471758 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

川上直哉

川上直哉

Free Space

東北学院大学の授業の出席票とレポートは、こちらからも、提出いただけます。

仙台白百合女子大学の授業への出席票は、こちらからも、提出いただけます。

Archives

Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024
Feb , 2024
Jan , 2024
Dec , 2023
Nov , 2023
Oct , 2023
Sep , 2023

Calendar

Freepage List

フォーサイス 翻訳


影をなくした男の話


音楽と礼拝


「トルコ虐殺事件」


PPMMより抜粋


最初の公開文書


宗教家の夢


説教「絆」


説教「十字架と食卓」その1


説教「十字架と食卓」その2


説教「十字架と食卓」その3


説教「キリストの奉献」


説教「働くこと 愛すること」


説教「平和のために」


説教「説教とは何か」


説教「大学のチャペル」


説教「愛の力」


説教「よき世界」


説教「天国」


説教「祈り」


説教「償い」


説教「正義」


説教「和解」


説教「希望」


説教「かみはわがやぐら」


説教「墓」


「荒野を葡萄と蜜の地に」


説教「過ぎ越し」


説教「祈り」(信仰編)


説教「尊厳」


説教「死の彼方」


説教「愛するために」


説教「復活の意味」


愛に生きる


説教「平和について」


説教「私たちの信仰」


説教「公現日の秘密」


説教「招聘を受けて」


説教「三つよりの糸」


聖フランシスの収穫感謝の祈り


2010年クリスマス礼拝


2011年 イエス物語 説教集


説教 キリストのからだ


震災の中での、二つの説教


ルカ福音書16章


神学者の夢


古代ローマ1:心棒


古代ローマ2:図書館の誕生


古代ローマ3:一神教?


近代日本の形成とスコットランド


「トルコ虐殺事件」解説その0


「トルコ虐殺事件」解説その1


「トルコ虐殺事件」解説その2


「トルコ虐殺事件」解説その3


書評『JUNKの逆襲』


「葬儀」調査報告書


「宗法連」研究


オバマの「カイロ演説」


2010年度 英文科授業音声ファイル


2010年度 法律学科授業音声ファイル


2010年度 総合福祉学科授業音声ファイル


10年度 法・英 補講音声ファイル


回心と論争:フォーサイス評伝


はじめに


第一章:資料


第二章:前史


第二章 第一節:生い立ち


第二章 第二節:学生時代


第二章 第三節:分節線


第三章:牧師時代


第三章 第一節:シプリー


第三章 第二節:ハクニーへ


第三章 第三節:ロンドン


第三章 第四節:マンチェスター


第三章 第五節:「継続」


第三章 第六節:芸術論


第三章 第七節:レスター


第三章 第八節:分節線


第三章 第九節:ケンブリッヂ


第三章 第十節:牧師として


仙台市民教会・戸枝義明研究


見天の易・見地の難


高等学校「聖書」授業


第1回:授業の目的とルール


第2回 キリスト教の源(前編)


第3回 キリスト教の源(後編)


第4回 時の満ちるに及んで(前編)


第5回 時の満ちるに及んで(後編)


第6回 信仰の戦い(前編)


第7回 信仰の戦い(後編)


第8回:西欧の誕生


第9回:「正統」な教会


第10回:制度・組織


第11回:聖書(その1)


第12回:聖書(その2)


第13回:信条


第14回:ローマ帝国とキリスト教(前篇)


第15回:ローマ帝国とキリスト教(後篇)


三学期 第一回


三学期 第二回


三学期 第三回


三学期 第四回


三学期 第五回


三学期 第六回


三学期 第七回


三学期 第八回


三学期 最終回


Mar 14, 2008
XML
カテゴリ:信仰者の夢

「表現」媒体としてのチカラが、今、ネットに移ってきているんだなと、
そんなことを感じることがありました。

アメリカから、町山智弘さんが帰国しておられます。
あちこちのラジオ番組に出て、それがポッドキャストで聞ける。
そこから、あれあれ、と。

町山さんという人は、元「宝島」の編集者で、
後に、「映画秘宝」という雑誌を始めた方。
誰もやらなかった「映画批評」の分野を裸一貫で開拓した、
知っている人は知っている、スゴ腕の編集者でしたが、
知らない人は、知らなかった。

その町山さん、今、ラジオでこう紹介されます。

「今、一番敵に回したくない人!」

町山さんは、ブログを書いています。
それを見ると、なるほどと思わされる。

「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」
が、そのブログになります。

唐沢俊一さんの「盗作問題」。
シンプソンズの「声優問題」。
ブッシュ/米国キリスト教福音派のおバカぶり。
「おクラ入り」になってしまった映画の上映運動。
戸田奈津子さんをはじめとする日本の映画関係者への批判。
そして、最近では、「ミクシィ」の「規約改定」問題。

どれも、スピードと鋭さにおいて、一頭地を抜いています。

町山さんは、日本から追い出されるように、渡米されたそうです。
「出版」という表現媒体は、町山さんには、窮屈だった。

そして、「ネット」という媒体に乗って、町山さんは「帰ってきた」!。


今回、うなったのは、ラジオの「放送後記」的な、ポッドキャスト。
「配信限定!放課後DA★話(3/8)【町山編】で、聞けます。

すごい、ポッドキャストでした。
ネットの前衛性を、見事に表現しています。

内容で、おおっ!と思ったのは、
蓮實重彦論。

蓮實さんは、1980年代の映画批評をリードした東大のセンセイです。
のみならず、
蓮實さんは、東大総長となって、現在の「大学」の姿を方向付けた「立役者」。
のみならず、
蓮實さんは、3年前、私を魅了した言論人。

でも、今、蓮實さんは、色あせて見えます。
蓮實さんが主導した「大学」の姿は、ひたすらに現状追認の人間を作る装置になりつつある。
その批判は、「ネオリベ生活批判序説」という書の中に、見事に展開されている。

この本を読んで、少々のショックを受けました。
つい最近傾倒した方の批判に、これほど納得させられるとは!という、ショック。

蓮實さんは、「正義」を語る際の「恥じらい」を強調される。
カッコいいことを言う時、人は「照れ」を忘れていること。
でも、カッコいいことを言うその人は、結構、ダメな人間である。
なのに、言葉ばかり、カッコいい。
これは、おかしい。
もうすこし、「照れ」とか「恥じらい」とか、そういうものを持ったらどうだ・・・
・・・そんなリアリズム。
私は、ぞっこんほれ込みました。

でも、リアリズムの果ては、何か。

イデオロギーも、哲学も、文学も、勿論、神学も、
リアルな世の中には、多分、邪魔者です。
英語を習得し、コンピューターに習熟し、人間関係スキルを磨く。
渡世の術を身につけることこそ、リアリズムとしての「学び」でしょう。
だから、大学は、これから「リアル」なものを追及します。

そんな「大学」像を蓮實さんたちは、追及した。

それでいいの?
この世の中を上手に渡る、ということは、
この世の中の歪みを、温存する人間を作り出す、ということでは?

「ネオリベ生活批判序説」という本は、全編にわたって、
そうした問題提起に促されて書かれている。

なぜ、蓮實さんのリアリズムは、こんなに味気ないものを作り出すのか。
その語るところは、とても魅力的だったのに・・・

その疑問に、町山さんが、見事な答(のようなもの)を、くださいました。

蓮實さんは、「表層批評」ということを、映画批評として主張される。
それは、つまり、「見えるもの」に拘るということ。
「見えないもの」、つまり、作者の意図とか、その背後にあるイデオロギーとか、
そういう「深層」をアレコレ論じてもしょうがないよ、というご主張。

たしかにその通りなのです。

「深層」は、アレコレ論じても、時間の無駄。
だって、見えてないんだから。
「見えてる部分」で、勝負しようよ!

なんという、リアリズム。

でも、町山さんはこれをバッサリ切り捨てます。

>「見えてる部分」をこねくり回した「批評」なんて
>結局、「ワケが分からん言葉の羅列」にすぎないじゃねぇか!

と、そんなことを、言い切る。

この、見事な一刀両断は、
「第4回 特別編
『映画秘宝の歴史』」

で、聞けます。
(リンクページの一番下のほう、になります。)

私が初めて出会った、衝撃的な程に見事な、蓮實批判。

その町山さんが、再度、蓮實論を展開していました。
先ほどの、
「配信限定!放課後DA★話(3/8)【町山編】です。

町山さんは、だいたい、こういいます。

>もともと、マルクス主義イデオロギーが空気を支配していた時代があった。
>映画批評も、「マルクス主義的かどうか」を巡って、展開された。
>ひたすらに、「正しい物語かどうか」ばかりが論じられ、
>それだけが、「深層」の批評として尊重された。
>蓮實さんは、それに抗った。
>「見えないもの」を論じることを批判し、「表層」をのみ、論じた。
>その後、「映画批評」というものは、「感想を述べ合うこと」になった。
>今でも、誰も、映画の背後を調べない。調べれば分かることを、調べない。
>自分達は、それに反発した。
>分からないことは調べる。「表層」の背後を、調べる。

だいたい、こんな感じでした。

視界が、一気にクリアになります。

かつて、「革命」を信じた時代がありました。
「マルクス主義」という近代の申し子が、
「今」を否定して、「未来」を期待させた。
その時代、あらゆる言説は、「革命」へと徴用されました。
大学も、勿論、そのためにこそ、存在しました。

でも、「革命」は、幻滅に終わった。
そして、時代の「空気」は逆転します。

「未来」を信じて「今」を否定する言説は「虚妄」とされ、
リアリズムこそ、「正しい」とされる。
あらゆる言説はリアルのためにこそ徴用され、
大学も、勿論、そのためにこそ、存在を許される。

でも、それでいいのかと、今、問われている。

それを先んじて問うた町山さんは、
日本から出て行って、海の向こうで足場を固めて、帰ってきた。

すごいなぁ。

でも、「マルクス主義」でもない「リアリズム」でもない、とすると、
どんなものなのかな・・・

と思っていたら、ポッドキャストそのものが、見事な答を用意していました。

ポッドキャストの司会は、ラジオ番組の司会者である歌丸さんでした。
私と同い年の、ラップ歌手。

歌丸さんは、時間の終了に当たって、全体をまとめようとします。
すると、町山さんがそれをクサす。

>まとめない方が、人生は楽しいよ。

そうなのです。そういう話をしていたはず、だったのです。

ポッドキャストは、三人のトークで進行していました。
そして、三人は、最後までバラバラに話しながら、
バラバラのことを考え、話だけ、あわせている。

その最後、どうなるか。どうなるべきか。

どこで終わるのか――と、思っていたら、最後、

 


ドカーン!

 

で、おしまい。

凄い、と思いました。

マルクス主義は、未来に希望をおきました。
リアリズムは、今が全てといいます。
どちらも、一つの言葉で括れます。

「予定調和」、です。

新人議員さんが、国会議事堂に入ると、
突然、使い出す言葉があるそうです。
それが、「粛々と・・・」という言葉。

田中康夫さんは、そのことを盛んに批判していました。

>「予定調和」じゃダメだから、わざわざ議員になったんでしょ!

って、感じです。

想定される未来へまっすぐに進むのか、
今ある世界をまっすぐ進めるのか。
いずれも、「予定調和」です。
いずれも、「息苦しい世界」=「生きにくい世界」を、招致する。

「ドカーン」は、
「今」も、「想定される未来」も、破壊することです。
でも、破壊されるのは、「予定」の「調和」です。
本当は、何も破壊されていない。
歌丸さんも、町山さんも、元気に番組を終え、打ち上げに繰り出す。
本物のリアルが、新しく更新されて展開して行く。

「ぐるぐる~」と、議論を深め、観念の世界を展開し、予定を詰めてゆく。
でも、それは、「どかーん」と、どこかでさっぱり、終わりにしないと。
そうしないと、「議論」とか「観念」とか「予定」の中に、閉じ込められちゃう。
そうなったら、おしまいだよ。
あとは、「終わりのない日常」が、ひたすら続くだけだよ。
「どかーん」と、やってごらん。
きっと、楽しくなっちゃうから。
(もちろんこれは、“from いないいない ばあ”、です。)

なるほど。きっと、そういうこと、なのでしょう。
これはきっと、子育てにも、つながりそう。でも、それはまた別の話。

今日は、ネットの前衛性、ということで話し始めたのでした。

スポンサーさんがいたら、きっと、こうは終われない。
予定調和でないと、お金がつかないもの。
ネットが、新しい時代に相応しい表現を、つかみつつあるのだと、
そういうことだと、思います。

・・・なかなか、「ドカーン」とは、終われません。
私は、前衛に憧れる鈍牛、なのでしょう。

では、形だけ・・・どかーん!





ダメだ。形だけでは、きっとダメだ。どうしよう・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Mar 16, 2008 08:38:58 PM
[信仰者の夢] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.