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![]() ・人生は面白い。食べるということにそれほど関心がなかったが、母が早く亡くなり、自分で食事を作らねばならなくなったし、ボデイメーカーに勤めた時、移動販売車の製造に携わり、片田舎をトラックに野菜や魚介類や精肉を冷凍ボックスに搭載して販売する人たちと知りあったが、それから食料品との親密感がある。独身の時から、食料品売り場を覗くのに違和感がない。それと現在自分で食事の管理をし、食べるものを全部作っていることの下地があったことになるのだろう。 ・へ2・・・今日は、2008年2月に放火で焼失した崇礼門(南大門)の日らしい。上の写真は、その数ヶ月前にバスの中から撮影した。テレビで焼失するのを見て驚いたが、復元されるまでにあと二年かかるのだそうだ。どんな貴重な遺物も失われれば元には戻らない。文化財を大切にしなければならない。
![]() ・時々国民は、政府から一杯喰わされてもきた。政府は嘘つきか狐のような狡猾さをもつののでもある。「一杯食わす」とは、cheat somebody; take somebody in; play a trick on somebody;pull a fast one on somebody.私たち国民は、政府とは狐か狸だと思う方が無難なのだろう。してみると、アナウンサーや、ニュースキャスターや、司会だとて怪しいものだ。仕組まれた原稿を読んでいるだけではないだろうか。 ・へ2・・・「氷山の一角」はその隠された部分と切り離されてはいない。必ずどこかでつながっているのだろう。それはいえる。その一角でさえ見えなくなるようでは困るだろう。想像力のないものは、この社会を見損なうのではないだろうか。何のために、これまで学んできただろうか。それは、どこに活かされているのだろうか。どうも、最近また一杯食わされそうな雲行きがしてきた気がするのは私だけだろうか。
![]() ・あとでグーグルアースでフランクフルトの市内を覗いてみて懐かしかった。一番撮りたかったところが写真に撮れなかった。フリータイムで数時間ゲーテハウス周辺を歩いた。妻とマイン川へ周り、レーマー広場から大聖堂まで散歩した。文化ホールでは、トイレを探しまわった。ツアーで回ったのだから、奇麗なところを短い時間でしかない。世界遺産もいくつか見たが、何を理解したといえるだろうか。美しい場所はどこにでもあるし、人間も同じだろう。 ・へ2・・・美しいものに出会いたい人だけが美しいものを見出すだろう。確かに美しいからである。どうでないところもあるだけだ。立松和平が62歳で亡くなったと報じられている。それこそ元気そうだった人たちがあっけなく亡くなってしまう。言葉に残せなかったこともあったに違いない。彼が伝えたかったことが宿題になってしまった。
![]() ・生物は奇跡ではない。只地球上の生物たちは運がよかったのは確かだろう。火星も当初はそのチャンスがあったが、環境に抗するまでも時間がなかったのだ。生き延びるためには更に大きなチャンスが必要だったのだろう。ヒトがどれだけ生き延びることができるのだろうか。飽くなき関心がある。生まれて死ぬまでの間に感じてきたものが、単なる知識の集積ではなく、知識を超えた何かがあることを感じている。それを安易に口に出したくはない。 ・へ2・・・未来は、科学者たちだけのものではない。一人の人間も類としての人間に繋がっている。私たち個々人は一人ではない。善人もいれば悪人もいる。健気な人もいれば、邪な奴もいる。その総体が人間の姿であり、種としてのヒトの存在である。男でもなく、女だけでもない。純真な子どもだけでも、老い耄れた老人でもない。脳には人間がいる。いつか同じではないが、地球も火星になる。
![]() 為 証 以 両 手 印 仏教徒ではないが、両手を合わせることは日本人として自然と度々あるだろう。それは、物真似ですることだが何か、自分のこころを謙虚にさせ、相手を敬することであろうと思っているので、抗うつもりはない。自分には理解できないことでも、世の中に尊重しなければならない物事は多くある。 時としてわが身の蒙昧から傲慢とみえることはあるとしても、決して本意ではない。それ程優秀な人間でもないし、他人を蔑んでもいない。勿論人並みに喜怒哀楽はあるが、それは拠って立つこれまでの自分の本拠となる所為であり、所以でもあるからだろう。ひとは一人であるのではない。世間であり、巷の中であるべくしてあるのだろう。 残念に思うことは、それ程多くあるがそれを論って仕方がない。あるがままにあるべくしてありつづけるだけだ。「朝に紅顔あるといえども夕べに白骨なれる」も人の世の常の出来事であるだろう。それは、そうだと思っている。 にも拘らず、私は、この社会が正しいことをして来たとは思えないし、なるようになるのだとも思わない。寧ろ、他力本願ではならないのであって、事実を明らかにすべきであり、ひとはそれほど愚かな生物ではない。自分の限界に挑み続けるのを本懐とすると思う。
![]() 」 ・テーマが暗過ぎるのは、世の中が明るくないからでもある。それでもちょろちょろでも燃えていたい。燻ぶるのは嫌だ。酸素と燃えるものと、発火点に達しなければ、物は燃えないだろう。私の精魂も同じだ。燃える条件を造らねば燃えない。自分が感動しなければ燃えない。 ・へ2・・・いつも発火点に達していなければならない。そして、酸素と、燃えるのもの探しに行こう。あすならではない。今をどうするかだ。泣きたいほど弱虫でもない。泣き顔は見せるかもしれないが、泣いてはいない。悲しいことがあるだけだ。やがてかけがえのない一日の始まり。
![]() ・行きたい所へいつでも行けるようになれば、もっと発想も自由に湧くのだろう。重力に縛られているができることも沢山あると思う。然し自分にできることといえば現実社会では、何と制限されていることだろうか。勝手に想像していなさいでもなかろう。自由といっても制限された自由であり、見せかけでしかない。私たちの今日は、真の自由を手にしているわけでもない。大衆化社会も日本型の社会システムでしかないし自由も同じだ。豊かに生きるという本質を貫いていることでもない。 ・へ2・・・本当に欲しいものが手に入らないようにできている。期待される人間像などありはしない。変り易い雲行きを眺めて一生を終わる人も多いのではないか。私もその一人だろう。そうしたのは自分の責任でもある。上手く生きようとしてばかりで周囲ばかり気にしていたに過ぎない。風呂に入って背伸びをしてみたら、いつの間にかできなかった背伸びがすっとできた。自分の体が戻ってきている。それこそプレッシャーで押し潰れそうになっていたのではないだろうか。
![]() ・自分を追い込みたくないという気持ちもある。それが自分を解放しないのだろう。ブレーキをかけている。ドイツのアウトバーンのような道路は日本にはないし、スピード制限があちこちにあって、交通規制もある。勝手なことを言い合って意見を調整することに慣れていない。すぐ何にでも躊躇がある。言わなければならないことまで言わないという性格は、決してまともではないマスメディアの言うことを正しいとして信じるように教育されてきた。違う意見があることを聴き始めたのは人生の大半が過去になってからだろう。この社会の恐怖だけを知っているだけかもしれない。オリジナルのない表現しか知らないでいる。時々知らない街に立ち尽くしている気持ちになる。 ・へ2・・・ここ数年の体験は、これまで味わったことのない時間でもある。卒業してから4,5年浪人をしていたが、心は押し潰されそうだった。それがなければここまで来ていないのかもしれないが、コストも払ったのだろう。一方通行の道路しかなかった時代を生きてきたが、もう自分で歩いても好いといわれても戸惑うばかりだったきがする。自分に足が付いていることも歩ける道路があることも忘れていた。夕暮れが近付きつつあるが、これまでの自分ではない人生を生きることもできるだろう。今朝は異常に暖かい。福岡は気温17度。脳から芽が出そうである。
![]() ・1906年(明治39年)3月17日から一週間で書き上げた。 ・アラビアン・ナイトを読んでいたヒントを得た。 ・次回は「漾虚集」(「倫敦塔」「カーライル博物館」「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「韮露行」「趣味の遺伝」)。 ・年齢によって小説の読み方が変わってくる。何度も読み返す必要がある。年齢によって違う。殊に「坊ちゃん」。 ・村上春樹は、「現代の漱石」という人がいる。漱石のように、発表する前から世間から支持されるというのは珍しい。 ・「吾輩は猫である」から、ずっと支持され、その後も支持されたこと。 ・筆力が並大抵ではない。「坊ちゃん」と「吾輩は猫である」と同時に書いている。「吾輩・・・」豊富な知識が包含されている。 ・文章のプロとして職業とすること。 ・「坊ちゃん」でも現在では難しい。 ・「坊ちゃん」が主人公ではない。 ・四国辺。 ・ばあや清がいう「坊ちゃん」。「おれ、とか自分」。 ・勝小吉・・・佐幕派。言い方が似ている。 ・やまあらし・・・柔道の技。 ・講道館柔道。 ・読みの面白さがある。 ・赤シャツ・・・軽蔑的に「坊ちゃん」と親愛の情で「坊ちゃん」という。その対比がある。 ・「坊ちゃん」と「それから」の繋がり。世間に喧嘩を売る。迷惑をかける。 ・「清」さんは、坊ちゃんの実母かも知れない。という推理がある。少数派だがそうかも知れないという疑問がある。 ・おれは、両親とも兄ともそりが合わない。 ・清を同じ墓に入れるというのは変。親子かも知れない。清と坊ちゃんの関係。主従関係か。 ・江藤淳が、(江頭が本名) ・登世(とせ)・・・清。 ・小石川・・・小日向に訂正された。 ・養源寺・・・米山保三郎の墓がある。漱石の友人。小日向の養源寺は実在しない。 ・おれと山嵐の関係。他人の方が上手くいく。 ・漱石の墓は小日向の本法寺。 ・漱石の畏友・・・米山保三郎。 ・漱石は、家庭の幸福を信じていない。血縁を信じない。 ・家族関係が上手くいっていないことが性格に影響する。漱石の人間関係が作品に表れている。友人に恵まれている。 ・山嵐との関係。血縁より友人とうまくいく。 ・綺麗に書かれていない。名作の要件、それが余韻になる。あとあとまでつづく。ミステリーの欠点は謎を解くこと。 ・納得できない。肝心なことがわかないほうがよい。何故うらなりに肩入れするか? ・自分の行動を採点する。数学の教師的。 ・敗北の勝利。「坊ちゃん」のテーマである。 ・プッシング.・ツゥ・ゼェ・フロント ・親譲り、父親譲り。無鉄砲。近親憎悪。モノローグ。独白。 ・日本人好み。 ・二十歳前後の読み方・・・坊ちゃん。に味方する。こんな人物はいない。小説は作りもので良い。 ・坊ちゃんは、とんでもないことをしている。 ・そとで乱暴する。決定的な悲劇にならないのは、そうならないように漱石が書いている。 ・家庭悲劇をドライに書いている。不幸を感じさせない。 ・「母が死んでから・・・」何度も繰り返している。負い目。罪障感がある。 ・父より母が重い。 ・四国辺・・・当初生原稿では「中国辺」になっている。桃太郎伝説。 ・内田魯庵トルストイ「イワンの馬鹿」。 ・文学作品に方言を使う。翻訳二葉亭四迷が田舎ことば(方言)を使う。リアルになる。批判されていたときに、「坊ちゃん」を書いている。漱石は二葉を支持した。田舎文学。 ・東京と田舎は、日本とイギリスの反対類推。 ・何で受けるのか。肯定するのか。勝ち組ではないから。敗者だから。判官びいき。 ・赤シャツ・・・漱石にもある。 ・四国の反感。反感を持つように書いているがそれが、余り出ていない。おっとりしている生徒。 ・渡辺保・・・「黙阿弥の明治維新」正直清兵衛。「坊ちゃん」。過度の正直=異常。それが悲劇を生む。キャラクター小説。 ・探偵・・・嫌いなことをする。卑怯なことをする。こういうところにいるとダメになる。 ・隠れて探偵することは卑劣。 ・おれ・・という人物はおかしい。神経を病んでいる。(相原和邦)。 ・マドンナ・うらなり・・・赤シャツ、山嵐・おれ。マドンナがうらなりを好きになる筈はないのに漱石は疑いを抱いていない。 ・漱石の結婚観。 ・恋愛が問題にされていない。嫌な奴の恋愛のことではないか。好き嫌いで動く。 ・調子の良い奴がうまくいってしまうことへの僻み。 ・おれはマドンナに惚れ、好きにはならない。 ・うらなり・・・おれという人物の裏のひと。小林信彦・・・「うらなり」の側からみた。うらなりとおれとの謎。消極的に扱っている。裏読みになる。 ・佐幕派・・・漱石。「坊ちゃん」も同じ。「破戒」藤村・・・詩を止めて作家になろうとした。先駆的にやった人。漱石も教師を辞めようとしていた。 ・「吾輩は猫である」「坊ちゃん」を書いて、作家への道を歩き始める。その後、朝日に入社する時当時初めて待遇などの契約をしている。プロの作家になる。「虞美人草」を書いている。慎重で用心深い。「野分」前後で教師を辞める決意をする。 ・笑い噺・・。落語仕立て、のように書く。ピントは外していない。 ・「菊と刀」・・・日本人のキャラクターが現れたところだという。山嵐とおれとの間の氷水のおごりのシーン。漱石を選んだ。 ・赤シャツ・・・漱石特集。小池光枝。赤は体に良い。
![]() ・これからデータの管理が問題であり、送り手と受け手も権利としての自由の確保でもあるだろう。すくなくともこれから公正な社会を造るためのデータの収集と公開が必要だろう。まだ偏頗でしかなく、歪なデータしか公開されていない。それは集計表でしかないでは役に立たない。この複雑な社会を正しく把握するためにその基礎となるデータは常に最新でなければならない。 ・へ2・・・「喜捨」という概念は、日本人には理解し難いが、やはり理解するように努力する必要があるのではないだろうか。なぜならそれがイスラム教を理解することにつながるからだ。敵対するだけでは共存はできない。理解しようとしない態度ではいつまで紛争を止めることができない。彼らだけが努力すべきことではないからだ。私たちも分らないことに取り組まねばならないのではないか。キリスト教もよくわからないが、知ろうとする努力はしなければならない。どうやらすることは一杯ある。手に余るが仕方がない。誰にも手に余る問題を抱えているのが現代のすがたでもある。 ・何だか、本当に私たちは間違いのない選択をしているだろうか。しかもその情報が正しいのだろうか。基礎的なデータが歪んでいれば判断も間違うだろう。そのことを常に観察すべきだろう。固定観念や環境は悪ければ変えねばならない。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |