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川村けんとの「いい加減にします!」

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2005年10月11日
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テーマ:皇室(560)
カテゴリ:歴史 傳統 文化

 世間の目は皇太子妃殿下であらせられる雅子様にのみ集まっているように見受けられるが、お世継ぎは秋篠宮家紀子殿下がお産みになっても何の問題もない。さらに、三笠宮家寛仁ともひと親王殿下、桂宮家宜仁よしひと親王殿下のお子様でも何の問題もない。
 次善の策は旧宮家の復帰である。旧宮家の皇籍離脱は占領軍の指令による物であるから「無かった事」にして復籍していただけばよろしい。
 旧宮家の男系男子に女子皇族が嫁がれて新たに宮家を創設するという策もある。
 旧宮家の男系男子が皇族の養子、あるいは婿養子となられるという手もある。
 男系であるという事それ自体にどれほどの価値があるのかという事はさておき、二千年続いたという事はそれだけで大変な価値のある物だと思う。


 さて本日は、

「Voice」平成十六年九月号
  女性天皇容認論を排す
男系継承を守るため旧宮家から養子を迎えればよい
    八木やぎ秀次ひでつぐ 高崎経済大学助教授

より三回目。
 光格天皇の事例は胸を打つ物がある。幼い愛子様にさらに過酷な責務を課そうとしている事に関して、皇族の方々、内閣、宮内庁、そして皇室典範に関する有識者会議の面々はどういうお考えをお持ちなのであろうか。



八木秀次 女性天皇容認論を排す
旧宮家から養子を迎えればよい 三

 もちろん以上の方法は、当事者である旧宮家の血筋の方に皇籍に復帰するご意向があることが前提であり、それが乗り越えなければならない第一のハードルである。私などは、これまでこの方法の実現可能性は度外視して、ただただ過去の皇位継承は一貫してそうだった、だから今回の皇統断絶回避もこの方法に則るべきだと、その理念だけを説いてきた。そのため、そんなことは針の穴にラクダを通すような非現実的な議論であるだとか、架空の話をしても仕方がないだとか、と厳しい批判を浴びせ掛けられてきた。
 しかし、ここに来て事態は大きく変わってきた。じつは旧宮家に属し、場合によっては当事者になられる可能性がある方々が私の意見に賛同され、私に接触してこられるようになったのである。すでにお目に掛かった方もいる(いうまでもないが、偽者ではない)。



差し障りがあるのでお名前を明かすことはできないが、その方々のお気持ちを私なりに代弁すれば、国民一般は皇位継承というものを理解していない、こういう皇統断絶の危機に至り、過去にも傍系が皇位を継承してきた歴史を踏まえるならば、もし自分たちにその役割が求められるなら、皇統存続のためにいわば「血のスペア」としてお役に立ちたいということである。
 もちろん皇族になって自由が制約されることは望むことではない、そういう意味では積極的に引き受けたいとも思わない、個人としてやってきたこともこれからやりたいこともある、しかし、自分はたまたまこのような血筋に生まれてきたことの運命を思う、今回の危機は二百年に一度の皇統の危機である、二千年来の皇統が断絶しようとしているのである、このときに自分たちのような血筋の者が何もしないわけにはいかないのではないか、自分たちがここでその血筋を自覚しなければ皇統は絶えてしまうかもしれない、



自分という存在が二千年来の皇統存続のためにお役に立つのであれば、個人としてやりたいことなどそれに比べれば小さなことである、自分はこのように思うようになった――このようなお話であった。じつに崇高なお気持ちであり、ご覚悟ではないかと思う。
 これまで私の述べた皇位継承についての考えは、いずれも皇位継承の歴史を踏まえたものである。なにも特殊な発想ではない。皇位継承の歴史を踏まえればごく当たり前の発想である。このごく当たり前にすぎない発想が特殊と考えられてきたのは、それが実現可能性がないと思われてきたからである。しかし、以上のように今後、当事者となられるかもしれない方々が名乗りを上げられ、わずかながら人的条件も整いつつある。
 また真偽のほどはわからないが、天皇・皇后両陛下も女性天皇をお望みではないという報道も一部にはある(「新聞が伝えない『雅子妃殿下騒動』の深層 天皇・皇后は『女帝』を望まれていない」『THEMIS』七月号)。



 しかし、それは理由あってのことだと思う。天皇陛下にしてみれば、ご自身に至るまで百二十五代にわたって一貫して男系継承であったものが、ご自分の御代における皇室典範「改正」によって、その一貫した原理が変更されるのは皇祖皇宗に申し訳が立たないということになると思われるからである。
 陛下はできるならば、皇太子殿下か秋篠宮殿下の下に男のお子様がお生まれになり、その方が皇位を継承なさることを望んでおられるだろう。それがかなわない場合は別の措置が考えられるが、この点についての陛下のご意向は不明である。ただ少なくとも現時点においては、女性天皇容認には慎重であることだけは確かなようにお見受けする。



「光格天皇」が示唆なさること

 論者のなかには、いまのように皇太子殿下の次の世代の皇位継承者が明らかではない状態では、将来、天皇になられる方の帝王学が心配だ、一刻も早く皇室典範を改正して愛子様が皇位に就けるようにしたうえで帝王学を授ける必要があると主張する人もいる。善意に発する意見であると思うが、このような意見も皇位継承の歴史を知らないものといわざるをえない。
 先にも述べたが、傍系から皇位を継承された方に第百十九代・光格天皇がいらっしゃる。この天皇は傍系の宮家(閑院宮家)の、しかも第六皇子のご出身であったが、傍系のご出身であることを強く意識して逆に天皇らしく振る舞われた。このことは東京大学教授の藤田覚氏の『幕末の天皇』(講談社メチエ選書、一九九四年)に詳しいが、そこには「光格天皇は、どこか理念的な天皇像を追い求めるところのある人だった。




九歳という幼少で、しかも閑院宮家という傍系から、文字どおりはからずも天皇位についたがゆえのなせる業でもあろうか、君主としての天皇像を強烈に意識し、それにふさわしい権威と威厳の回復に、執念とも思える渾身の力をふり絞った七十年の生涯であった」と書かれている。
 光格天皇は傍系出身ということもあって、周囲から軽く扱われた。そこで前の前の天皇(女性)で、そのときは上皇であった後桜町院が学問に熱心に励むよう勧められた。天皇もその教えに導かれて学問に励まれ、好学の天皇として世に知られた。藤田氏は「天皇の血筋が薄く、周囲から軽く見られることに対して、朝廷内での自己の権威の確立と強化のためという理由のほかに、傍流であるゆえになおさらというべきか、理念的な天皇像を追い、それを現実に演じようとしたのではなかったか」(同書)と述べている。



 光格天皇は「日本国の君主としての天皇、という意識を強烈にもっていた方であった」(同書)。君主は「仁」を第一にしなければならず、一身をかえりみることなく、天下万民に「仁」を施さなければならない、そうすれば神のご加護により、天下泰平を維持することができる。光格天皇はこのような君主としての職分を強く意識されていた。
 これは幼い年齢からの帝王学によって身に付けたものではなく、逆に途中から皇位に就かれたゆえに自覚的にもたれた意識であった。このことは天明の飢饉の際に、幕府に米を供出するよう迫ったことに表れている。これが人々の「尊皇心」を喚起し、幕末の尊皇攘夷につながっていった。
 また光格天皇は「強い皇統意識の持ち主でもあった」(同書)。初代・神武天皇から連綿と続く皇統の第百二十代(当時の数え方)天皇という意識を強くもっておられた。



ここから光格天皇は、廃絶していたものを再興し、当時行なわれていても略式であったものを、なるべく古い形式に復古するなど、朝廷のさまざまな神事・朝儀の再興と復古に熱心に取り組まれた。
 具体的には新嘗祭、大嘗祭を古来の形式で復活させ、焼失した御所を復古的に復元させたほか、中絶していた石清水八幡宮と賀茂神社の臨時祭を三百八十年ぶりに復活させた。崩御後は五十七代・八百七十五年間の長きにわたって中絶していた「天皇」号が復活され、第五十八代・光孝天皇以降中絶していた諡号(しごう)(生前の功績を讃えて贈る美称)も復活されて「光格天皇」と称された。光格天皇の君主意識・皇統意識はその後の仁孝天皇、そして何より孝明天皇に強烈に引き継がれて、その行動・ご発言に大きな影響を与えることになる(詳細は藤田前掲書を参照のこと)。



 このようにいわば近代の天皇制度の基礎を築かれたといっていい光格天皇が傍系のご出身で、途中から図らずも皇位を継承されたという事実は、皇統とは何か、そして今日の皇統断絶の危機をどのようにして乗り越えるかについて考える際に大きな示唆を与えてくれる。
 繰り返すが、皇統とは神武天皇以来、一貫して男系で継承されてきた血筋のことであり、直系に該当者がいらっしゃらない場合は傍系から得てきた。今日、この傍系に当たるのは戦後まもなく皇籍を離脱された旧十一宮家であり、そこには男子がかなりの人数いらっしゃる。その方々のなかから何人かが皇籍に復帰できる方法を考え、男系の宮家の数を増やす。この宮家に現在の内親王殿下や女王殿下が妃殿下として嫁がれるのが望ましいが、いずれにしてもこの宮家にお生まれになったお子様が皇太子殿下の次の世代の皇位継承資格者となる。



 このような方法が最も皇位継承の歴史にかなったものであり、わずかながら人的条件も整いつつある。要は、皇位継承の歴史を踏まえた皇統断絶危機回避の方法を考えるべきではないかということである。

◇ 八木秀次 (やぎ ひでつぐ)

一九六二年生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
同大学院政治学研究科博士課程中退。
現在、高崎経済大学地域政策学部助教授、
慶応義塾大学総合政策学部非常勤講師、
フジテレビ番組審議委員。
「新しい歴史教科書をつくる会」会長。



平成十七年 十月十一日
 二葉あき子「古き花園」を聴きながら





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最終更新日  2006年12月26日 11時57分58秒
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