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2011年04月18日
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 震災発生以来、自分の悩みは自宅のことや職場のことなど、主に自分に向けられてきたように思います。一方、これまで都市計画に関わってきて、「研究」や「支援」といった角度からこの被災地全体を覆う状況にどのように向き合えばよいのかということも、内心では大きな悩みの一つでした。
 この震災をめぐっては被災を自分のこととして受け止めながら、なお激甚な被災を対象化することの難しさを感じてきました。被災にも階層性があることは歴史的に見ても明らかですが、自分をその一端に定置してみると、被災の圏外が遙か遠くにあるように思えてくるものです。しかし、津波や火災、それが物的被害にとどまらず人的被害が集中した地域を思うと、自分も所詮は圏外にあるように見えます。その彼我の一線はどのように分布しているものなのか、現在の自分にはよくわかりません。要するに、何が被災地を規定しているのかすら、明確な定義は持ち得ません。
 「研究」や「支援」という言葉もしくは活動は、その一線を極めて曖昧にするものだと思います。3月11日から1ヶ月以上が過ぎて、被災地でも多くの「研究」「支援」活動が行われているようです。しかし、それが被災とその圏外との連帯や共同の上に成り立っているようには、単純には見えません。それでも、社会的使命を掲げて「研究」「支援」活動は被災地にやってきます。むしろ、彼我の一線を前提としてそれらの活動が行われていれば救われるのですが、あまりにも無自覚な場面があるのではないか。だからといって、自分も被災者の端くれだから被災者の気持ちはわかる、などとは到底言えない位置に立って、果たしてどのような「研究」や「支援」ができるのか。
 「研究」や「支援」ならば様々な被災の状況を容易く対象化できるものとは自分には思えません。だからといって、浅薄な職能を挺する努力を放棄することも、望ましいことではありません。この震災における自分を取り巻く悩みを解決するには、どうやら目を背けずに被災地をめぐる彼我の一線を、少しずつでも現場を知ることを含めて、画定していくしかないようです。
  *  *  *
 今日4月18日は震災以来、初めて激甚な被害を受けた被災地の状況を見に行くことにしました。特に3月中は自宅の被災の対応と原発の不安、ガソリン不足に悩まされてそうした機会を持つに至りませんでした。しかし、4月に入りようやく職場にも復帰して、研究室の復旧を第一としながら、その機会の必要を感じていました。
 その折、Y新聞の記者の方から連絡があり、被災地の状況について聞きたいという話をいただきました。しかし、自分自身、激甚な被害の状況を目にしていないという返答をしたところ、ともに現地に出向いて見聞をしてくる方が早いという結論を得ました。ただ、被災状況を考えると自分の知識だけでは心許なく、学内では同じ都市計画分野の大先輩である人間発達文化学類のA先生にも同行していただくことにしました。行き先は放射性物質の影響が及ぶ地域の問題とは敢えて隔てて(その複合した問題に都市計画としてのアプローチを試みるにはまだ考えがまとまりません)、相馬市・新地町を訪ねることにしました。
 日程としてはまず午前9時15分に福島駅で待ち合わせの後、国道115号線を経由して相馬市へと入りました。道中及び相馬市内の市街地は要所で避難所こそ見かけるものの、特に通常と変化がありませんでした。スーパーの店頭にも品物は概ね普通どおりに並んでいるようでした。
 すると目は津波被害を受けた海岸部に至ります。まず、相馬港へと向かいました。その途中、国道6号線を境界として津波によるがれきや漂着物が見え始めました。相馬港では2号埠頭にクルマを停めましたが、すでに一定の撤去が進んだ後のようでした。しかし、周辺の倉庫は躯体こそ残っているものの、津波が屋内を駆け抜けていった様子がまざまざとわかりました。大型の車両がそこかしこで横倒しになり、電柱や信号といった構造物も簡単に折れ曲がっていました。埠頭で足元を見ると近辺に備蓄されていたのか、地表には黄色く砂のように米粒が堆積していました。

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 次に新地町方面へと向かいました。新地町は人口8,000人ほどの浜通り地域では最北にある自治体です。この震災では海岸部に津波が押し寄せ、死者・行方不明者を合わせて100名を超える人的被害が生じました。漁業集落を中心に避難世帯も多く、その住宅の復旧は直面する課題です。
 したがって仮設住宅の建設がすでに進められていますが、新地町総合公園でその様子を見ました。ここでは20棟ほど、のべ200戸程度の仮設住宅が建設されています。概観したところ、いくつかの住戸タイプが用意されているようでした。建物自体は概ね完成しており、電気・ガスなど供給施設関連の工事が行われているようでした。阪神・淡路大震災の時は当初、仮設住宅にエアコンがなく問題になっていました。その経験がふまえられているのか、新地町では大量の室外機がすでに用意されていました。それらの施工にあたっている車両を見ると、ほぼすべてが福島県外のナンバーでした。全国からの応援は心強いと思える一方、地元で仕事を担える状況にないのか、あるいは復旧はすっかり県外の仕事になっているのか、経済対策という点で疑問を感じるところもありました。

FM1104182.JPG

 昼前には新地町役場に到着し、そのまま新地駅方面へと向かいました。その一帯は海岸から1~2kmほどの距離しかなく、平地は津波でもともとの空間がまったく想像のつかない状態になっていました。自分は2008年11月10日にまちづくり交付金評価委員会の仕事で新地町を訪れたことがあります。その際、新地駅など海岸部の要所も見て回りました。今日は当時の記憶を懸命に思い出そうとしましたが、まったく結びつく状況にはありませんでした。当時の雑記にも写真を掲載した新地駅には跨線橋しか残っておらず、常磐線の線路は本来あるべき位置にはありませんでした。津波に押し流される寸前の車両から警察官が乗客を誘導して救ったとの報道もありましたが、がれきの撤去が進みつつあるとはいえ、切迫した状況であったことは伝わってきました。

FM1104183.JPG

 新地町役場に出向いたのは、Y新聞の記者の方が連絡を取ってくださり、午後1時に加藤憲郎町長に面会することになっていたからです。町長には震災対策で大変お忙しいなか、災害対策本部や庁舎屋上での説明に始まり大変詳しく状況や今後の課題について教えていただきました。お話をうかがったところ、5月を目処に仮設住宅への入居は順次行われていくこと、町内に限らず被災地全体で防波堤が損壊した現状を見ると、海岸部での居住は制限せざるを得ないことなどがわかりました。また、復興計画の策定にあたっては、今後の地域を担う世代の参加を求めていきたいといった考えを聞くことができました。
 多くのことを教えていただき、2時30分頃に役場を辞去した後は、町内でも特に被害の大きかった大戸浜地区など海岸線に沿って再び相馬市へと戻りました。大戸浜地区は本来、小規模ながら漁業の活発な地区だったようです。しかし、津波によってほぼ原型を止めずに地区全体が壊滅していました。クルマを停めて周囲を見ても、建物の基礎しか当時を知る手がかりがありません。また、複数の住民が津波に飲まれたという5mほどの高台にも上がってみましたが、そこにも数多くの漂着物が打ち上げられていました。この高さならば大丈夫だという既知の経験が、結果として多くの犠牲者を生じさせてしまったという話も町長には聞きました。人知の及ばぬ自然の脅威を感じずにはいられませんでした。

FM1104184.JPG

 こうしたあと数mという高さや距離が生死を分けたことは、残された建物などの状況をうかがうと知ることができます。松川浦の北側にあたる相馬市原釜地区は、やはり防波堤をなぎ倒して押し寄せた津波によって甚大な被害が生じた地区の一つです。次の写真はその典型と思えますが、5mほどの擁壁の上と下とで建物の残存状況がまるで異なります。一度、津波に飲み込まれてしまった後の生死は奇跡によってしか救えないように思えます。しかし、その到達までの間にどこに避難するかという選択によって、人的被害は大きく分岐するはずです。この震災はより強固なハードの必要とともにそれだけでは安全を守れないことを示していますが、合わせて避難というそのソフトのあり方を問い直していることも確かです。

FM1104185.JPG

 夕暮れが近づき、今日の行程は最後に松川浦の南側にあたる同市磯部地区を見て終了としました。この地区には震災以前は松林が広がっていたようです。今日見聞した地区のそれぞれによってがれきにも違いがあると思っていましたが、この地区では多くの松がなぎ倒され、漁船とともにまき散らされたようになっていました。

FM1104186.JPG

 足元のがれきを見ると、直視できないような生活の断片とともに、かつての地域空間の形跡をうかがうことができます。その再生には物理的にも精神的にも、不可能と思えるほどの困難があると思います。ただ、真新しい「復興」の図を書くことが必要なのではなく、そうした形跡をわずかでも取り戻すことが必要だと思えます。そして、その作業は過去を知る住民でなければできません。その思いを強くして、自分の激甚な被災との関わり方を考えるきっかけとしながら、帰路に就きました。
  *  *  *
 明日は今日の不在の分を含めて、デスクワークに励もうと思います。天気も芳しくないようです。主に研究室にて、会議資料の作成などを行っていると思います。





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最終更新日  2012年03月27日 22時34分46秒
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