「この人がやります!」と妻が訪問看護士さんにきっぱりと宣言した。それで、義母の痰の吸引は私の仕事ということになった(らしい)。
誤嚥性肺炎で救急入院した義母が昨日の昼前に退院してきた。入院中、日に3回の痰の吸引を受けて、退院後も誤嚥性肺炎の予防には口腔ケアと痰の吸引は必要だということで、レンタルの吸引器を借りて自宅でも行うことになった。
午後から訪問看護士さんが来て吸引の仕方を実地に教えてもらったのだが、妻の一言で私が実際にやることになった。病院の時と同じように義母は強烈に嫌がったが、難なく鼻からカテーテルを通して吸引することができた。
今日の午後にも看護士さんがやって来たが、痰が絡んでいる様子がないので吸引は行わず、もっぱら吸引と口腔ケアの講義と質疑応答の時間となった。この時も、昨日の宣言に従うかのように妻はすこし私の背後から喋る感じだった(実際には私の横にいたのだが)。
看護士さんが「吸引がどんなものか、お二人で交互に練習されるといいですね」と言い残して帰られ、妻は窮地に立たされたようだ。私だけが吸引をするなら練習が必要なのは私で、妻は私の練習台として鼻からカテーテルを入れられるのを拒否できない(はずである)。楽しみができた。
妻を軽くからかって、看護士さんのすぐ後に家を出た。今日の集会場所は勾当台公園である。
集会@勾当台公園。(2016/6/17 18:10~24)
午後6時近くになっても気温が下がらず、汗をかきつつ歩いて信号待ちの交差点でデモのスタッフの一人と会った。なにかと話しながら歩くと、暑さがまぎれるようで助かった。
主催者もフリー・スピーチの一人も高浜原発の訴訟のニュースに触れられた。今日、大津地裁(山本善彦裁判長)は、高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じた仮処分決定に対して関電が行った執行停止の申し立てを却下した。先の大津地裁の運差し止め命令に関電が異議を申し立てた保全異議の審理(異議審)もまた山本裁判長が担当しているので、そこでも関電の異議が却下される見通しが高くなった。
申し立て却下のなかで裁判長が「福島第1原発事故の原因究明が完遂したと認めることはできず、新規制基準に従って許可を受けたことで安全性が確保されたとはみられない」と述べたことは、今後の多くの原発裁判にとって極めて重要な論拠となるに違いない(毎日新聞)。
もう一つのニュースは、関電が高浜原発3、4号機の核燃料を原子炉から取り出すと発表したことである(福井新聞)。大津地裁の運転差し止め仮処分の執行停止請求を却下されたことや、異議審の見通しから、当分の間再稼働できないと判断したものと思われる。燃料棒が装填されていなければ再稼働には時間がかかるので、運転停止はさらに長期化するだろう。
さらに、脱原発や安保法制反対の立場での地方議員への訴えかけの重要性の話や、福島被爆訴訟への署名を訴えるスピーチもあった。
また、6月10日に岩沼市民会館で開かれた「あれから5年 私たちの選択」という小出裕章さんの講演会の報告があった。小出さんのお話のなかでとても印象深かったのが、福島の原発事故で放出されたセシウム137の総量はペットボトル1本分くらいの量にすぎないという事実で、それだけで広範囲の汚染を引き起こす放射能物質がいかに恐ろしいかと話された。
原子量が137ということは、137グラムに含まれる原子(核)数が6の後に0が23個も続く膨大な数になるので、実感的には想像しにくいのは当然と言えば当然である。
最後に今日も司会者から指名と話題の指示があって、「管理区域」の話をした。
放射性物質を扱う事業所や職業人を対象とした法律である「放射線障害予防法」に年5mSvを超える被爆のおそれがある施設を管理区域にし、管理区域境界では年1mSv以下としなければならないと定められている。
管理区域には一定の放射線作業についての教育・訓練を受けた人間のみが立ち入りを許され(未成年は不可)、区域内での飲食は厳禁される(法は内部被ばくの恐ろしさを知っているのだ)。放射線作業従事者の被ばく線量限度は1年で50mSvを越えず5年平均で20mSv以下としなければならない。実際には、成年男子や妊娠の可能性のある女性、身体の部位などに応じて細かな限度が設けられている。この線量限度は、そこまで浴びても大丈夫という指針では決してない。職業上の利益と交換しうるぎりぎりのリスクという意味である。
私が関係した大学の管理区域での被ばくはフィルムバッジ(とガラスバッジ)で管理されていたが未検出がほとんどであって、たまにわずかでも検出されるとすぐに対策がとられて、法で定める線量限度まで被曝することはまったくなかった。これはほとんどの事業所でも同様で、福島事故以前は少なくとも管理者も作業従事者も法的な線量限度に関係なく「できるだけ放射線は浴びない」という「常識」で行動していたのである。福島の原発事故はそのような健全な常識をも打ち壊したかのようである。
勾当台公園から表小路、定禅寺通りへ。(2016/6/17 18:39~48)
45人になったデモの列は勾当台公園を出発するが、公園口から大通りへ出るまでのイチョウ並木の下は、いつものデモの時はとても暗くて、見られるほどの写真にはならなかったが、今年は6月に入っても6時半からデモ開始という冬時間のタイムスケジュールなので、今日は楽に写真が撮れる。
写真を眺め返すと、一番町以外のデモコースはじつに緑が多い。「杜の都・仙台」などという自慢気な呼称をちょっとばかり嗤っていたが、あながち当たっていないとは言えないようだ。
一番町(定禅寺通り~広瀬通り)。(2016/6/17 18:50~52)
最近、静止画ばかりでなく動画も時々映すようになった。しかし、時間をかけて丁寧に写したつもりが、でき上がりを見ると画面が斜めになっていてがっかりすることがよくある。
静止画はRAWファイルで傾きを容易に修正できるが、動画にはそれができない。まあ、しばらくはいたずら程度の遊びということにしておこう。
一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2016/6/10 18:57~19:03)
もう少しで青葉通りというところでカメラのシャッターボタンが下りなくなった。電池切れである。あわててバッグを探ったが予備の電池を入れているポーチがない。充電しっぱなしで忘れてきたようだ。
青葉通りでは、すっかりとデモの列の真ん中に入って大きな声を出すことに専念した。
さて、デモが終わり、痰の吸引の練習をしようと意気込んで家に帰ったが、妻は練習台に応ずる気がさらさらないのだった。長い時間、訪問看護士さんと話し込んで、微妙な操作法も含めて吸引の理論はよく分かったので私としては実践したくてたまらないのである。理論を実験的に証明するというのは、長い間実験物理学を生業とした私の習い性でもあるのだが、実験対象に拒否されては私の楽しみはかなわないのだ。昔の仕事では対象試料に実験そのものを拒否されることなんてありえなかったのだが……。
夕食後、妻が歯ブラシで義母の口内をブラッシングして嗽をさせたあと、吸引器で口腔内をきれいにすることだけが私の仕事だった。
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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)