394658 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

いつかどこかで

いつかどこかで

二人のカリスマ・ラッパーの生涯


『 2Pac : Resurrection 』 2003米

        監督 ローレン・ラジン
        出演 トゥパック・シャクール

1996年、25歳で射殺されたカリスマラッパー、2Pac・シャクール (本名 Tupac Amaru Shakur ) の生涯を描いたドキュメンタリー映画。
生前の様々なインタヴューやステージ、プライベートでの録音、録画で構成される。
ブラックパンサー党員の父母の元に産まれ、ブロンクスのストリートで育った生い立ち、デヴューへの過程、ラッパーとして脚光を浴びながらの様々な
犯罪行為や疑惑、銃撃、投獄を経て射殺されるまでを描く。


キャングスタ・ラッパーということで多少偏見もあり、あまり期待もせずに観たのですが。

すご~く面白かったです。

恐らく膨大にあっただろう彼の音声や映像を切り張りして、彼自身が生涯を語るように編集され、新聞や雑誌の記事、自筆のリリックなどの文字映像が言葉のアート風に効果的に入り、ドキュメンタリでありながら、非常にスタイリッシュです。
2005年アカデミー賞長編ドキュメンタリ賞にノミネートされたそうです。

ラップやラッパーに関して何も知らないので、本人の語ることのどれが真実でどれがそうでないのか私には判断できませんが、少なくとも
この人の、人となりは強烈に伝わりました。
語っている内容や主張は、語った時の状況や心境によって、矛盾があったり、取り消しや後悔や反省や言い訳があったりします。
映画制作時の一点から過去全体を振り返ったのではこうならないわけで、その時々に様々思い悩み、迷走した彼の人生が非常にリアルに感じられます。
暴力行為や ( 彼自身は事実無根としているものもありますが )、それを肯定し助長するようなリリック、差別的、侮辱的言葉、汚い言葉は当然、識者からは強烈に非難されます。

それに対して彼は言います。

        支持されたいわけじゃない。現実を歌うだけ。

更に

        例えばこのホテルに食べ物が有り余っているとする。
        俺は食べ物を恵んで貰おうと、毎日ドアをノックする。
        中では食べ物が飛び交っているのに、俺らには食べ物はない、と言われる。
        そこで、中に入るために歌う。

        “ お腹がペコペコ、どうか中に入れて ”

        1週間後には
        “ 腹が減った、食い物をくれ ”

        数週間後には
        “ 食い物よこせ、ブチ破るぞ ”

        1年後には
        “ カギこじ開けて、中でぶっ放すぞ ”

        飢えは限界を超えるとこうなっちまう。
        パンサーや公民権運動に頼ったが、結局ヤツらは獄中で死んだ。
        俺らがすべきことは ? 頼ること ?

そして

        子供が大人の真似をすることは問題だが、ジャンキーの母親と暮らす子供には
        俺のリリックが現実。俺が

        “ 希望のない ( hopeless ) サグ・ライフ ( thug life ) を送る ”

        と歌えば、言葉どおりに受け取る人間もいるだろうが、この
        “ hopeless ” という言葉が、実際にそういう生活をする子供たちの心には届く。  


自己弁護とも取れます。が、ラップというのがどこから生まれた何なのかは多少なりとも分かった気がします。

とすると、日本のはありゃ何なんだ ?
ファッションとして音楽形態として気に入ったものを取り入れるのはいいとしても、それを “ ストリート ” だの “ ラップ ” だのと称するのはどうよ ? と思ってしまいました。

2Pac は1度目の銃撃からは回復しますが、2年後、2度目の銃撃で死亡。
東海岸、西海岸それぞれのギャングスタ・ラッパー間の抗争が原因とされていますが真実は未だ不明とのことです。

この東西抗争については、これを背景にしたラッパーの小説を読んだことがあります。
その時はギャングスタ抗争に興味がなかったので、単なる背景としてしか読みませんでした。
面白かったのだけど、参考にしようと本棚を眺めてもタイトルを思い出せず見つけられません。
残念。

また数年前に、ラッパーの黒人少年と白人少女との恋を描いた映画を観ました。
その映画のラッパーはギャングスタとは程遠く、物静かで、リリックも詩的で印象的、いい映画でした。
これもタイトルその他全く思い出せません。
残念。
どなたか心当たりがあったら教えてね。



『 ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン 』 2005 米

        監督 ジム・シェリダン
        出演 カーティス・“50 cent”・ジャクソン

ヒップ・ホップ界のカリスマ・ラッパー 、50Cent の半生。
マーカスは父親を知らず、麻薬の売人をする美しい母親と暮すが、12歳の時、母親が殺される。
祖父母の家に引き取られるが、家族が多く、新しいスニーカーも買えない生活に嫌気がさし、マーカスは家業を継ぐ、つまり麻薬の売人となる。
麻薬売買を仕切る幹部からは可愛がられるが、繰り返される抗争の中、逮捕され刑務所へ。
出所したマーカスは、麻薬売買から足を洗い、幼い頃からの夢だったラッパーになろうとするが ・・・・


映画自体にも、50Centをモデルに描かれたマーカスという人間にも、麻薬を売ったり人を殺したりすることへの罪悪感や釈明めいたものは
全くありません。
殺される母親も、引き取る祖父母や従兄弟たちも、幼馴染でやがて結婚する女性も、刑務所で知り合いやがてマネージャーとなる友人も、
愛情のある律儀な人に描かれていますが、殺人やドラッグに対する迷いはほとんどありません。
映画制作には50Cent 自身が深く関わっているらしいので、実際にそういう感覚がないのでしょう。
少なくとも50Cent にはなくて、他の人たちもそうだ、と信じているんでしょう。
本当のところどうなのかは分かりません。
というわけで、たくさん血は流れるにもかかわらず、映画に悲壮感や緊張感はほとんどありません。
タイトル通り、金持ちになる、そのためにドラッグを売る、という非常にシンプルな生き方を映画は否定も肯定もしていないわけです。

メインテーマとなる曲の歌詞も、

    ブツを量って俺は夢を買う
    俺は贅沢中毒、お前はドラッグ中毒
    贅沢したい、だからブツを売る
    邪魔をするなら痛い目に遭わせる

といった具合。
50Cent 自身は結局は足を洗ってギャングスタ・ラッパーとして再生しますが、それだって元ボスを殺してのことですから。

その意味で非常に自分勝手な、母親への愛情や父親探しといったものも描かれてはいます。
それがあまりにあっけらかんとしているので逆に、人間って面白い、と妙な感慨を覚えます。
ある種の超現実的夢物語といっていいかも知れません。


といって私は批判しているのではなく、映画として、なかなか面白かったです。
登場人物など分かり難いところもありましたが、ストーリーはスピーディでドライ。
何といっても音楽には、惹かれるものがありました。

ヒップホップを特別好きではありませんが、こうして聴くと不思議な心地よさがあります。
どんなに耳を凝らしても英語で何と言っているのか分からなくて、歌詞の意味を完全に無視しての心地よさなので、本来の楽しみ方ではないでしょうけど。
まぁ、多くの日本人はそうなんではないかしらね。
訳で大まかな意味を分かっても、それって理解していることにはならないでしょうね。

先月は 『 2Pac 』 、そしてこれの二つを観たわけだけど、日本でヒップホップとかラップとか言われて
いるものが、本場ものとはどれほどかけ離れているかだけはよく分かりました。
音楽的に真似はできても、ベースにある精神性は真似られないわけで。

日本には日本なりの、ということでいいのかも知れませんが。



© Rakuten Group, Inc.