テーマ:支那(49)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
仕事柄、支那人とはいささかつき合いがあるのですが、「ばれなければ何をやってもいい」「ばれても平気でしらを切る」と云う特色があります。 古森義久 「中国に「歴史」を突きつけよ」 「諸君!」平成十七年二月号より 歴史的事実を恣意的に改鼠する中国に対し、「ノー」と言える日本になるにはどうすべきか ◆「中国の国民感情」とは? 靖国神社についても同様である。中国当局が国民に対し靖国神社について教えることは「軍国主義復活を唱える象徴」であり、「侵略戦争を美化するシンポル」「A級戦犯を祀るためだけの神社」となる。小泉首相以下がいくら「戦争を反省し平和を祈念」しても、中国の官製メディアはまったくその部分を報じない。 中国側が日本に対し高圧的に押しつけてくる「歴史」は、中国独自の歴史のゆがみや正当化の意図を一方的にまとめた「指針」や「認識」を基礎としている。日本側としては根本から受け入れ不可能な押しつけなのである。 靖国神社に関しても中国側は小泉首相の参拝に「中国の国民感情」を理由にあげて反対する。日本側でも経済同友会の北城烙太郎氏らがオウム返しのように「中国の国民感情」という言葉を口にする。 だが中国の「国民感情」というのも日本のように情報が自由に流れる開かれた社会での一般市民の感じ方と同列に考えたら、大まちがいである。日本のような意味での十分な情報に基づいて自然に形成されみ国民感情というのは中国には存在しないのだ。 一般の中国人は中国共産党のゆがんだプロパガンダの「歴史」を学ばされている。歪曲やでっちあげさえごく普通の「歴史」である。 中国国民はそういう歴史に関する加工情報を中国当局の教育によって吹きこまれ、その基盤の上に感情や判断を育てることとなる。その基盤がでたらめなら、その上に生まれる感情も判断もまちがった産物となるわけだ。中国側が主張するそんな「歴史」がいかに国際的な基準からも逸脱しているか、この部分を第三者の立場から指摘し、拡大してみせた記者はほかにも存在する。 ニューヨーク・タイムズのコラムニストのニコラス・クリストフ記者である。クリストフ記者は中国のゆがんだ歴史教育の危険をすでに何度も指摘してきた。二〇〇二年一月には、ニューヨーク・タイムズに「新中国シンドローム(症候群)」と題するコラム記事を書いて、中国の日本に関する歴史教育は次世代の中国人たちに「日本への憎しみを植えつける」ことが目的だと非難し、その停止を求めていた。 私はその内容を同年六月号の本誌でかなりくわしく紹介した。しかし同じクリストフ記者がその後もこのテーマを追いつづけ、中国の反日歴史教育の危険をさらに強い調子で非難した。二〇〇三年十二月二十日にニューヨーク・タイムズに「中国の脅威?」というタイトルで掲載された新たなコラム記事だった。その記事でクリストフ氏は中国の反日歴史教育があおるナショナリズム高揚は中国が保有する核兵器よりも危険だと警告したのだった。 同コラム記事は次のように述べる。 「私を心配させるのは中国の核兵器増強ではなく、遠隔地への兵力投入のたかの軍事調達でもない。中国を愛し、その成功に声援を送る一人として私がほんとうに心配するのは、中国政府が自国の若い世代の間に植えつけた高揚するナショナリズムなのだ」 クリストフ氏はそしてその中国の民族主義の危険な高まりの実例として、一九九九年に米軍機がユーゴスラビアのベオグラードの中国大使館を誤爆したことへの北京での激しい反米デモや、二〇〇一年のアメリカでの九・一一同時テロに対する中国人学生のインターネットでの歓喜の表明をあげた。 そのうえでそうした現象よりももっと激しい中国ナショナリズムの標的こそが日本だと伝えるのである。 「しかし私たちは中国の日本に対する態度にこそ盲目的なナショナリズムが引き起こす不安定の最大の表示をみるのだ」 クリストフ氏はこの反日盲目ナショナリズムの例証として、二〇〇三年秋に中国であいついで起きた西安と珠海での反日デモを指摘する。西安では西北大学での文化祭で日本人留学生たちが演じた寸劇を「中国を侮辱した」として中国人学生が怒り、あっという間に西安市内での数千人規模の抗議デモに発展した。 珠海では日本企業の社員旅行の一行が集団で中国人売春婦を買ったということで、これまた大規模な反日デモにエスカレートした。 クリストフ氏は西安事件は中国側の反日に駆られた典型的な過剰反応だとし、珠海事件については中国各都市での売春は公然たる事実だから中国側の抗議は偽善的だと断じていた。そして中国側の歴史のゆがめを以下のように指摘する。 「中国は日本に対しては歴史の語り伝えまでにヒステリックとなっている。一九三七年の南京虐殺はその実例である。この事件はその残虐のために誇張の必要はないだろう。日本軍による当時の殺戮を目撃したドイツ人のジョン・ラーベ氏は、中国側の死者数を五万から六万とみた。国際安全区委員会にいたアメリカ人のM・S・ベイツ氏は、民間人一万二千、軍人二万八千が殺されたと推定した。当時の国際連盟に対し中華民国代表は民間人の死者二万人と報告した。中国共産党系の当時の新聞は死者四万二千と報道した」 「しかしいまの中国当局は精査に耐えない主張に基づき、三十万人以上もが日本軍に殺されたと言明している。このような誇張は南京虐殺などまったくなかったと否定する日本の右翼と同様に歴史を悪用しているのだ。こうした歴史の悪用は中国自身を世界中から攻撃を受けると称する犠牲者国家として仕立てあげ、国内では自国の利益を守るために対外的にはきわめて攻撃的になるべきだとするナショナリズムを強めることになる」 いまの中国は歴史をうまく利用して、日本を果てしのない悪者に仕立て、自国を被害者にして、国内に過激な民族主義をあおっている、というわけだ。そのためには中国当局は「南京大虐殺の死者三十万以上」というウソを平然とついている、というのである。日本に対して「歴史を鑑に」とは厚かましくも、よくいったものだ。 ◆中国の人為的な過剰ナショナリズム さてこのクリストフ記者は中国報道では国際的に知られた人物である。一九八八年から九三年まで北京支局長を務めた。中国に関する報道だけでなく、やや学術的な著書でも声価を高くした。だが九五年からは日本へと転じ、東京支局長となった。九九年まで東京に在勤したが、日本報道では評価が分かれた。 日本に対しては斜に構え、批判ばかりが多かった。クリストフ記者は東京での後任者となる前述のフレンチ記者と同様に日本の保守派にはとくに否定的だったのだ。だからフレンチ記者とこれまた同様、反日左翼ふうのクリストフ記者が中国の反日歴史教育を非難し、結果として日本をかばう形になるのも、中国の歴史の歪曲がそれだけひどいということだろう。 いまはニューヨーク・タイムズのコラムニストとして活躍するクリストフ記者は、前述の「中国の脅威?」という記事で反日ナショナリズムの危険についてさらに警告していた。 「こうした反日傾向はなにをもたらすか。ナショナリズムの高揚は中国の政策決定をねじ曲げて、たとえば尖閣諸島をめぐる紛争での日本との衝突の危険を高める。中国政府は国際紛争全般、とくに台湾問題でも強硬な態度をとることを迫られ、アメリカとの戦争の危険までを冒すことになる」 「中国人民解放軍最高幹部の間には台湾の住民投票や独立への動きの背後に日本がひそんでいると語る人たちがいる。中国から台湾を盗むことが日本の狙いだというのだ」 台湾の独立への動きも日本が画策している、というのである。こうなると日本はますます無実の罪を着せられた被害者としての影像を濃くしてくる。 ではなぜ中国は日本をこれほどたたくのか。 「ひとつの要因は中国政府が共産主義イデオロギーが消えるにつれ、国家の団結を保つのに必要な新しい国民的接着剤を作り出すために、ナショナリズムのボタンを押しつづけていることだろう。その方法は一九三〇年代の日本のナショナリストを皮をはぐように執拗に糾弾しつづげることだが、その結果、中国自体が日本のかつてのナショナリストの真似をしているようになってしまった」 クリストフ記者は結論としてこの種の過激な反日ナショナリズムは、グローバルな安全保障への危険にもなりうるため、アメリカやヨーロッパの政治指導者たちが胡錦濤国家主席らに率直に警告して、放棄させるよう説得すべきだ、と提言していた。 要するに、いまの中国内部にある反日感情は、共産党のあおりによって作られたナショナリズムであり、その高揚のために歴史がフルに利用されている、というのだ。国際社会にとっての中国の真の脅威はその種の人為的な過剰ナショナリズムだというわけである。 日本の政治指導者も同様に中国首脳に対して「中国の反日ナショナリズムは国際的な脅威である」として抗議すべきであろう。 中国の対日主張や対日要求は自国内の特殊な事情から一方的に加工され、製造された政治的産物なのである。そこまで踏みこんで中国側の主張を論破すべきなのだ。 こううして二人の記者の報道や論評をみてくると、中国が日本に向かって押しつける「歴史を鑑に」論も、まったく勝手ぎわまる偽善的言辞であることが明白となる。靖国神社参拝の問題にしても、「中国の国民感情」なるものが共産党主導の歴史教育の人工的製品であることが明確となる。靖国も反日も、中国共産党の政策としての部分がもっとも大きいのである。ニューヨーク・タイムズの二人の記者の報告は、中国共産党のその政策メカニズムを国際的な視点からあばいたといえる。 アメリカのブッシュ政権も、ブッシュ大統領自身の中国歴史教科書非難の演説から明らかなように、中国の反日キャシベーンや対日歴史カードにはきわめて批判的である。そのスタンスはクリストフ記者らより強いことはあっても弱いことはない。 だとすれば、日本にとっては中国の反日ナショナリズム退治には、アメリカのカを利用することも可能だということになる。 繰り返すが、中国の高圧的な日本たたきも、靖国参拝停止の要求も、中国共産党の政策としての部分がもっとも大きいのである。日本に対してそうした力ードを使うことが、日中関係において中国を利し、さらに中国の国内へのジェスチュアとしても独裁統治への支えとなるという外交・政治の計算ありき、なのだといえる。 であれば、その外交・政治の計算上で、日本たたきは決して中国のプラスにはならないのだという状況を日本側がつくって、中国側に突きつければよいわけだ。中国指導部に反日は中国の利益にはならないとはっきり認識させたときにこそ初めて、反日は退潮へと向かうことになろう。 雑記帳より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月23日 13時15分04秒
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