖父と川端康成氏の思い出

『 伊豆の踊り子 』 祖父と川端康成氏の思い出 2007/2/11





祖父は伊豆河津の出です。
高等小学校を卒業した後、東京の工業大学 ( 現東工大 ) へ進学しました。
祖父の父親という人は、山畑土地持ちの小金持ちでしたが、事業に失敗してその多くを失ってしまいました。
が、大法螺吹きは変わらず、数学者になりたかった祖父に、学者など金にならん、実業家になれと実業系の学校に進学させたのでした。

祖父は進学のため上京すべく下田から船に乗りました。
その船上で祖父はある青年と懇意になります。

どちらから話かけたのでしょう。
二人は同じ歳と分かり、祖父は伊豆の田舎から進学のための上京、
青年は一高( 現東大 ) 生で、休暇を伊豆で過ごしての帰京であることなど語り合いました。

祖父は母親から二食分として握り飯を山ほど持たされていました。
握り飯といっても、伊豆風の酢飯を、潰れた球状に握ったのの上にかんぴょうやら椎茸の煮たのやらをのせたものです。
食うか、と祖父が問うと青年は、頂くと言って、まあ、食うわ食うわ、小柄であるのにほとんど青年が食べてしまいました。

祖父は大きなウールの黒マントを着ていました。
祖父は骨太のしっかりした体型ではありましたが、大柄というのでもありません。
が、着ていたマントはとても大きなものでした。
それというのも、祖父の父親は大変小柄な人で、祖父をとても大柄と信じており、何を誂えるにも大きく大きく作ったのでした。
上京する息子に特大のマントを作ったことはいうまでもありません。
夜になって寝る段になり、青年は軽装で寒さから身を守るものもなく、二人は一緒に祖父の大きなマントにくるまって眠りました。

船は東京に到着し、二人は別れましたが、連絡を取り合おうと約束しました。
以来青年が死ぬまで、二人は交流を続けました。

祖父は大学を卒業して横浜に会社を興し、ある程度の成功を収めました。
青年は作家として成功し、後にその伊豆旅行と帰京の船旅を小説にして、
文化勲章、遂にはノーベル賞を受賞しました。
言うまでもなく、川端康成氏です。

祖父はその出会いの話を、晩酌をしながら三人の子供たちによく語りました。
しかし祖父は、青年が作家として成功したことは知っていても、小説などを読むような人間ではありませんでした。
長女がたまたま 『 伊豆の踊り子 』 を読み、
お父さま、お父さま、物語にお父さまのことが書いてある、と言うまで自分が小説に登場していることなど全く知らずにいました。

祖父は驚き喜び、すぐに本屋へ行って、あるだけ全部買ってきなさい、と長女に命じました。
その大量の本を恐らくは知人や親戚に配って自慢したのでしょう。

『 伊豆の踊り子 』 記念碑が建った折の祝典には祖父も呼ばれ、映画に出演した歴代の女優さんを見て、
田中絹代はありゃ・・・・だなあ、吉永小百合は実に綺麗だなあ、などと鼻の下を伸ばしていました。
祖父と川端氏が握手をする写真入りで、伊豆の地方紙に記事がのり、大切に取ってありました。

それから間もない 1972年に川端氏は亡くなり、その2年後には祖父も亡くなりました。

件のマントを子等は見たことがなかったので、どうしたのと尋ねると、祖父は、東京で下宿していた時に盗まれた、と。
勿体なかった、いい思い出になったのにね、と祖父の長女、母は言います。




今日、母が語った昔話です。
写真がありますし、雑談としては何度も聞いた話なので祖父と川端氏の交流は知っていましたが、
今日は改めて、娘と一緒にきちんと ( 根掘り葉掘り ) 話を聞きました。
母と叔母が亡くなればもう誰も知らないエピソードとなってしまいます。
私自身時間がたてば細かいことは忘れてしまうでしょう。
書いて残さねばと思い、急いで書きました。


      白状しますが、私は 『 伊豆の踊り子 』 を読んでいません。
      高校まで海外文学専門で日本の小説は読んだことがなく、学校の文学史などで作品名と作家だけはずらりと暗記しているのに
      何もよんでいないのはあんまりだと考え、大学入学後、年表にのる明治以降の作品を順番に読みました。
           好きなものもありましたが ( 芥川龍之介、田山花袋や国木田独歩もまあまあ )、ほとんどは我慢して読んだようなものでした。

           年表順に読み進み、川端康成 『 雪国 』 まできた時初めて、それまでの、じめじめした私小説的なものとは全く違う、
           簡潔でありながら行間を読ませるような美しい文体に、伊達にノーベル賞を貰ったのではない、と感じ入りました。
           前後して所謂 『 新感覚派 』 と呼ばれる菊池寛、横光利一などを読み、日本文学はここで変わったのだなと妙な感動を覚えました。
           続けて 『 禽獣 』『 千羽鶴 』『 古都 』 を読みました。

           にもかかわらず 『 伊豆の踊り子 』 を読まなかったのは多分、山口百恵や栗田ひろみの“ 踊り子 ”にうんざりしていたからでしょう。
           観ちゃいないんですが、天邪鬼な私は騒がれるほど嫌になって。
           今となってはそれも風化し、名前だけが残った状態。
           『 伊豆の踊り子 』 読んでみようかな。





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