P・K・ディックの世界
次は、ディックの無数の短編の中でとりわけ傑出しているとも思いませんが、映画化された1本。 スピルバーグ監督のもと、トム・クルーズ主演で 『 マイノリティ・リポート 』、浅倉久志氏の翻訳で 『 少数報告 』 です。 文庫本にして60ページ余の短編です。 『 少数報告 』 THE MINORITY REPORT 1956 P・K・ディック 作 浅倉久志 訳 ハヤカワ文庫SF ディックの小説 ( すべからくSF小説なるもの ) の最も重要なファクターは、物語の背景となるシチュエーションだと私は考えています。 そこにどれくらい入り込めるか、( どれくらい上手く騙されるか ) が小説の出来不出来をほとんど決めると考えています。 昨日紹介した 『 電気羊 』 でいえば、核戦争後の近未来、生き残った人間の多くは他惑星へ移住、残された少数の人間の地球社会は、死の灰と増殖するキップルに埋め尽くされようとしており、人々は情調オルガンや共感ボックスに頼り、絶滅した動物を渇望する。 精巧な模造動物、精巧なアンドロイド ・・・・ といったようなシチュエーション。 『 少数報告 』 でのそれは。 未来を予知することのできる3人の超能力者=プレコグがこれから殺人を犯す者を指名し、彼らが実際に犯罪を犯す前に警察が逮捕する ことによってできた犯罪のない社会、です。 映画でも小説でも散々描かれてきた、パラレル・ワールド、多重未来を皮肉に、単純に逆手に取ったシチュエーションなのですが、なるほど、と 唸らせます。 スピルバーグが魅せられたという気持ちが分かります。( 映画の出来はともかくとして ) そしてそれが1956年に書かれていることに驚かされます。 昨日と同様、最初の一文を紹介します。 「 その青年を見たとき、最初にアンダートンの頭にうかんだのはこんな考えだった。おれは禿げてきた。禿げて、腹が出てきて、 老け込んだ。 」 主人公は、犯罪予知システムを作り上げた警察署長アンダートン。 アンダートンは、アシスタントとして赴任してきた新人の若さとあっけらかんとした野心に、嫉妬と脅威を感じます。 その嫉妬と脅威が、この後のアンダートンが陥る運命の伏線になってゆきます。 犯罪予知システムとは、どのようなものか。 「 薄暗がりの中に、三人のプレコグがすわって、なにごとかしゃべっていた。 その意味不明な一語一語、でたらめとしか思えない音節が分析され、比較対照され、文字や記号に翻訳され、カードに転写されて、 分類コードのついたいくかのスロットから出てくる。 プレコグたちは、一日じゅう、高い背もたれのついた特製の椅子にすわり、金属バンドと導線と留め金でひとつの姿勢に固定されて、 うわごとをしゃべりつづけるのだ。かれらの肉体的欲求は自動的にみたされる。かれらには精神的欲求はない。 植物のように、ぶつぶつつぶやき、まどろみ、生きつづけている。彼らの心はぼんやりとして、とりとめがなく、影の中に失われている。 」 カード、分類コード、金属バンド ・・・・ 何ともアナログです。 1956年に描かれたSF小説のこの具体的かつ映像的なアナログさが、逆に悪夢のようなそら恐ろしさを感じさせます。 新人を案内しプレコグとシステムを見せた時、アンダートンはスロットから吐き出されたカードに自分の名前を見つけます。 自分が殺人を犯す、しかも相手は見ず知らずの人間。 アンダートンは信じられず、自らが半生を捧げて築いた犯罪予知システムに初めて疑問を持ちます。 アンダートンは、疑心暗鬼に苛まれながら、どうどう廻りの悪夢のような世界を逃げ惑います。 抜け出せない迷路、気が付けば同じところをどうどう廻り。ディックの悪夢世界の真骨頂です。 恐ろしいモンスターも宇宙生命体も彗星や洪水のパニックもなく、ただ陰鬱で滑稽で混乱した精神世界が描かれるのです。 逃亡生活の中で、アンダートンはやがて 「 多数派の存在が論理的に意味するものは、それと対応する少数派の存在である 」 とのヒントを得、1人1人のプレコグがそれぞれどのような予知夢を見たのかを調べるに至ります。 そして、アンダートンの殺人は、「 殺す 」 と予知したプレコグが2人、 「 殺さない 」 と予知したプレコグが1人、多数決によって出された判断で あったこと、予知の別れた原因が、時間の位相のずれであったことを突き止めます。 つまり、「 殺さない 」 と予知したプレコグが見たのは他の2人よりほんの少し先の未来、最初に出された 「 殺す 」 というカードをアンダートン 本人が見ることで、「 殺さない 」 に変化した未来だったのです。 更に、同じ 「 殺す 」 で一致を見た2人のプレコグの予知も実は位相がずれていたことが、最後のどんでん返しに繋がってゆきます。 「 殺さない 」 未来に納得はしたものの、自分がそうであるなら、すでに逮捕拘留されている他の未来犯罪者もそうあり得たのでは、 という疑問が当然アンダートンに起ります。 同時に、「 殺せ 」 ば自分の社会的生命は終り、「 殺さな 」 ければ、生涯をかけて築いたシステムの信用は失墜して終り、というジレンマに 陥ったことに気付き、アンダートンはますます身動きのとれない混乱に陥ってゆきます。 テーマは多数決の原理、多数派と少数派の存在関係、というところでしょうか。 二つの全く同じの “ 間違った答え ” がでる確率は極めて低い、との考え方です。 多数決の逆説と危険性。 選挙が行われる度、議会を考える度、つくづく思い知らされることではあります。 次に、紹介するのは、1990年、ポール・バーホーベン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演で、『 トータル・リコール 』 の題で映画化された 『 追憶売ります 』。 文庫本にして40頁ほどのこの短編は、ディックとしては陰惨さは少なく、ちょっとした皮肉とユーモアに満ちており、ストーリーにもおちのある 小話です。 映画のストーリーは原作とはほとんど関係がなく、背景となるシチュエーションだけちょいと拝借して作られたといった程度のものです。 まあ、シュワちゃんですから。 『 追憶売ります 』 WE CAN REMEMBER IT FOR YOU WHOLESALE 1966 P・K・ディック 作 深町眞理子 訳 新潮文庫 昨日までの例にならってこれも最初の一文を紹介します。 「 彼はめざめた ――― そして火星を恋い、その渓谷を想った。 」 しがない安月給のサラリーマン、ダグラス・クウェールは、自分でも何故かわからずに火星に恋焦がれています。 しかし経済的に火星旅行は無理。ついにそういう者のための旅行社を訪ねます。 リコール株式会社。そこでは “ 旅行をした ” という超現実的記憶、つまり仮想記憶を売っているのです。 クェールは、警察の秘密捜査官になって火星で大冒険をするという仮想記憶を買います。 担当のセールスマンが言います。 「 わが社の提供するパッケージでは、意識の最深層に記憶が植えつけられるので、思い出は決して薄れません。 あなたが昏睡状態にあるあいだに記憶中枢に挿入されるのは、熟練した専門家、火星で数年を過ごした専門家が生みだした 記憶のパッケージです。 」 「 だいじょうぶ、きっとあそこへ行ったということは納得できますから。しかも、わが社のことはまったく記憶に残らない。 わたしのことも、ここへきたということすらも、記憶に残らない。」 更に、 「 けっして次善のもので我慢するわけじゃないんです。これにくらべれば、人間本来の記憶 ―― 歪みは言うに及ばず、 さまざまな不確実さや省略、脱落、そういったもののつきまとう本来の記憶のほうが、ずっと代用品に近いんですからね。 」 これがこの物語の背景となるシチュエーションです。 人間は、人間の記憶を自由に植えたり消したりできる技術を持ったわけです。 しかし、処置のため昏睡状態になったクェールに、薬物の作用である記憶が呼び覚まされます。 クェールは実際に秘密捜査官であり、火星での任務を果たした後、警察によってその記憶を消されていて、潜在的なその記憶が火星への憧憬を招いていたというわけです。 思い出してはいけないものを思い出したクェールを警察は殺そうとしますが、彼は取引を申し出ます。 抵抗せずに出頭する代わりに、もう一度火星での記憶を消し、二度と思い出させないために、潜在意識から自分の真の望みを見つけて、それを叶えた記憶を植えてくれ、というのです。 警察はそれを呑み、クエールの潜在意識を探ると ・・・・ そこに何ともシニカルでヒューマンな、クエールの真の望みを見つけることとなります。 映画では、火星の通関や大気が戻るラストシーンなど映像的に面白いところもありましたし、シュワちゃんは確かに記憶を消された捜査官で、 本当の自分は何者 ? というディックっぽい迷走もありましたが、ストーリーは真面目に語るのもアホらしいようなアクションものでした。 ジャンル別一覧
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