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カテゴリ:好きな作品なこと
原作未読の方にはちょっとネタバレかもしれませんのでご注意を。
えぇと。 普段は最初から順番に読むのですが、昨日ちょっと時間がなかったので、『日和』と『屍鬼』をまず読みました。 あぁ、話もだいぶ大きな山に差し掛かってきましたね。 起き上がりの可能性に気付いた敏夫が、襲われて死んだ妻恭子を利用して、“屍鬼”を目の当たりにするシーン。 敏夫が屍鬼について理解することで、物語は終わりに向かって大きく動くことになります。 「誰が正しいのか?」 それはよくわかりません。 自分の命を奪う相手なのですから、敵であり、駆逐することは間違いではないと思います。 でも、やっぱりそれは人間の視点なのですよね。 そして、敵と呼ぶそれは、今まで人間同士として親しく付き合っていた相手。 彼らはやはり自分が生きるために人間を襲うわけであって……。 うーん。 それが間違いであると思うのは、人間を主食とする生き物がいないからでしょうか。 たとえば、海で鮫に食われたとか、山で野犬に襲われたとか、それはあくまで「事故」であって、彼らが人を主食としているわけではありません。 その事故ですら人死には悲劇なのですから、狩られる存在となったら人間は全力でその狩人を討とうとするのでしょう。 ふむ。 読み手のこちらは人間。 ならば人間の視点から物事を考えてしまうのは仕方ないことだと思いますが……。 だから、静信に同意するのは難しい。 狩られる側の視点からすれば、漫画でこれから取るだろう静信の行動は不可解なのです。 理解…できそうな気がしますが、やっぱり賛同できない。 人間だから。 そして敵を駆逐しようとする敏夫は正義に見える。 そう言い切るには少し引っ掛かりを覚えないでもないですが、立場としては正しいのかも。 いや……。 言葉にすると難しいですね。 なんとなく、そう思っていたのです。 窮鼠猫を噛むという言葉の通り、追い詰められれば捕食者相手でも噛み付くだろうと。 本能的に、それで当然なのだろうと。 しかし。 恭子を調べる敏夫を、改めてビジュアル的に突きつけられ、……なにか不安になりました。 正しい? 正しいのか? 残酷と断言できるその行動は、認めてしまっていいのか? 自分をいずれ、しかも確実に殺すであろう存在に対して戦う術を得るため。 そして、それは、医師である敏夫にしか出来なかった。 他の誰にも出来なかった。 結果として、それは残された人々を救うきっかけとなる。 小を捨て大を取る。 敏夫は残りの助かるかもしれない人々のために、鬼にならざるを得なかった。 ……人が鬼か? 屍鬼が鬼か? うぅ~……。 静信はその敏夫に「鬼」を見たのかしら。 それが静信に最後の選択をさせてしまったのかしら。 原作読み直そうかなあ……。 でも他が手に付かなくなりそうなのですよね(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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