352296 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

スピリチュアルアート ヒーリングアート絵画 岡田和樹 光と癒しの絵 現代アート世界

スピリチュアルアート ヒーリングアート絵画 岡田和樹 光と癒しの絵 現代アート世界

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

フリーページ

カテゴリ

プロフィール

aikansha

aikansha

バックナンバー

2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年07月
2006年02月01日
XML
(この日記は前日の日記「イメージバトン☆」からつながっています。)

僕は学生の頃、
小学校を卒業し普通の市立中学に通っていたのですが、
当時、とても個性的な先生が二人いました。

一人は数学の小谷先生(仮名)。。もう一人は美術のジョージ先生(仮名)。
校長も先生方も生徒も、この二人の先生のことは、
小谷さん」、「ジョーさん」と「さん」付けで呼んでいました。。

僕の学年は6クラスあったのですが、この2クラスは、
独立小国家のような感じでした(^。^)
 「小谷組」、「ジョー組」、  3組、4組…という言い方でしたしね^^;

例えば、夏休みに1泊2日のキャンプという学校の行事がありました。
3組から6組の4クラスは、学校で決められたキャンプ場に決められた日に
行っていまいした。(当たり前だけど^^;)

でも、小谷組は小谷組のクラスで話し合い、自分達でキャンプ場と
日程も別の日に2泊3日とか3泊4日で1クラスのみで行っていました。
(ジョー組もジョー組の場所と日程で。。)

それから僕は数学は3年間、この小谷さんに習っていたのですが、
この先生の数学だけは、3年間、教科書がありませんでした。
先生が配るプリントだけで授業をしていました。

授業の中で、生徒がミスをすると、いろんな「刑」もありました^^;
僕が経験したのは「腕立て伏せの刑」…
これは、4つんばになって、腕立て伏せをするスタンバイな状態で、
ずっといるんです。。
だんだん腕がプルプルしてきて、辛かったです(^。^)

授業は進めているので、僕の息が上がってくると
「岡田、うるさいよ^^」とツッコミが入ります^^

それから、「洗濯バサミの刑」…これは耳たぶ とか、
ほっぺたとか、髪の毛など、いたるところに
洗濯バサミを付けられます^^;
そう、…クラスのみんなに笑われます。。^^;

今の時代だったら、この「出来事だけを」とり上げて、教育問題に
なるんでしょうね。


美術のジョーさんの授業では、教科書は購入することにはなっていたのですが、
授業で、教科書を開けと言った事は一度もない上、
…先生が教科書をもっていた記憶がありません^^;
中間テストも期末テストも、いつも試験問題が、殴り書きのような汚い字で、
たった1問しかありませんでした。

僕は3年の時、ジョーさんが担任でした。
今の学校はわかりませんが、当時は、他の普通のクラスは
学校に娯楽の物をもってくると、即没収でした。

けれど、ジョー組は、ジョー組で生徒とジョーさんで決めた
クラス内のルールがありました。

「休み時間は何をやってもいい。」というルール。。^^

だから、教室の後ろのロッカーの上には、マンガ本が
100冊以上並べられ、自由に読んだり、音楽を聞いたりしていました。
(今は携帯もあるから、そのぐらい普通なのかなぁ。)

学校の給食のパンがマズイという意見が多数出て、
クラスに(マンガの横に)トースターも置いていました^^

先生とも よく、「賭けトランプ」もしました。。
まぁ、これはお金ではなく、ジュースをかけてね。

こういうのも今の時代だったら、
この「出来事だけを」とり上げて、教育問題になるんでしょうかね。

卒業生が学校にバイクで遊びに来たら、そのバイクを借りて、
運動場を走り回ったり、反発する生徒とグランドの砂浜で
「決闘」をしたり^^;… 思い出すときりがありません。。(^。^)

でも、この二人の先生には共通するものがありました。

それは
「生徒自身に考えさせ、
生徒たちでルールを決めさせ、
そして、責任をとらせる。」
ことでした。。

「休み時間は何をやってもいい。」というルールをクラスでつくりました。
でも、
一人の生徒が(他の先生の)授業中にマンガを読んでいるのを
見つかって注意され、没収されたことが、
ジョーさんの耳に入りました。。

するとその日から、クラス内のすべての娯楽が廃止になりました。。
そして、すごいのが、
クラス全員で、このことを考えさせ、
全員に反省文を書かせたんですね。


ジョーさんも小谷さんも
アメとムチ…連帯責任をうまく使い分け、
上記のような時も、反省の気持ちが、
その注意した先生に伝わり納得する了承を得られれば、
再び、娯楽再開させてくれていました(^。^)

今は、物事に我慢する子が少ない。。大人も。。
ましてや、責任をとる子は、もっと少ない。。大人も!!

教育も、その表面の出来事を見て、
良い悪いと論じあっているレベルが多いい。。

当時の 
この二人の個性的な先生のやり方は、正当とはいえないだろう。
でも、
生徒だった僕の中には、楽しい思い出としての記憶がある。。


「カタチ」や「やり方」ではないんだよね。
それだけ、先生と生徒の距離が近かったということ。。

それだけ、裏の少ない付き合いだったということ。。


はちゃめちゃな接し方の中から、信頼関係と筋を通す責任感
育ててくれていたようだ。。


いま、こういう先生は、全国にどれくらいいるんだろうか。。

表面的なカタチの教育ではなく、

人間として熱い人生の先輩が。。



PS…
さて、皆さん、気になったであろう
ヒッチコック監督→先生とつながった理由。。

それは、小谷さんが、ヒッチコック監督の大ファンだったんです。
僕は中1の時の数学の授業中に、
ヒッチコック映画の素晴らしさを熱く語ってくれて、
その監督の存在を知りました。

深夜テレビで何夜連続ヒッチコック映画の時は大変でした。
小谷さんは寝不足だし、毎回「見たか?!」と聞かれて、
語りだすので。。

おかげで、その魅力は幼くして知ることができました^^;
だから、ヒッチコック監督と聞くと
小谷さん…「先生」が浮かぶんです。^^


PS2…
この二人の先生は、同じ時期に教え子(卒業生)と結婚しました☆


幸せのリンク






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年02月01日 08時33分17秒
[■出逢い ひとりごと] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.