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![]() 昨年11月に伊勢神宮と別宮を参拝してきた。 3度目だったが、行くたびに新しい感動と発見がある。 ![]() これほどに自然風土と人工の建築物が崇高なまでに融合している場所が他にあるだろうか。 今回はじめて感じたことは、例えば拝殿の屋根の千木は、この角度でなくては成立しない なにかぎりぎりのところで決定された構造を持ち、そしてそのことを太古の昔からリアルな 技術のなかに伝えつづけてきているということだった。 人と神の交流、自然と人工の融合、見えるものと見えないものの対話というような二つの 道筋が交差する場所、いわばバツ点、十字形象を見えるかたちで建物の構造のなかの いたるところに忍ばせ、そしてそれを見えない背後の世界まで延展させ、しかものみならず、 巨木生い茂る神域の森の木立のそれぞれを柱と見立ててみると、そこに現れたのは、 神宮の森そのものがひとつの巨大な神殿で、たくさんの拝殿は森の木と木をネットワーク する結びのデザインとバツ点の形象で型どられているようにみえた。 これには心底感嘆した。 ただこんなことすら、古代の人たちの感得していたものの、ほんの一部にすぎないのだろう。 あるいは発想の出処が神様、いわゆるかんながらということなのだろう。 西行が、伊勢神宮にはじめて訪れた際に詠んだ句を、神の森を眺めながら思い出していた。 なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる ![]() ![]() ![]() │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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