テーマ:読書(8190)
カテゴリ:感想
久しぶりに、フェルミ漫画大学の動画を観たら、また、望月りんちゃんのCV変わってた。もう何代目なんやろなぁ(苦笑)
こちらの動画を見てて、「ハイライトや下線を引くことは勉強にならない」っていう話があって、確かになぁ、と。そうなんよね、線を引いたり色付けしても覚えられる訳じゃないし、理解が進むわけでもないからね。 ただ、そもそも、目的が違うと思うんですよね、あれって。 要は「後で読み直す時に、すぐ目につくように強調するための処置」であって、それ以上でも以下でもないと思う。だから、付箋も貼って、そのページにすぐ辿り着けるようにしておかないと、ダイエット中に油物食べるぐらい意味ないし、もっと言っちゃうと、改めて、その本の該当箇所を読み直すつもりがないなら、全く無意味な行為でしかない。ブックマとか、ショートカットと同じ。道具であって、目的ではない。じゃあ、何のための道具なのか?無駄なくアクセスできるようにするため、ですよね。 そういう意味だと、「ここは〇、ここは×」とか「ここは赤、ここは青」とかって色分けとか、マーキングの印を変えることにはそれなりに意味があると思ってて、「読み返した時に、一目でどこの個所が何を指しているのか」「ここの個所と、ここの箇所には関連性がある。逆に、こっちの個所は別の……」とか、そういう思考整理には、それなりに意味があるんじゃないかなって。勿論、後日、改めて読み直す、という前提ですけど。読み直す気が無いんだったら、そもそも、やる必要なんかない話でね? ちなみに、そういうページが一つか二つしかない本は、マーキングなどせず、スマホで該当ページの写真撮って、とっとと売ってしまって良いと思う。場所を取るだけで手元に残しておくメリットないからね。全体を通して、何度も読み返したいと思えるような代物でない限り、後生、大事に取っておいてもねぇ。部屋が狭くなるだけだし。 ※結局のところ、その本を「何の用途に使いたいか」次第だと思う。内容を理解する、暗記する為だけなら、マーキングに意味はない。ただ、該当の記述を即座に引っ張り出せるようにしておく、つまり、勉強の為ではなく、道具として再利用する場合にのみ意味を持つ。なので、マーキングは付箋とセットでなければ片手落ちだし、同じページがマーキングだらけになったら本末転倒である。その場合は、ハイライトによって「マーキングとは別の形で強調」してやらないといけない。後、デメリットとして、「付箋していないページ&マーキングしていない箇所には意識が向きにくくなる」ので、そこは要注意。 ……で、何で、この話が浮かんだかというと、ちょうど、岡田先生のホリエモンとの昔の対談動画を見てたから。 そこで「なんで紙の本に拘るのか?」についてホリエモンが岡田先生に質問してて、それについてあーだこーだやり取りしてたんですけども、「んー、手でマーキングできるからかなぁ」って聞きながら思ったんですよね。 ただ、マーキング自体は電子書籍とかスクショでもやろうと思えば出来るので、あんまり理由にならないなぁと。 で、うーんうーんと色々、考えた結果…… 私に限っていえば「大量の文字を電子媒体として眺めるのが好きじゃない」のと「紙をめくるという行為に快感を覚える体(脳)になってる」から、じゃないかなって。 前者は、そのまんまですね。私、小説とか新書って電子書籍だと読めないんですよ、漫画は良いんですけど。 一応、セールの時とかに欲しかった作品が出てたら買うんですけど、あんまり読まないんですよね。スマホにダウンロードしておいて、精々、外出先で眺めるぐらい。なんていうか、パソコン上で大量の文字を眺めるのが正直、苦痛なんですよね。だから、ニュースサイトとかも、あんまり読まない。ブラウザの読み上げ機能にお任せしちゃう。自分の書いた記事も含めて。 ただ、それだけだったら、紙である必要はない筈なんですけど、なんかあの「本という形」と「紙をめくるという行為」そのものに、ある種の快感を覚えるようになってるんじゃないかなって。多分、読書好きの人なら、一人か二人ぐらい、分かってくれるんじゃないかな、と思うんですけども。左手でもって、右手でめくる。その単純動作自体が、なんか馴染んでるんじゃないかなって。勿論、読む内容自体は、自分の関心のある題材に限られますけど(^^; ただ、書籍という媒体が正解かと言われると、正直、自信はないです。保管とか入手の効率性を考えちゃうと、やっぱ、電子書籍の方が分があるとは思います。だから、電子書籍が普及して若い世代がそれに慣れちゃったら、いずれは紙の本も消えちゃうのかなって。資源の無駄ではあるんですよ、紙って。どう繕ったところで。 結局、「情報収集」という機能(目的)から考えると、石碑だろうが、竹簡だろうが、紙だろうが、電子書籍だろうが、audible(昔のカセットテープ)だろうが、何だっていい訳ですよ。所詮、手段ですから。効率とか、操作性とか、コストとか考えると、何百年もの間、紙がトップだったし、私達もそれに馴染んでたというだけの話であって。より良い手段が開発されて、そっちに抵抗ない人が増えたら、もうそれまでかなって。 そう考えると、かつては当たり前だったテレビや車、ゲーム機が、より効率的な代替手段によって淘汰されていくように、ゆくゆくは紙の本も「贅沢」として淘汰される日が来るのかもしれません。まぁ、それが十年後か百年後かは知りませんけど。それまでは、紙の本という当たり前の「贅沢」を味わって過ごしたいものです。しみじみ。 ※5月16日追記 情報の死蔵化と、その回避策 つまるところ、付箋貼りやマーキングおよびハイライトは勉強、つまり、「記憶への定着を促す」ものではなく、「必要な情報へのアクセス高速化」および「別情報の付与」でしかなく、つまるところ、「特定目的に向けたカスタマイズ」行為でしかない。 そうなると、「いや、マーキングなどせず、必要な所だけノートに書き出したり、スクショ取っとけば?」と思われると思う。私も昔はそうだった。 ところが、これも繰り返していくと、収集した情報自体が肥大化してしまい、結局、「ノートのどこに何があるか分からない」「どれがどのスクショか、よく分からない」と整理していた筈がいつの間にかパンパンになって、結局、どっか行った、見つからない、忘れてしまう、という悪循環に陥ってしまったのだ。意味ねえ……。 そもそも、良い本というのは、「どこを読んでも、何かしら考えさせられる。一部だけ抜粋するより、全部保持してた方が良い」ものであり、無理に抜き出したりするより、そのまま原書を保持しておき、付箋やマーキングした上で、「すぐ目について、一発で取り出せる」場所に置いておいた方が結局、使いやすいという結論に陥った。つまり、 A)全体的に良い本⇒マーキングしながら手元(視界内)に置いておく。特に繰り返し閲覧したいページにだけ付箋、貼っとく B)それなりに良い本⇒必要な個所に絞って付箋し、要約した後に倉庫(視界外)にジャンル分けして閉まっておく。マーキングなし。 C)パッとしない本⇒必要なところだけ抜き出すか、スクショしてポイ こんな感じ。 で、なんで情報に優先付けが必要か、というと、結局、視界に入ってない情報って埋もれちゃうんですよね。 そうなると、アクセスしなくなるから記憶からも忘れちゃうし、再度アクセスして情報を再利用化すること自体が難しくなっちゃう。 だから、役立てたい情報は常に視界に入るようにしておかないといけないし、もっと言えば、すぐにアクセスできるようにしておかないといけない。私達は忘れっぽいし、基本、ぐーたらな生き物だからね。逆に言えば、忘れてしまいたい情報は目につかない場所に閉まっておくとよいのだけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月16日 19時29分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[感想] カテゴリの最新記事
|
|