|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
kats_mizの日記 [全238件]
非対称だからこその描写。 個性は判ってるのだが、35mmでしかもMマウントでのゾナータイプ。 うーん、欲しいが、禁欲。 オークションでも出たが、余裕がなさすぎ。 35mmもデジカメも、ほとんどの玉がガウスタイプになってしまい、描写に柔らかさが失われたのは残念だが、コシナが安く(ツアイスは名ばかりなのか)提供してくれてるので期待できそうだ。 中盤スクエアで長年相棒とした本家150mmとは味が異なるかもしれないが。 うーん、使ってみたいかなあ。 ![]() ![]()
色乗りが厚い。 意識して撮られた作品からは絵画のような雰囲気をも醸し出している。 ポラロイドが今でも人気なのはそういう利点であるのだろうが。 女流の写真家には独特の感性と、特にモデルと対峙したときの視点の膨らみがある。 男性には撮れない視点だ。 報道を除いて、こと作品としてのファインアートを限定すればこの視点は武器だろう。 カニンハム、シャーマン、ランス、そしてこのバーバラコール。 色を判っていて、その奥へさらに色を重ねようとする。 重金属の色だ。岩石の。 忠実なレンズを通して語られる場の物語。 そういえばここ数年、モデルを撮ってない。 感覚が鈍くなってるだろうとは、思える。 情けないが。 コンポラからやり直すことから再出発かも。 文章も写真も、色と厚みと奥行きは大切なのだと思う。 ![]()
久々の正統派の小説だった。 受賞コメントがあまりにも騒がれたのでどんな作品なのかよりもどんな人間かが先に走ってしまい本質を見失うところだったのかもしれないが。 下関は本土の西端。その街の雰囲気とは若干異なるが、方言丸出しでのリズムがいい。 中上や重松の香りがする。 緻密な構成力。 作家は嗅覚が性的誘因に影響していることは承知であるはずなのに、そのところが表に出ないのが悔しいが。 しかし情景描写に色彩を感じる。 それも油絵のような重ねられた色合い。 フィルムで言えばコダクロームの。 かなり前にミクシで「鮮やかに黄色い過去の命」という主題を描いたことを思い出した。 夏の蝉だった。 この部分は意識してるのだと思える。 近くに住んでるようなので一度インタビューしたいかなと。 力量って見えるものですね。
夜が縛れて 暗い路地にも 明るく照らす鏡が降りてくる グレイの車の屋根にも ケーキのようなファウンデーション 私の瞼に塗られたのは薄いベージュ 肌色って雪に融けるの? 消炎と沈痛の混ざったファウンデーション 雪の上に降り積もるのは 何色?
![]() 前に父を気遣って上った墓地の階段が黒い天鵞絨のように見えている。 仏花も線香も雨のなか。 淡々と納骨が進められていく。 作業として。 本家の裏庭にある三種の梅は今年もまた花をつけ実を結ぶだろうか。 香り立つ蝋梅と母の紅梅と枝垂れた白梅と。 老木ではけっしてないが古木に近い。とくに枝垂れ梅はそうだ。 母屋の角に見事に枝垂れる。 母は紅梅だったが、父はこの白梅なのだろうか。 そしてその懐にだかれるように植えられた蔓薔薇は紛れも無く私だ。 もう何年も同じ蔓薔薇を撮っている。 同じ場所で。 同じように。 だが同じ表情は一度もない。 それは撮る側の自分が変化しているからにほかならない。 命は時計の秒針と同じ早さで削られるから。 今年は梅を残していこうと思う。 そこに父母が残せるかどうかだが。
![]() ちょうど豆まきだったね。 おまえはすぐ目の前の私に豆を投げてくれた。 Canonだったかな。 24-35のレンズ個性が気に入ってこのレンズの為だけにF1を持ったのだったか。 仕事でも結構重宝したんだよ。 今思えば、どうしてLEICAを使わなかったのか不思議なんだ。 たぶん短玉がすごく高価だったからだと思うけど。 あとモノクロはほとんどCanonで残してるから、色物と分けてたのだろうね。 コースケとじいちゃんはカラーネガで撮ってるから。 アルバム見てるとね、色抜けの違いがはっきりしてるからさ。 この発色を見せられると、熱病になってしまう。 そういえばかのレンズを手放して以来しばらく発症しなかったのに最近また色に拘り始めたんだ。 でも今はレンズがないからお手上げなんだけどな。 結局爺ちゃんの元気なポートレイトは俺が撮ったことになったよ。 ずっと撮りたくなかったのに携帯で撮ったのが最後になってしまった。 サクラメントから送ってきた緑のトレーナーをプレゼントした日だ。 そのトレーナー着たまま逝ってしまった。 もうすぐ爺ちゃんがそっちに行くからね。 婆ちゃんと迎えに行ってやってな。 茶を点てたいな。 そして記念写真撮ろう。 あ、レンズないのだったなー。 たまにでいいから降りてこいよ。積もる話をしよう。 悟へ
およそ季節外れの百合に違いない。 12月のすかし百合に出会えることはないが、どうしてもその初夏を期待させるいっそうの緋色が瞼から離れないのだ。 ずっとイメージの底に澱んだ忘れ草のイメージが伽を求めている。 彼女の作品の発想に驚きと敬意と、そして言葉への愛着とが緋色に染まっている。 その才能を愛してやまない。 文の色彩に。 母を送ったとき、友人が桜の枝を送ってくれた。 そして母のときも自分が喪主を務めたので挨拶に立った。 ちょうど一週間前、部屋に呼ばれた。 10分ほどだったと思うが異常に長く時間を感じた。 兄のこと、姉のこと、そしてお別れの会にしてくれということ。 外孫に残す緋色の着物のこと。 仮眠していた通夜席に茶道のO先生が来てくれた。 大きな声で母の名を二度呼んだあと泣き崩れられた。 うつろな意識のなかで、流派を越えた茶会のことを思い出していた。 表も裏も小笠原も、まるで意に介さず茶を楽しんだ初夏だった。 あのとき緋色のジャケットを着ていたのだった。 茶を愛し、花を愛し、人を愛したひとでした。 それだけで挨拶は充分だった。 忘れ草に出会うまではその緋色の光景は封印されていたのだと思う。 自分は母との最後の会話を逃げたから。 自分は、私は、とことん卑怯者だ。
蠟燭もない。 線香もない。 ただ長い夜を開いてアルバムの写真に見入る。 なんどもなんども見た写真たちは新しい何かを伝えてくれることはなかった。 遺影は作らない。 そう決めてB1の額にオリジナルそのままの写真を貼るのにアルバムから抜いていく。 部屋に飾ってある自慢の写真を選ぼうとしたら、あるはずの場所に無い。 見回してみてもどこにも見当たらない。 まだ布団さえ暖かいのに誰かが片付けた筈もないが。 父は19歳で出征した。 川上から海軍に入ったのは父ひとりだったらしい。 ハルピン時代にサイドカーつきのハーレーを乗り回していた頃の写真がお気に入りだった。 自動車教習教官として宇佐航空隊へ移動して母と出会った。 二人の子に恵まれたが戦況の悪化とともに前線へ。 機銃掃射で負傷はしたものの全滅に近い状況でも生き延びた。 銃後の内地では上の子供が病死。 父はそのときのことを「長男友万が身代わりになった」とこぼしたことがある。 過酷なブーゲンビル島で終戦。そして抑留。 マラリヤによる激しい衰弱。引き揚げで帰国したとき誰もが死を覚悟していたらしい。 気丈な母は実家の大分に父を引き取って献身的に文字通り懐抱して命をつないだ。 吉野に戻っても食べるものが無かったからだ。 部屋でいくつかの紙袋を見つけた。 見せられたことのないプリントが数本とデイケアがわりに趣味的に作っていた折り紙作品と色紙類だ。 そのなかにお気に入りだった額を見つけて戸惑った。 紛れも無くそれは整理されている。 どこかへ持って行くつもりだったのかもしれないが、ひとつの区切りをつけてある。 会場に最初に来てくれたのは福井の従兄弟だった。 足労をねぎらう言葉をかけなければならないのに極まってしまった。 「ごめんね」 母のときでも泣くことは無かったのにもういちど「ごめんね」と言って後の言葉は嗚咽に変わった。 大阪組、奈良組の到着でも出る言葉は「ごめん」しかなかった。 原稿もなにも持たずに挨拶に立った。 「悔やみしか残っていません」はっきり自覚した。 整理されていた写真のこと、眠ったまま逝ったこと。 吉野に送ること。 そして礼を述べた。 孝行できなかったことに悔いはない。それは形ではないから。 そのことは父が一番判っている。 悔やみが残っているのは、あと一日でも一時間でも一緒にいてやれなかったのかという自責だ。 私は、子として父のことを何も知らない。 何も知らない。 遺言は守る。 命のたま巡りてふえしあすはしりゆき 古木写行の乳児やいつこ 12月6日
![]() それはゆっくりと増殖してきたんだ まるで浮かれ熱のように目の前がクルクル変化して きっとそれは言葉の振幅のように何かを伝えたんだろう 狂おしい微熱が大きく膨らむ 焦がれているのか I wanna know, have you ever seen the rain I wanna know, have you ever seen the rain Coming down on a sunny day 誰かの唄が聴こえた |一覧| |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||