カテゴリ:地震・津波
幼少時代は夏休みが来るのが、楽しみだった。 夏休みになると、家族みんなで父の実家、俺の田舎に遊びに行った。その時は常磐線で列車に乗って出かけて行った。 最近は車で常磐自動車道路を通り、高速が終了すると国道で福島原発を右手に見て(といっても2~3キロは離れているのだが)出かけて行ったものだ。 近くの海の入江で泳いだり、畑の回りを走ったり、リアカーにいとこたちと乗って遊んだものだ。 綺麗な川でザリガニや魚をとった。新鮮な野菜・果物もとって食べた。 都会っ子の俺にとっては、別世界だった。 都会に戻ってから、田舎のない友達には誇らしげにそこでの楽しかった生活を話してあげた。 そこは今では山元町と町になったが、その当時は坂元村だった。北方面の山下町と坂元村が合併し、今の山元町となった。 そんな俺の田舎が消えた。 今回の地震・津波災害のこの地区の情報はマスコミからはほとんど入ってこない。 毎日一生懸命インターネット・サイトを探し、山元町出身で現在東京在住の企業家のブログをやっと見つけた。そこから情報を得ることができた。 災害後の写真、動画を見ることができた。 http://www.youtube.com/user/zunoukiss#p/u/6/qgdt95qYJJA 災害後 災害前 信じられない。悪夢を見ているようだ。昔の美しい田園風景は全くない。 ほとんどすべてがなくなった。歩いて10分程のところの坂元駅は陸橋だけが残った。 まわりの商店街・家々は他の坂元地区と同様全く残っていない。70cmの地盤沈下が起こり、海が近くなった。 災害前の写真は俺が2009年7月に撮ったものだが、俺は何気なく坂元駅の陸橋も撮っていたようだ。 山元町全世帯数約5,400棟の内、全半壊世帯数は約2,000棟。 父の実家があった坂元の新浜はほぼ全滅のようだ。 俺のいとこ等3人は未だに行方不明だ。奇跡を未だに祈っている。 そのとき家にいなかった親戚の者は見つかったようだ。 そして、俺の熱い思い出だけは残った。 こんなブログを俺は書きたくなかったが、地震・津波の怖さを記録として残したかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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