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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2009.10.18
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  中世といっても余程専門家でもない限り縁遠いものでしかない。「中世」に夢中になっている人をみると、いまが、「平和」なのではないかとさえ思っても来た。処が、何かと「中世」が出てくるようになり、意外と身近にあると感じてきたところだ。ドイツだって、その「中世」の建造物をのこそうと努力もしている。それは決して歴史の回帰ばかりではない。その中にある精神もある。「異文化への招待」という講座を聴いたことがある。テーマは、

 ・「1980年代のアメリカ文化と文学」

 ・「聖遺物と巡礼の世界」


 ・人種のるつぼであるアメリカの歴史は、様々な顔を見せている。80年代にはレーガンの強力な保守政権に対して真正面から自己主張するのではなく、個人の「身近な日常」の関心事から装飾をはぎ落したような「個」の内面が描かれる作品が多く出てきたのだ。ベトナム戦争の敗北とウォーターゲイト事件以後のアメリカ人の自信喪失、ポストモダン大量消費文化の中で目的を失った空虚なこころが、作家たちの描く主流にもなったのだろう。B・A・メイソンの「イン・カントりー」(1982)について、ポスト・モダン文学を研究している講師の話だった。


 ・もう一つは、丁度今読んでいるヨーロッパの中世の話である。講師のプロフィールによると中世期英語文献学の研究家で、イギリスの大聖堂と修道院跡を巡るのが趣味だそうだ。英文の論文も書いている。日本人には歴史的背景から西欧コンプレックスがある。それは止むを得ない。寧ろそれを逆手にとって、踏み越えなければならない。マイナスはマイナスではない。それを如何にブラスにするかの知恵がいる。ハンディを乗り越えてこそ価値がある。優秀な頭脳が優秀な成績を収めても当然でしかないのだ。もっと先を見ようとしたものだけが先を歩くだろう。






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最終更新日  2009.10.19 04:39:02
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