|
カテゴリ:信仰者の夢
昨日は、立教大学に行ってきました。
母校です。行くと、不思議なことが起こります。 自分が、まるで大学生であるかのような気持ちになる。 学校の建物が、基本的に変わっていないということ。 それは、タイムスリップ感を感じさせてくれる素敵なことです。 外観を変えない立教は、 しかし、 その内実を、大きく変化させています。 立教は、来年度から、 大学院に「キリスト教学研究科」という部門を作る。 そこで、修士号も博士号も出すことになる。 今までは「文学研究科」の中でやってきた「組織神学」の研究が、 独立して、歩き出す。 それで、その開設記念の講演会が行われた。 そこに、参加してきたのです。 講師は、来年度から教授として着任される池住義憲さん。 池住さんは、名古屋における「イラク派兵差し止め訴訟」の中心人物。 名古屋の裁判は、大きなうねりを上げて進み、 今年、画期的な結論を得ていました。 裁判所が、イラク派兵を、違憲であると判断した。 そして、それが、結審した=確定した。 これからは、「イラク派兵は違憲」という前提で、 政治も、行政も、司法も、論理を組み立てないといけなくなった。 日本という国のルールの変更が、為された。 そんなことで、平和運動家の間では有名な、池住さんなのです。 名古屋の裁判では、 運動のはじめから、1000人を超える人が集結したそうです。 その中には、「若者」もいた。 というか、 「若者」は、その運動の中心を担った。 仙台でも、同じ裁判が行われ、 仙台市民教会は、そのサポートをしていますから、 私も、法廷に行ったり集会に行きます。 でも、ぜんぜん、「若者」がいない。 社会運動のようなものにあこがれる「若者」は、 決して、今でも、少なくない。 でも、その受け皿がない。 運動は、「ご高齢の皆様」によって独占されて、 気がつくと、若者はそこから排除されている。 それで、私は、フロアから質問しました。 どうして、若者を巻き込むことができたのか。 答えは、簡単でした。 「排除しなければいい」ということ。 「ご高齢の皆様」は、「肩書き」を並べて運動をする。 それを、やめる。 「ご高齢の皆様」は、立派な言葉遣いで高尚に運動を展開する。 それを、やめる。 みんな、タダの人として、「○○市の誰々です」と名乗り、 「先生」なんて呼び合わずに「~さん」と呼び合う。 言葉遣いは日常会話のレベルで推移させ、 訴状だって、「です・ます」調でつくる。 運動の機関紙は、「若者」に作ってもらう。 勉強会も、「共に学ぶ」という形式(池住さんの専門はこの教育哲学)で行い、 とにかく、「無言のうちに誰かを排除する」ということを、しない。 仙台でも、同じことができないものか。 今日、教会で話し合ってみましょう。 講演会は、名古屋の裁判を中心の話題として、 大変熱気あるものとなりました。 この講演会は、 立教は変革の中でとても大きな収穫を得つつあるのだと、 そう思わせるものとなりました。 たとえば・・・ 来年度開設のご挨拶として、 講演会最後に、研究科の先生方が一言ずつご挨拶をされたのですが、 その中で、ルター研究の竹原創一先生が、 「池住先生のお話のなかに、 ルターの思想と通じるものがあったことを発見して、 今日は、大変勉強になった」 と、おっしゃっていた。 これは、ものすごいことです。 現代のNGO的活動のカリスマ的な池住さんがいて、 学究の堅実な歩みをなさる竹原先生がいて、 両者が、互いに刺激を受けあって研究科が進んでゆく。 夢のような話です。 立教の収穫は、既にして大きい。 我が母校が輝く――St. Paul is Shine!―― 私たちも、それぞれ、励まなければなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 30, 2008 07:49:33 AM
[信仰者の夢] カテゴリの最新記事
|