テーマ:皇室 二(50)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
今日は旧暦一月二十五日、初天神。睦月、土脉潤い起こる。 本日は「正論」平成十八年二月号、竹田恒泰氏の「旧皇族の直孫が女系天皇問題を語る」から四回目。 女系は途絶えて久しい。問題は男系を維持するか放棄するかである。何事に依らず放棄するのは簡単だが維持するのは難しい。男系維持の方法として、五十九年前に国連に皇籍を剥奪させられた旧宮家の復籍という案がある。僕はこれが最良の手段であると思っている。 「旧皇族の直孫が女系天皇問題を語る」 旧竹田宮家直孫●竹田恒泰 (続き) ─守るべきものがあって言えないのであり、本当は喉元まであるのでは。 竹田 温度差はあれど「巻き込まないで」という雰囲気を感じます。それではいけません。十一宮家というのは幕末から終戦にかけて皇族として特権を与えられ、待遇されてきました。確かに二十二年以降は歳費など金銭面の特権は得ていません。ただしそれまでの環境が引き継がれていることは事実です。 十一宮家の全員に言いたいのは、一緒に悩むべきで、一緒に考えるべきで、一緒に責任を感じるべきだということです。その中で一人ひとりができること、できないことも出てくるでしょう。しかし今はまだ自分に何ができるのかまで考えが至らないわけです。 出版に当たり、旧皇族の当主をはじめ関係者に何人か会いました。公職の方もいらっしゃいますが、会社勤めをしている方が多く、新聞記者が来るのはご免なんです。十一宮家の当主が集まってこの件について一切論評しないという決定がなされたとも聞いています。 そんな中、神社本庁から憂慮を示す基本見解が官邸の安倍官房長官に出されました。大変な覚悟があったことと思います。そういう連鎖になってほしいと願っています。 ─六十代では言えないけれど、三十代だから言えるのでは。 竹田 反対に私どもの世代だと、余計に民間に溶け込んでいる意識がある気がします。今さら特別ではないと。 ─天皇陛下のお立場を慮っているのではと推察します。まして復帰となると当事者です。 竹田 それは全く違います。寛仁親王殿下があれだけ勇気をふるってお書きになったのです。発表された時点で、それはもうありません。殿下は現役の皇族です。殿下がおっしゃったのに十一宮家は言えないなんてあり得ません。「天皇陛下はどうお考えなのか、お気持ちと違うことを言っては大変」ということを気にするわけです。 ─復帰そのものは歴史上珍しいことではないときいています。 竹田 明治時代には結構ありました。まさに竹田宮なんていうのは、今風に言えば特別立法ですけど、当時は天皇勅命により、本来皇籍離脱すべき身分の人が天皇の娘と結婚して(北白川宮から)できたわけです。 全員と深く話したわけでないので分かりませんが、ただ、共に悩む責任があり、そこから先のお話だというふうに思っています。 ─今日の到来を予想しましたか。 竹田 十四宮家が三宮家になったとき、こんなに皇族の数を減らして将来断絶の危機を招くのではないかという議論がありました。いざとなったら十一宮家が皇籍に戻ればいいのではという当時の宮内次官、加藤進さんの発言が残ってますね。その答弁で、鈴木貫太郎元首相が納得したという談話もあります。 加えて、戦後の皇室典範はかなり厳格で、こういう事態に立ち至ったのは不思議ではない気がいたします。今後はある程度枠は設け、弾力的に運用できる従来の方向が採れればいいのではないかというふうに思います。 ─皇族に戻られた場合でも、即位するわけではないのに、そのような誤解がある気がいたします。 竹田 秋篠宮妃紀子殿下が内親王ではないように、旧皇族が結婚なり何かして皇籍に入っても親王や王になるわけではありません。親王でない皇族男子に皇位継承権はないわけです。ただ子供が誕生すると生まれながらにして皇族です。復帰する人を皇族と考えるべきではありません。 ─女系天皇によって皇室に新しい風が入るとテレビ局から取材があったそうですね。 ご著書の担当編集者である今井康裕さん(小学館『DIME』デスク)は「民間の経験をされた旧皇族の方が皇室に入ることこそ、新しい風ではないかな」と話していました。 竹田 新しい風を入れて変えてもいいことと、何があっても決して変えてはいけないことがあるはずです。確かに皇室の在り方は時代とともに変遷します。けれども「三種の神器は古いから英国王室にならって王冠や杖に」「大嘗祭や新嘗祭はクリスマスミサにしよう」という話にはなりません。皇室ではなくなります。 ─二千年前、千年前、言葉遣いも身なりもモノの考え方も価値観も全く違う日本人が唯一変えなかった皇室を、平成の価値観で変えてしまっていいのかということですね。 竹田 これまでに三回、皇統断絶の危機を乗り越えてきました。これを一概に昔の話だといって笑い捨てることはできません。当時の重臣たちがいろいろな選択肢を模索した上で慎重に決定してきた事項でありまして、それが三回とも同じ方策を践まれているのです。これを分析すれば、それを現代においてどうすべきなのかは自ずと答えが出ることです。やはり先例というのを軽んじてはいけないと、わたしは思うんですね。 つまり、いわゆる近代における法律という形で明文化されたのは終戦後の新皇室典範が日本の歴史において初めての例になるわけです。皇室制度のあり方というのは、時代とともに変化するものはありますが、やはり慣習によって積み上げられてきた、それも、五十年や百年の短いものではなくて二千年にわたって積み上げてきた伝統的慣習があるわけなんです。 国民感情、もしくは現代の世の中の風潮をまったく無視していいというものではありませんが、やはりそういうものを見ながらも積み上げてきた慣習、慣例を重視していく姿勢が現代の日本には必要なのではないかなと、特にこの問題に接して感じています。 ─ありがとうございました。 竹田恒泰氏 昭和五十(一九七五)年、東京生まれ。平成十年、慶応義塾大学法学部卒業。皇籍を離脱しIOC要員をつとめた故竹田宮恒徳王の直孫、JOC会長、竹田恒和氏の長男。高校時代からバックパック一つ背負って欧州、中東、アジアなど世界各地を旅する姿には各国要人が好意を寄せ、戦前フランスに長期滞在し自由を謳歌した故東久邇宮稔彦王ばりのやんちゃぶりである。横浜市長選に出馬表明(候補一本化のため辞退)、イラク開戦直前に知人の元大使のつてで単身バグダッド入り、外相、軍司令官らに国連査察受け入れ説得を試みた。中華料理は師について十年以上。全国で環境問題の講演をしている。ロングステイ財団専務理事ほか。幕末、明治維新への激動の時代を生きた孝明天皇を研究。著書は『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)。 愛子内親王殿下は男系なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」ではなく「片系」という事になる。 男 ┌─女…片系女子 ├─┤ ┌─女 └─男…片系男子 │ (神武天皇) 女 │ 女 ┌─女…男系女子 ├─┤ ├─┤ 神倭伊波礼毘古命 ┌男 └─男 └─男…男系男子 │ │ │ │ │ │ ┌─男…双系男子 ├─────┤ ├─┤ │ │ │ └─女…双系女子 │ │ │ 多多良伊須気余理 └女 ┌─女 ┌─女…女系女子 ├─┤ ├─┤ 男 │ 男 └─男…女系男子 │ └─男 ┌─女…片系女子 ├─┤ 女 └─男…片系男子 このたびの「女系天皇問題」に関して政府に言いたい事のある方は左記より。 平成十八年 二月二十二日 ボブ・マーリー「君、泣き賜ふ事無かれ」を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月28日 11時53分41秒
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