テーマ:大東亜戦争 二(19)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
旧暦七月十六日、大文字焼、藪入り、盆踊。文月、ひぐらし鳴く。 「日本人の品格」より 第二部 自決者の遺稿を読む 日本帝国の終焉に散った人びと 昭和三十年八月十四日、日本戦友連盟、全国戦争犠牲者援護会等の共催により「終戦時自決烈士顕彰慰霊祭」が挙行されたが、その祭典委員会によって翌三十一年に作成されたのが「終戦時自決烈士芳名録」であり、五百二十七名の軍人軍属の芳名がそこに記録された。 決者の芳名を加え、合計五百六十八名の芳名を記し、そのうち百四十四名の遺書や遺稿、あるいは経歴、事蹟、写真等を収録したのが、『世紀の自決─日本帝国の終焉に散った人びと』(額田坦編、芙蓉書房出版)である。 その「まえがき」には、本書出版の理由がつぎのように記されている。 「曠古の大戦を経て日本は新しく生れ変った。しかし、この蔭には平和国家の実現を祈念しながら、終戦という国の運命とともに自ら玉の緒を断った人たちがいたことを忘れることはできない。このような人々の至高至純の精神を永遠に伝えて顕揚することは、今生きているわれわれの義務ではなかろうか。にもかかわらず、戦後の日本がたどって来た後をふり返ってみると、国力の再建復興にだけ専念して、これら殉国自決の方々の 事蹟を究めることも行われず、これを昭和史にとどめることもなされず、空しく等閑に付されていることは、この上もない痛恨事といわねばならない。いまこそ、その関係記録を整備し、その事実を確かめ、貴重な資料をまとめておかなければ日本精神史に輝くこれらの人々の魂は忘却の彼方に埋もれてしまうであろう」 本書は、終戦自決者五百六十八柱の芳名を記した項の扉に、「留魂」という題名をつけている。吉田松陰の『留魂録』を想起する題名である。松陰はこの書の冒頭に、 呈する次第であります」として、本書に「序」を寄せているが、そこにはまず、「戦後、時が経つほど、折に触れ、縁に随って、見聞きする殉国の壮烈な人々の遺事に純浄な感激を覚えます」と記して、さらにこう続けている。 「世の軽薄な人々の中には、戦争を憎むあまり、自らの国家を否定し、殉国の士にも一向関心を持たず、無責任な利己的平和と享楽ばかりを求めてやまぬ者が多い。それは最も恥づべき堕落であります。祖国はその懐しい山河と共に、民族の生命と伝統を顕現してをるものであり、地球は幾十億年もかかって、生命を創り、人間を生み、心霊を高め、民族を育て、国家を開いて、人類文明を発達させてきました。その自然と生命と人間精神に共通する進歩の原理原則は、常に試練と犠牲無くしては行はれないことを、科学によっても明らかにされてをります」 終戦時の自決者は、そのすべてが国家に殉ずるという高潔な精神の所有者といっても過言ではない。それゆえ国家も、昭和三十年法律第一四三号により終戦に関連する責任自決を公務死として認定し、靖国神社に合祀し、自決者の遺族は戦死者と同等の公務扶助料を受けるに至った。自決者はここに国家に対する寄与貢献を正式に認められることになったのである。 有史以来未曾有ともいえる終戦後の混乱は、日本の民族精神そのものを荒廃させんとした。だがその荒廃の流れをキッパリと塞き止めたのは、敗戦の責を一身に負って敢然と自決した五百を超える殉国捨身の人々であった。一般国民は、彼らの壮烈な自決を見聞するにおよび、敗戦が生み出した迷蒙から覚醒することができたのである。 本書に「序」を寄せたいま一人の人物、哲学者の岡潔は、「日本民族は明治以後欧米からまた物質主義と云うひどい濁り を取り入れてしまった」として、こう続けている。 「然しもう本来の日本民族の心に目覚めてもよいころであろう。そのためにはこの五百餘片の花片を一片一片拾い上げて丁寧に見ようではないか。与謝野晶子は日露戦争中に、君死に給うことなかれ、と歌っている。一片の花片の蔭には数々の深い悲しみが秘められていることであろう。日本民族が暫く見失っていた自分を取りもどすのに、必ず非常に役立つと思うのである」 自決者の真情を知れば、「日本民族が暫く見失っていた自分を取りもどす」ことができようと岡はいうのである。卓見というべきであろう。自決者の真情を認めた遺書、遺稿には、確かにそれだけの力がある。そして岡は、現代の日本人にこう問いかける。 「貴方がたは最早や戦争が済んだという時に自殺出来ますか、何と云う崇高さであろう。私は再び解脱した人の行為を見せて貰ったと云う気がする」 特攻隊といい、玉砕兵といい、自決者といい、その真情は日本人の民族精神の最も美しい部分の発光としか言いようがない。この崇高な精神は、日本民族が存続するかぎり、子々孫々にまで語り継いでゆかねばならない。それが祖国のために散華した殉国の勇士たちに対する我々現代人の責任であり、また未来の日本人に対する我々の義務である。 一 下士官兵の自決 加瀬善久陸軍一等兵 やるぞヤンキー何するものぞ 二 尉官の自決 橋口寛海軍大尉 国体に徹すれば論議の余地なし 三 佐官の自決 銕尾隆陸軍中佐 国家民族の為に役立つことを確信して自決す 四 将官の自決 升田仁助海軍少将 人でも餓死者を出さぬよう食い止めねばならぬ 本庄繁陸軍大将 満州事変は予一個の責任なりとす 篠塚義男陸軍中将 理由の如何に係はらず責を引くは当然と存じ候 人見秀三陸軍中将 余ノ任務ハ完了セリ 拾遺 寺本熊市中将・秋山義兌中将・上村幹男中将・安藤利吉大将 平成廿年 八月十六日 エマーソン、レイク&パーマー「マンティコア」を聽き乍ら 愛子内親王殿下は男系女子なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」でも「男系」でもない。 男┌女…雜系女子 ├┤ ┌女└男…雜系男子 男 ┌女…雜系女子 │ ├────┤ (神武天皇) 女│女┌女…男系女子=愛子内親王└男…雜系男子 ├┤├┤ 神倭伊波禮毘古命┌男└男└男…男系男子=悠仁親王 ┌女…男系女子 │ │ │ ├────┤ │ │ │┌男…雙系男子 女 └男…男系男子 ├────┤ ├┤ │ │ │└女…雙系女子 │ │ │ 多多良伊須氣餘理└女┌女┌女…女系女子 ├┤├┤ 男│男└男…女系男子 │ └男┌女…雜系女子 ├┤ 女└男…雜系男子 從つて今次の皇室典範改正問題の論點は「女系天皇を容認するか否か」ではなく「男系天皇を放棄するか否か」である。 コメント・トラックバックは豫告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月19日 22時37分08秒
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