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カテゴリ:■出逢い ひとりごと
(この日記は前日の日記「イメージバトン☆」からつながっています。)
僕は学生の頃、 小学校を卒業し普通の市立中学に通っていたのですが、 当時、とても個性的な先生が二人いました。 一人は数学の小谷先生(仮名)。。もう一人は美術のジョージ先生(仮名)。 校長も先生方も生徒も、この二人の先生のことは、 「小谷さん」、「ジョーさん」と「さん」付けで呼んでいました。。 僕の学年は6クラスあったのですが、この2クラスは、 独立小国家のような感じでした(^。^) 「小谷組」、「ジョー組」、 3組、4組…という言い方でしたしね^^; 例えば、夏休みに1泊2日のキャンプという学校の行事がありました。 3組から6組の4クラスは、学校で決められたキャンプ場に決められた日に 行っていまいした。(当たり前だけど^^;) でも、小谷組は小谷組のクラスで話し合い、自分達でキャンプ場と 日程も別の日に2泊3日とか3泊4日で1クラスのみで行っていました。 (ジョー組もジョー組の場所と日程で。。) それから僕は数学は3年間、この小谷さんに習っていたのですが、 この先生の数学だけは、3年間、教科書がありませんでした。 先生が配るプリントだけで授業をしていました。 授業の中で、生徒がミスをすると、いろんな「刑」もありました^^; 僕が経験したのは「腕立て伏せの刑」… これは、4つんばになって、腕立て伏せをするスタンバイな状態で、 ずっといるんです。。 だんだん腕がプルプルしてきて、辛かったです(^。^) 授業は進めているので、僕の息が上がってくると 「岡田、うるさいよ^^」とツッコミが入ります^^ それから、「洗濯バサミの刑」…これは耳たぶ とか、 ほっぺたとか、髪の毛など、いたるところに 洗濯バサミを付けられます^^; そう、…クラスのみんなに笑われます。。^^; 今の時代だったら、この「出来事だけを」とり上げて、教育問題に なるんでしょうね。 美術のジョーさんの授業では、教科書は購入することにはなっていたのですが、 授業で、教科書を開けと言った事は一度もない上、 …先生が教科書をもっていた記憶がありません^^; 中間テストも期末テストも、いつも試験問題が、殴り書きのような汚い字で、 たった1問しかありませんでした。 僕は3年の時、ジョーさんが担任でした。 今の学校はわかりませんが、当時は、他の普通のクラスは 学校に娯楽の物をもってくると、即没収でした。 けれど、ジョー組は、ジョー組で生徒とジョーさんで決めた クラス内のルールがありました。 「休み時間は何をやってもいい。」というルール。。^^ だから、教室の後ろのロッカーの上には、マンガ本が 100冊以上並べられ、自由に読んだり、音楽を聞いたりしていました。 (今は携帯もあるから、そのぐらい普通なのかなぁ。) 学校の給食のパンがマズイという意見が多数出て、 クラスに(マンガの横に)トースターも置いていました^^ 先生とも よく、「賭けトランプ」もしました。。 まぁ、これはお金ではなく、ジュースをかけてね。 こういうのも今の時代だったら、 この「出来事だけを」とり上げて、教育問題になるんでしょうかね。 卒業生が学校にバイクで遊びに来たら、そのバイクを借りて、 運動場を走り回ったり、反発する生徒とグランドの砂浜で 「決闘」をしたり^^;… 思い出すときりがありません。。(^。^) でも、この二人の先生には共通するものがありました。 それは 「生徒自身に考えさせ、 生徒たちでルールを決めさせ、 そして、責任をとらせる。」ことでした。。 「休み時間は何をやってもいい。」というルールをクラスでつくりました。 でも、 一人の生徒が(他の先生の)授業中にマンガを読んでいるのを 見つかって注意され、没収されたことが、 ジョーさんの耳に入りました。。 するとその日から、クラス内のすべての娯楽が廃止になりました。。 そして、すごいのが、 クラス全員で、このことを考えさせ、 全員に反省文を書かせたんですね。 ジョーさんも小谷さんも アメとムチ…連帯責任をうまく使い分け、 上記のような時も、反省の気持ちが、 その注意した先生に伝わり納得する了承を得られれば、 再び、娯楽再開させてくれていました(^。^) 今は、物事に我慢する子が少ない。。大人も。。 ましてや、責任をとる子は、もっと少ない。。大人も!! 教育も、その表面の出来事を見て、 良い悪いと論じあっているレベルが多いい。。 当時の この二人の個性的な先生のやり方は、正当とはいえないだろう。 でも、 生徒だった僕の中には、楽しい思い出としての記憶がある。。 「カタチ」や「やり方」ではないんだよね。 それだけ、先生と生徒の距離が近かったということ。。 それだけ、裏の少ない付き合いだったということ。。 はちゃめちゃな接し方の中から、信頼関係と筋を通す責任感を 育ててくれていたようだ。。 いま、こういう先生は、全国にどれくらいいるんだろうか。。 表面的なカタチの教育ではなく、 人間として熱い人生の先輩が。。 PS… さて、皆さん、気になったであろう ヒッチコック監督→先生とつながった理由。。 それは、小谷さんが、ヒッチコック監督の大ファンだったんです。 僕は中1の時の数学の授業中に、 ヒッチコック映画の素晴らしさを熱く語ってくれて、 その監督の存在を知りました。 深夜テレビで何夜連続ヒッチコック映画の時は大変でした。 小谷さんは寝不足だし、毎回「見たか?!」と聞かれて、 語りだすので。。 おかげで、その魅力は幼くして知ることができました^^; だから、ヒッチコック監督と聞くと 小谷さん…「先生」が浮かぶんです。^^ PS2… この二人の先生は、同じ時期に教え子(卒業生)と結婚しました☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月01日 08時33分17秒
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