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ケアホームの姑は、刻々と病状は進みつつも 「この段階で100%寝たきりではないなんて!」 と、医者をうならせる頑張りです。 ホームのスタッフの皆さんの温かいケアの賜です。 ありがたいことです。 さて、このブログもずいぶん長らく放置しておりましたが たくさんの方々に助けていただきながら 楽しく書かせていただきました。 今回、思うところあって 楽天ブログからお引越しすることにいたしました。 当面、このブログはこのまま置いておくことになりますが コメントは受け付けない設定にいたします。 もしも、私にご用の節は こちらまでお願いいたします。 引っ越し先はこちらです↓ 毎日を大切に それでは皆様、大変お世話になりました。 ありがとうございます。
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2009.06.24 16:37:03
姑をケアハウスに預けて、1年と2ヶ月が過ぎた。 なんだかブログを更新できなくなって半年ほど経った。 忙しかったといえば嘘ではない、が どこか自分に嘘がある。 姑の状態は低下している。 すでに言葉は完全に失い 腕も足も自分の意思どおりに動かすことは全くできないと言っていい。 昨年12月にはイレウス(腸閉塞)を繰り返し 10日あまりの入院も経験した。 姑の病気(大脳皮質基底核変性症)にはつき物の症状だそうだ。 退院2週間後に控えた正月に、姑は自宅に戻ることを望んだ。 姑がそれを望んでいるだろうことは承知していたのだが 姑が口を利けないのをいいことに 家族の誰もがその話題に触れないでいた。 しかし、夫が風邪を引いたため私一人で施設に面会に行った日 部屋で姑と私が二人でいるところへスタッフがやってきて 「お正月はどうされます?ご自宅に戻られますか?」 と尋ねたのだった。 「私一人では決められないので…」と言葉を濁したのだが そのスタッフが出て行った後 姑は言葉にならないうなり声をあげながら 全身で何かを訴えようとした。 帰りたいのだ。分かっていた。 私一人では決められないというのは本当。 全介助といっていい、この姑を自宅に迎えるのは 普段、なんの介護もしていない私ひとりではとても無理だ。 こと介護に関しては、夫は全くあてにならないので 義妹と予定をあわせて、万全の体制を作らないといけない。 でも 「分かったよ。お正月には家に帰ろうね」と 一言、言うくらいのことはしてもいい。 でも、言えなかった。 トイレにどうやって連れて行く? 何が言いたいのか、全く分からないのに こっちの言っていることが理解できているのかも分からないのに どうすればいい? イレウスが再発して、突然嘔吐し始めたら? そんな不安が先に立つ。 正月早々に、原稿の納品も控えていた。 姑を迎える準備をしながら、納品に間に合わせられるか? そんな現実にも追い立てられていた。 「大丈夫かな?」と聞ける相手が誰もいない。 「帰ろう」の一言がどうしても出なかった。 「ちょっと待って、一人では決められんのよ」と繰返す私を 姑は怒気をはらんだ目で見据えて、口を一文字に結んだまま うなり声を上げる。 「でもね、おばあちゃんを家に迎えるには K子さん(義妹)の予定も聞かないといけんし 私一人で勝手に返事できんとよ。 みんなの予定を合わせてみるけん、ちょっと待って。 私も今いっぱいいっぱいなんよ。一人では決めきらんとよ。 昼間は外で勤めて、夜や土日は家でも仕事せんといかん。 もうすぐ高校受験やし、お金がいっぱいいるしね。」 もはや支離滅裂だ。 病人相手に何を愚痴っているのか。 「ごめんね。文句も言えんのにね。『この鬼嫁!』ぐらい言いたいよね」 そういいながら、泣けてきた。 施設のスタッフに、何てことはないという風に「大丈夫よ」と言われて 腹をくくるしかないと悟り 1月2日に外出することに決めたものの 結局、12月28日にイレウスを再発して、帰省は取りやめになった。 しかし、この一件で、私は 自分の中にある、寒々とした感情を思い知った。 姑をケアハウスに入れると決めたときから その感情はずっとあったのだと思う。 スタッフから遠慮がちに 「お母さんは、どうもK子さんが生活に困っていないか心配しているようで…」 と言われたときも 舅から 「俺が死んだら、保険金はK子にやってくれ」 と言われたときも 結局私って、お手伝いさんでしかないな、と思ったのだが 一番そういう気持ちで接してきたのは ほかならぬ自分なのだと思った。 だから、ブログも書けなくなっていったのだ。
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2009.01.12 02:33:15
昨日姑が、9ヶ月ぶりに一日だけ帰省してきた。 先週の日曜日に面会に行ったとき 本人が「お盆に帰りたい」と言ったのだった。 理由は、去年の11月に姑が入所した一週間後に 一度だけ面会に行ったきり ちらりとも顔を見せない舅に会いたいから。 正直なところ、たった一日であっても 姑を家で看るのはとても不安だったが 出ない言葉で必死に訴える姑の気持ちをむげにもできず 決死の覚悟で「いいよ~」と言ったのだ。 さあ、そうとなったら大変! 前日は一日がかりで、 ずっと気になっていたまま手つかずの家の掃除と模様替えに汗を流した。 当日の料理は姑が元気な頃のように、さあ焼き肉! …というわけにも行かない。 柔らかめのおかずを中心に、何品か作る。 ・揚げ出し豆腐 ・冬瓜と小エビの煮物 ・刺身 ・豚バラの塩焼き それから義妹が炊いてきてくれたかしわご飯で けっこうなご馳走になった。 写真を撮っておけばよかった。 舅は最初、姑が帰ってくると聞いて戸惑ったようだ。 「話しもできん奴がおったら疲れる」 と、相も変わらず身勝手な言葉を毒のように吐き散らしていたが いざ姑の顔を見たら、そばを離れがたいようだ。 難しい顔で黙りこくってはいるが 姑が居間にいれば居間に ベッドで寝れば、その隣の自分の布団にと 近頃になく家の中を歩いた。 (おかげで便秘が解消したそうだ。なんとお手軽な便秘なのだ。 その程度の便秘でふさぎ込むなら 私なんて世界中の不幸を背負ってるようなものだ) 姑の介助は、昨日は義妹がいてくれたから二人がかりでなんとかできたが 身障者手帳の1級になっただけに、体の不自由度はやはり進んでいて ホームに入る前は トイレまで連れて行って座らせればなんとか自分で始末できていたのだが 昨日はトイレに座ること自体がまず大変だった。 意志の疎通もなかなかできず、丸一日一緒にいて姑の言いたいことが分かったのは 3つくらいのものだった。 義妹と二人がかりで「ヘルパーさんって、すごいねぇ!」と言いながら クーラーの効いた部屋でも汗だくになりながら介助して一日過ごし 夕飯が済んだ後、ドラッグストアで買い物がしたいという姑の願いを叶えて 夜、義妹達と一緒にホームに送り届けると、ケアマネージャーが当直だった。 姑の顔を見て 「わぁー、楽しかったのねぇ。いい顔をして。」 と言ったまではよかったが 「そんなに楽しかったなら、お正月には一泊できるように お嫁さんにお願いしなきゃ。」 と、一同揃ったところで言われて困った。 ぱっと顔を輝かせる姑を前に 「いえいえとても…」とは言えず。 しかし、そんなに気軽に一泊させられるくらいなら 最初からホームに入れるはずもなく。 (実際、このお盆で家に帰った人は18人中3人にとどまっている) 入所者の家族にとっては短絡的で配慮のない言葉だったことに ケアマネージャは気づいていないだろう。 どうにも胸がざわついて、夕べ夢見が悪かったのは お正月への期待に胸をふくらませ始めたかもしれない姑を残して 家に帰ったせいだと思う。
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2008.08.15 12:35:35
![]() 視察と打ち合わせを兼ねて、宗像へ。 電車とバスを乗り継いで ほんの1時間ほどの道のりですが 滅多に電車に乗らない娘はご機嫌です。 今日は幼稚園が休みなので どうしようかと思ったけど 訪問先のご好意で、子連れとあいなりました。 たまには、こういうこともアリですね
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2008.07.27 12:50:06
舅が、「街の電気屋」に電話をかけたらしい。 夕方夫が帰宅すると 子機を持って立っていたそうだ。 何を勘違いしたのか 「7月24日までで、放送は地デジだけになる」 と思い込んだ舅は 慌てて電気屋にテレビを買うからもってこいと 電話をしたのだ。 夫はすぐにその電気屋に電話をして 間違いだから来なくていいと断った。 「まだ3年猶予があるよ。 買うときは、電気屋よりも量販店で買ったほうが安い。 俺が選んでやるから、待っとけ」 と、夫は言ったらしいのだが お金は舅が自分で払うのだし 舅にとって、安く買うことは それほど重要ではないと思う。 第一、夫が選んだテレビを 舅がすっきり気に入るはずはない。 かならず、なにかしら問題を探して ぐずぐずと文句を言うに決まっているのだ。 と、私が言ったものだから 夫はとたんに不機嫌になった。 せっかくの親孝行に水を差された格好だから それもしょうがないのかもしれない。 だけど・・・ 布団の中でひっそりと枯れ木のように過ごしている舅が 自分で電話をして 新しいテレビが入り 電気屋から感謝される… こんな画期的なことを、妨げるべきではなかったのでは? と 思ってしまう。
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2008.07.19 01:26:56
4月から、ある所で女性の就業に関するアドバイザーを務めている。 そのおかげで、色々と勉強する機会を与えてもらう。 先日はDVについて、詳しく聴講した。 そこで思ったのは 舅の姑への仕打ちは、まさしくDV以外の何者でもなかったということ。 どんな理不尽な文句にも、要求にも 全て「私が悪い」「私が我慢すれば」 と思い続け、子どもたちにも言い続けた50年余りは 姑にとって、どんな価値があったのだろう。 息子と娘には、どんな影響が? 週末ごとに姑を見舞って家にもどり 舅に、その様子を話す。 舅は、元気な頃とは変わり果てた姑を直視することができず 昨年11月、入所1週間後に面会に行ったきり 一度も会いに行ったことはない。 「話しはできるとな」 「いいや、話はできんけど、じっと顔をみたり、視線を辿ったりして 時間をかけて言いたいことを推理するんよ。」 「・・・」 舅に話すたびに、同じ会話が繰り返される。 二週間前。 「……そこなった。」 「え?」 舅が言ったことが聞き取れず、聞き返すと 「嫁をもらいそこなった。」 私のことかと思い 「あら、ごめんね。何が悪かったかいな」と返事すると 「こげな、脳の病気になるなんて、思いもせんかった。 もうちょっと違うのばもらわんばやった。」 姑のことだ。 「なんてこと言うんかね! 罰当たりな。口が腐るよ! 今までおばあちゃんから、どれだけのことをしてもらったとね!」 私の大声に、舅は苦笑いして部屋に引っ込んだ。 姑は、別れて暮らしてもなお舅のDVの被害者なのだ。 夫や義妹には、とてもこんなことは言えない。 これは、長男の嫁の胸に収めるしかなさそうだ。 舅に、同情の余地があるだろうか。
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2008.07.12 03:43:45
お久しぶりです。kikiさん、メッセージありがとうございます。 七夕の今夜、ガイヤナイトと洒落こんでおります。 居間の灯りとテレビを消して、キャンドルの灯りで食事しました。 献立は、ロマンチックに 親子丼です。 テレビがないと、会話が弾みます。 子どもは、なんか楽しいそうです。 嵐のような、三ヶ月でした。 いろんなことをしましたよ~。 アドバイザーになったり、 セミナー開いたり、 講演会を企画したり、 起業の勉強をしたり、 濃~い三ヶ月でした。 追い追い、書きます。
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2008.07.07 20:47:30
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