カテゴリ:将棋
フリークラスの桐谷が引退したみたいですね。
近年では将棋よりも優待株投資で脚光を浴びていたことでも分かるように、 本業ではパッとしなかったのですが、 一度、おおいに意地を見せたことがありました。 1993年の第51期名人戦C2順位戦第9回戦。 この頃、既に羽生世代の台頭ははじまっており、先崎と同世代のタイトルホルダーが続々と生まれていた。 もちろん、順位戦も昇級を続けていたので、C2に足踏みを続ける先崎との差は開く一方であった。 C2順位戦の対戦表を見て、このクラスでオレが指さなきゃならないなんて、一体、順位戦制度はどうなってるの?などと己の不甲斐なさを棚に上げて制度を批判。 名人の権威は地に落ちた、名人の名に憧憬の念など無いなどとエセーに書き、米長師匠に入行間もない新人が頭取を評する体で片腹いたいとたしなめられたりもした。 才能があるのは誰もが認めていたが、ギャンブルと酒に溺れていた。同世代の棋士に差を広げられ、舌禍事件を繰り返しては恨みを買い、先崎だけには勝たせるなという空気が生まれていた。" 口では強がっていても、C2に取り残されて惨めな思いを味わっていたようで、昇級を逃したりすると浴びるように呑みまくった挙句に路上で寝込んだりした。 対戦相手の桐谷は本当に弱い棋士。河口の対局日誌で馬鹿にされ、特筆するような実績もなく、この年も降級点のピンチにあった。が、憎き先崎を前に桐谷は燃えていた。 飛車を振った先崎に対し、得意の二枚銀で挑んだ桐谷は、先崎が銀冠に組替える隙をついて仕掛けを敢行した後は、 終始リードを保ったまま終盤に。次々にと金を製造し、最後は危なげなく先崎玉を寄せきるという圧勝。先崎、無念の投了で昇級は絶望に。 そして、これだけで終わりにはならず、なぜか桐谷に自戦記を発表する場が与えられる。 会心の棋譜を振り返った後、 「こんなクラスの男に負けて口惜しかったら、また新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう。それが似合だ」と結ぶ。 この後、先崎は順位戦最終局も、ショックをひきずり敗北。 順位を落として、次年度またしても頭ハネを喰らい、口は災いの元を地で行く展開になったという。 このエピソード、先崎にまつわる逸話の中では最も好きです。 しかし、あれから14年も経ったのですねえ・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 10, 2007 12:07:52 AM
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