000469 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

梶原和義のブログです。

梶原和義のブログです。

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

keiji206543

keiji206543

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

Headline News

2011.06.29
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
未完成の地球に未完成の人間が住んでいる

イエスは、死を破って復活しました。日曜日は、イエスが復活した記念日なのです。ところが、日曜日になぜ授業や仕事を休むのか、これを説明できる先生が一人もいません。言論界でも、マスコミ界でも、いないのです。
西暦は世界史の流れですが、なぜそれを使用する必然性があったのか、なぜ日本でもそれを採用しなければならなくなったのかという、根本的な説明ができなければなりません。それができれば、人間が死んだらどうなるかということも、自然に分かってきます。
イエスが死を破ったことによって、死の問題が、歴史的に取り上げられるようになった。イエスが死を破ったことを勉強すると、何のために地球ができたということまで、説明ができるようになります。
文明は何のためにあるのか。人間文明が始まってからもう六千年にもなりますが、いまだに、人間が何のために生まれてきたのかという説明ができないのです。
皆様は、文明というものを信頼していることと思いますが、今の学問は、みな間違っているのです。例えば、法律学は法律に関する専門学です。医学は病気に関する専門学です。歴史学、経済学、政治学と、専門学は色々ありますが、専門学は、部分学なのです。専門的といえば上等に聞こえますが、あくまで部分的ということです。
現在、学校で教えている学問は、すべてこの部分的な学問です。靴屋の専門店が靴しか売っていないのと同じように、専門的な学問は、それを学べば、部分的な知識にはなりますが、他のことは分からなくなる。こういう大欠点があるのです。
今の学問では、政治と科学を統合するものがないのです。政治学が正しいか、科学が正しいか、結論が出ないのです。そこで核兵器ができるわけです。確かに、科学を勉強すれば、原子爆弾ができます。しかし、それを持つのがいいことなのか、悪いことなのかということが、今の文明では判断ができないのです。その結果、アメリカは八千発、ロシアは七千発と、両国合わせて一万五千発という、膨大な量の核兵器を持ってしまったのです。地球を何十回も破壊できる、恐ろしい兵器を持っているわけです。専門学の欠陥が、こういう文明を生み出したのです。
ノーベル賞という褒美がありますが、ノーベルは、ダイナマイトを発明したユダヤ人でした。白人文明はユダヤ文明だというのは、こういうことなのです。日本の学者は、ユダヤ人に褒美をもらって喜んでいるというわけです。
死んだらどうなるかということを知ろうと思えば、全体学でなければだめです。専門学ではだめなのです。政治も経済も、科学も哲学も、法律も医学も、全部ひっくるめて、大きな立場から考えなければ、人間の死後の問題は分からないのです。
では、どうすればいいのか。イエスが死を破ったことを勉強すればいいのです。イエスが死を破ったことは、歴史的事実なのです。イエスが死を破ったことにより、歴史が新しくなった、これをキリスト紀元というのです。
キリスト紀元になってから、既に2000年以上もたっているのです。それなのに、まだ人間が死ぬと考えられているからおかしな話なのです。人間が死ぬべきものではないことを、イエスが証明したのです。ところが、いまだにイエスが死を破ったことがどういうことなのかということを、宗教以外の方法で、堂々と勉強している人が一人もいないのです。
いったい文明は何のためにあるのでしょうか。原子爆弾を造るような文明が、いいものなのでしょうか。校内暴力、家庭内暴力が、頻繁に起っているのです。今のような教育でいいのでしょうか。教育が悪いのは、政治が悪いのです。政治が悪いのは、文明が悪いのです。だから、文明が間違っていると言わざるを得ないのです。
今、日本から、文明をやり替えるような、根本的に問題を考え直すような、素晴らしい世界観が発表されなければならないのです。正しい人間の見方、神の見方、命の見方、死後に対する見方が、未知の世界観として発表されなければならないのです。聖書の本当の読み方、イエスが復活したとはどういうことなのか、死を破ったとはどういうことなのかを、分かりやすい形で、全世界に向けて発表しなければならないのです。
死んだらどうなるかを簡単に言いますと、これは夜、睡眠をするようなものなのです。肉体的に死ぬことは、そんなに恐ろしくはありません。
夜眠っても、翌朝起きることが分かっていれば、安心して眠れます。それと同じで、永眠とはいっても、しばらくは眠っていますが、やがて日を覚ます時が来ます。その時の方が恐いのです。
永眠して目を覚ますとどうなるのかといいまと、世界が一変しているのです。その時、誠の命、誠の神を知らないで眠っていたのなら、目の前に神がいるのでびっくりするでしょう。そこでしまったと後悔して、地獄へ行くことになる。これを第二の死というのです。
現在の地球や人間社会は何のためにあるのかといいますと、完成するためにあるのです。人間もそうです。
仏教では、成仏、成道といいますが、成仏とはどうなることかというのは、はっきり言わないのです。キリスト教でも完成された神の国について説明ができないのです。キリスト教は、欧米のものですが、不完全な宗教といえます。彼らは、聖書に書かれていないことを勝手にしゃべっているのです。
何回も言いますが、現在の地球は、未完成の物体です。今の地球は、いつ地震があるか分からない。あちらこちらに砂漠があり、伝染病が発生します。戦争がある。泥棒がいる。こういう地球が、完全な地球だといえるでしょうか。地球は不完全で、未完成なものなのです。未完成の地球に、未完成な人間が住んでいるのです。
肉体を主体にした人間は、未完成の人間なのです。だから、今の人生を本物だと思うことが、どうかしているのです。このことを、般若心経は五薀皆空、色即是空といっているのです。般若心経を真面目に読んでみれば、すぐに分かるのです。
地球は、完成するためにあるのです。人間も完成するために生きているのです。死んで眠っている人は、地球が完成するまで眠っています。何百年も眠っているのですが、やがて地球が完成した時に目を覚ますのです。
その時、今の地球と全然違った世界が現われるのです。イエスは、これが分かったのです。分かったから、死を破ったのです。
もし、イエスの復活を学の対象として取り上げれば、ユダヤ人問題は完全にしぼんでしまうのです。原水爆の問題も、解決するのです。ユダヤ人が一番いやがっているのは、イエスの復活です。これを学が取り上げると、人間の考え方が、がらりと変わってしまうのです。
そうすると、地球が完成します。戦争がない世界が現われるのです。これは一人、二人が救われるかどうかの問題ではないのです。



基本的人権とは何か

人間の霊魂という観点から言いますと、基本的人権というのは、はっきり間違っています。どこが間違っているかといいますと、これは現世に生きていることだけが人間だという思想だからです。
現世に生きている姿だけで人間を考えますと、基本的人権は正しいでしょう。差別や階級があることをけしからんというのですから、一般大衆から見れば、この思想は正しいのです。
ところが人間は、現世に生きている間だけではないのです。絶対という角度から考えれば、人間の考える善は、必ずしも善ではないのです。
釈尊は、五薀皆空と言っています。色即是空、究竟涅槃といっています。この考え方は、人間から見るととんでもないことでしょう。しかし人間の命の本質は、過去、現在、未来という三世にわたって考えなければならないのです。現世で魂の勉強をすることが、この世に生まれてきた目的なのです。
基本的人権という考えは、人間を現世に釘づけにしてしまう考えなのです。現世の生活という一点に人間を釘づけにしてしまう、ユダヤ主義的な考えなのです。これが、ユダヤ教という宗教の非常の悪い点なのです。ユダヤ教が、文明に化けて現われている。そこが現代文明の悪いところなのです。
こういうことは、人間存在の本当の原理について、深い勉強をすれば分かることです。要するに、現代文明はスケールが小さいのです。この文明は、現在、非常に危険な状態にあります。まかり間違えば、地球そのものが、崩壊する恐れさえあるのです。
なぜこんな文明ができてしまったのかといいますと、命のことを考えずに、現在生きている、自分の利害得失だけを考えてきたからです。
人間は、この世に生きていることだけが目的ではないのです。これを皆がよく分かっていれば、人類共通の場ができます。
人間がこの世に生きていることは、非常に大きい意味を持っています。現在の人間は、過去、現在、未来の三世の一部を生きていることに過ぎません。現世に生きていることだけが人間ではないということを、まず考える必要があります。
日本人が持っている性癖の悪さがあります。また、日本という国は伝統的に、非常に
現世主義です。八百万の神々というのは、現世に生きている問のことばかりを言っているのです。山の神さんとか、商売の神さん、安産の神さん、受験の神さんもあります。現世の人間の生活の世話をすることが、八百万の神々の役目のようになっていますけれど、それは本当の意味での永遠の神ではないのです。絶対の神ではないのです。
日本人は、絶対とは何かということが分かっていないのです。仏教では「如来」といいますが、如来の正体の説明ができないのです。大日如来とは何者なのか、如来はどこで何をしているのか、如来と人間との関係の説明は、仏教ではできないのですが、聖書をよく読んでいきますと、これがだんだん分かってくるのです。
日本人の一番悪いところは、聖書に対して拒否反応を持っていることです。キリスト教は、どこまでも、欧米の宗教です。キリスト教では、聖書を正しく読まずに、キリスト教の教義に従って聖書を読んでいるために、神のことがよく分かっていません。欧米社会の中では、それでもいいと思いますが、日本では通用しないのです。その意味で、キリスト教を嫌っている日本人こそは、宗教ではない聖書が、本当に分かるべき民族といえるのです。
日本人は、あくまでキリシタンバテレンがいやなのです。だから、キリシタンバテレンではない本当の聖書、神の言葉である聖書、命そのものを説いている聖書を勉強して頂きたいのです。
人間は、現世に生きている間だけが命ではありません。現世に生きていても、必ず死にますが、死んだら魂はどうなるのか? そこでどうしても魂の勉強をしなければならないのです。
仏教の勉強を、いくらしてもだめです。いわゆる大乗仏教には、魂という言葉がないのですから。だから、魂の説明をしようがないのです。
仏教には神がないから、これは当たり前ともいえます。無神だから、無霊魂になるのです。仏教には仏教なりにいいところもあるのですが、端的に言いますと、命が分からないということになるでしょう。
実は、私たちの心臓が動いていることそのものが、神なのです。これが「絶対」なのです。生きていることは絶対です。私たちが人間であることも、相対ではなく絶対です。ところが、人間であることの意味を、日本人は説明できないのです。
一体、なぜ地球が存在しているのかということです。天地の創造ということが、日本人にはまったく分かっていない。
日本人はキリスト教を排斥しましたが、ついでに聖書も排斥してしまいました。その結果、心臓が動いていることが神だという事実を知る方法がなくなってしまったのです。そこで、宗教ではない聖書を提唱する必要があるわけです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.06.29 15:25:28
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.