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不況のときこそ勉学に励むべきである 編集者蛙会のお知らせ [全58件]
橘外男という作家は、何事にも粘着質で、この『赤旗翻れば』でもソ連兵の言葉に完璧を求めた。私は原卓也の語学力に期待したのだが、さすがに彼は農民の使っているスラングを調べてきてくれた。 これによって、ソ連兵がまったくの無辜(むこ)の民である、日本人女性に暴行する様子が活写されることになったのだった。 文芸編集者は、どれだけ知識があっても、ありすぎることはない。というよりも、いかに知識を貯えるかが、優秀な編集者になるポイントだった。このとき私は、戦争引き上げ者の苦難をくわしく、知ったのだった。 話は代わるが、これも直木賞作家の藤原審爾に『みんなの見ている前で』という作品がある。これは戦勝国アメリカ兵が、いかに戦後の日本で女性達を凌辱したかの記録文学だった。 私はこの作品を読んで、涙を流し続けたが、橘外男の作品でも、涙を禁じえなかった。戦争とは言葉を変えれば、女性の凌辱の記録でもあるのだ。 実際、私も昭和28年(1953)、当時下宿していた練馬の江古田で、1人の黒人兵が酔っぱらって、ピストルを手に持って歩いているのを目撃した。なんと、ズボンからは性器を丸出しにしている。 明らかに女性がいたら、暴行するつもりで歩いていたのだ。どの家も戸を閉めて留守を装ったが、私も下宿のおばさんを守った。といっても、黒人兵が侵入してきたら、すくんでしまっただろう。警察はまったく役に立たなかった。 敗戦から8年たっても、街はそんな状況だったのだ。
11月12日、第四回目の蛙会がありました。 今回のテーマは「小説」でした。どんなジャンルの編集者でも、「小説を読むこと」で、編集する本、著者とのつきあいに深みがでる。 でもれそのためには、どんなふうに読んでいけばいいのか。 あっという間の2時間でした。 次回の蛙会は、年が明けた1月14日になります。 テーマは以下の通りです。 「その判断、ちょっと待て〜編集には正解はない」 また近くなりましたら、ご案内させていただきます。 ところで、いくつかお知らせがございます。 ただいま発売中の「百楽」12月号で、 櫻井先生のインタビューが掲載されています。 http://www.liber-libri.com/1161375/276835.html また今週11月20日(金)、深夜24:40〜 TBS系「クマグス」に、口説きのクマグスとして登場します。 編集長とは違う顔の先生をお楽しみください。
橘外男は、私が東京外語のロシア語出身だ、ということを見越して、翻訳を頼んだのだが、実はこの頼みは、とてつもなくむずかしい。 というのは、正統のロシア語がある程度できても、当時のまったく無学のロシア兵が日常使っているスラングなど、わかるわけがないからだ。 まして日本女性たちを手籠めにするときに使う、卑わいな言葉など、どうやって調べていいか、見当もつかなかった。その点、この小説は、大勢のソ連からの帰還兵や帰国子女が読むことがわかっていたので、いい加減にはできなかった。 こんなときに便利なのは、同級生だった。私は、学生時代に一緒に同人雑誌をやっていた原卓也を呼び出し「なんとかしてくれ」と頼んだ。 原は私に講談社を受けることをすすめ、自分は新潮社に入りたい、といった男だ。父親はロシア最大の作家、トルストイ全集の翻訳(講談社版)を完成させた原久一郎先生である。 彼の家に学生時代遊びに行くと、マージャンをロシア語で打っている、というほどのロシア語漬けの家系だった。 私はその原久一郎先生の添書の力によって、一度は講談社を受かったのかもしれない。なにしろ2千人の受験生で、合格者はたった6名だったからだ。しかし、結局は身体検査が通らず、子会社の光文社に回されたのだが。 その後原は著名な翻訳家になり、母校東京外国語大学の学長もつとめた。いまドストエフスキーの翻訳でウケに入っている亀山郁夫学長は、原の教え子である。 原は二つ返事で引き受けてくれた。たしかに自分にもわからないので、周りに聞いてみようといってくれたのだった。
作家・橘外男の原稿ほどすごいものはない。 「すごい」としか形容できないのだ。 ふつうの作家の原稿は、書き損じたら、そこを2本の線で消していく。これは現在の私でも同じであって、それが基本ルールになっているからだ。 橘のそれはまったく違う。 最初は黒ペンで書いたところを、直すときは線を引いて、その横に青インクのペンで書き入れていくのだ。 さらに次は、毛筆で不要な文章を黒々と塗りつぶす。そして今度は赤ペンでその脇に、細かい字を書き入れていく。 まさにこれは芸術品であって、いままで取っておけば、誰しもが驚嘆しただろう。それも丁寧な細かい文字なので、ときには虫眼鏡で見ないと読めないくらいだ。 原稿料というのは、400字詰1枚いくらで計算するものなのだが、ときに彼の原稿は、1枚に800字くらい入ってしまうのだ。それでも原稿料は1枚分なので、申しわけないくらいだった。 彼の半生は小説と同じように異色だった。21歳のとき、犯罪を犯して刑務所に入っている。その経験を『私は前科者である』に書いているが、私はこれも空想ではないか、と思ってしまったほどだった。 また敗戦のときは、満州におり、ソ連兵に襲われて、ようやく日本にたどりついている。このときの状況を事実小説として書いておきたいというので、私もよろこんでお手伝いした。 『赤旗(せっき)翻れば』という長篇だが、、ソ連兵による日本人への暴行は、すさまじいものだった。この作家の筆は実に克明で、ねっとりしており、すばらしい原稿となったが、このとき、ソ連兵の言葉を、ロシア語に翻訳してくれと頼まれたのだった。
橘外男(たちばな・そとお)といっても、いまではほとんど知られない作家になってしまった。亡くなったのが50年前の1959年だから、忘れられても当然だ。 しかし、文学の世界には異色小説、異色作家というジャンルがあり、彼もまた好事家の間では、かなり評価が高いのだ。 私は22歳のとき、五味康祐、松本清張の二人の芥川賞作家と親しくつき合いはじめたが、三人目の作家が橘外男だった。戦前の直木賞作家である。 実に変わった小説を書く作家で、そのほとんどは空想の産物だった。 直木賞作品の『ナリン殿下への回想』も、壮大な空想小説だった。この空想の天才に惹かれて、新米編集者の私は東京・久我山のお宅を訪ねたのだった。 その日、橘は顔と手に傷を負っており、繃帯を巻いた姿で応接間に現れた。私はあわてて「おけがのところを申しわけありません」と詫びたが、夫人がケラケラ笑った。 「いえね、櫻井さん。聞いてくださいよ。うちの犬が泥棒除けになるかどうか試すんだといって、昨日の夜、顔を手拭いで隠し、門をよじのぼって入ったんですよ。ところが犬は本気になって噛みついたんで・・・」 私は笑っていいものかどうか困ったが、ついに吹き出してしまった。こんな純粋な人間を見たことがなかったからだ。このとき橘は59歳だった。 「主人はうちの犬は飼い主さえわからないのか、と怒っているのですが、番犬としては最高ですよね」 夫人は朗らかな性格と見えて、笑いつづけていたが、この奇妙な初体面が私と橘外男を結びつけた、といえるかもしれない。
お知らせです! V6が出演するTBSの深夜番組「新知識階級クマグス」に、「口説きのクマグス」として、櫻井先生がゲストで招かれました。 放映は11月20日 深夜24:40〜ですが、本日6日の放映では、その予告がチラッと出るらしいです。 伝説の編集長とは別の顔(?)の櫻井先生を、お楽しみください。 収録時のエピソードは、櫻井先生のブログ「櫻井秀勲の目」をご覧ください。 http://ameblo.jp/sakuweb/entry-10370812650.html
男でも女でも、大恋愛が終わったり、あるいは思いがけぬ別れに直面すると、そのあとは、抜け殻のようになってしまい、当分恋愛できなくなるものだ。 作家・北原武夫は、当分の間恋愛ができなくなるのはいいのだが、現実には、その後男女とも、つまらない相手に引っかかることが多い、といっていた。 そういわれてみると、確かにそういうケースが多い。別れのショックで、どうでもよくなってしまうのかもしれない。そこで大恋愛が終わりそうな予感がしたら、もう1人、別のお相手をもちなさい、と彼はいうのだった。 しかし、果たして単線の恋をしているとき、もう1人の相手とつき合うことなど、できるのか? 北原にいわせると、「できる」らしい。 それというのも、別れを直感すると、男も女も寂しさに耐えられなくなり、誰かがいないと、暮らせなくなる、というのだ。現実に北原は、宇野千代と別れる直前から、若い女性を可愛がっていた。 私はこのとき、まだ30代の前半だったため、この「複線の恋」を信じられなかったが、その後間もなく、これが真理だということに気がついた。 これは人間の一種の防衛本能かもしれない。現在では、別れる前に不倫をしている夫や妻は、いくらでもいる。これも一種の「複線の恋」といえるだろう。 彼はまた、恋に年齢は不要だ、とも教えてくれた。男女どちらが上でも下でも、そんなものは関係ない、というのだ。目が合って、その視線がからみ合ったら、その瞬間に恋が芽生えている、とも教えてくれた。 私が口説きや恋愛の専門家になれたのは、この師のおかげといって過言ではない。 |一覧| |
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