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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き
【続き】 台原から旭ヶ丘、小松島のあたりは丘陵地帯で、旧市街から見れば郊外に相当するが、比較的早くから住宅地になったせいか、丘陵の地形をそのまま利用しているようだ。ひたすら上りひたすら下るということがなくて、アップダウンが適当に現われて、歩いていて楽しい。 団地によっては、大がかりに山を削って谷を埋めることで土地の利用効率を上げているところがあるが、そんな団地は地震に弱い。ある団地に住む私の友人の家はかろうじて削った山部分に建っているが、隣は埋め立てた谷に建っているのだという。そのお隣さんは宮城県沖地震でも東日本大震災でも大被害にあったが、友人の家は何でもなかった。自然に寄りそって住むというのがいいのだ。近代の技術より昔からの知恵が勝るという典型だろう。
もう少し坂の街を歩いてみることにする。小松島公園の前に和菓子屋さんと美容店があってその間の道に入った。ここも坂の道で次第に急になる上り坂だ。坂道が曲るところではちょっとだけ見晴らしが良くなったりして飽きない。 坂道を上がって5、6分でもう尾根である。尾根には広い道があった。その道を南に少し行くと、右へ大きく曲がりながら急な下り坂になっている。
一方通行の道で通行量は多くないものの、歩道のない道はイオの動きに気を使う。年老いて右に左に活発に動くわけではないが、運転する人が私に気を取られればイオには気づきにくいだろうと思って心配になるのである。 坂道の途中で右に上る横道があって、その先に墓石らしきものが並んでいる。坂道を上ってみると確かに墓地なのだが、フェンスを介して下斜面に広がっているのもなんとなく墓地に見える。墓石は多くないが、石塔らしきものが並んでいる。
墓地と不思議な施設から下って来て元の道に戻る。そこから左の横道に入ってみる。途中からとても狭い道を抜けると、右手にお寺さんの屋根が見えてくる。地図に載っている万寿寺である。
万寿寺の山門は階層構造になっていてとても立派だ。由緒書き看板によれば、この寺は伊達家四代藩主綱村公の建立になるもので、その正室仙子姫の菩提寺となっているという。奥州で最初の黄檗宗を布く専門道場であったらしい。一目見たときに寺院の風格というものを感じたのは故のないことではなかったのである。
万寿寺の山門の前の道を南に歩くと小松島小学校の脇に出る。その手前を右に折れて小学校の裏(正門側だが北なので裏であろう)の道を歩く。その道は丁字路になっていた。出来るだけ出発点に近づこうと右に折れて行くと変則的な十字路に出る。 十字路の北東の一画はフェンスで仕切られた広い斜面で、斜面を上がる道は門扉で閉じられている。その門扉の前に「戦没者慰霊施設(旧陸軍墓地) 常磐台霊園 宮城県」という看板があった。先ほど小さな墓地でフェンス越しに裏から眺めた施設である。 かつてNHKの「世界ふれあい街歩き」のギリシャ・アテネ編で、アテネの人びとの野良犬の扱いに感動したことがあった。犬が寝そべっている店先から乳母車が出るとき、通りがかりの人が手助けをして乳母車を持ち上げて店を出たのである。犬を追い立てたりしない。それが普通なのだという。
常磐台霊園の前を左に折れると、パーキングのある通りに出る。北に少し歩いて今朝の散歩は終了となるのだが、先ほどからイオは一度も私の前に出なくなっている。あとからトボトボという感じで歩いている。気が付けば、もう8時をとっくに廻っていた。イオにはすこし長すぎた散歩だったかも知れない。それに上り下りが多かった。飼い主はとても楽しかったのだが……
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